タマモクロス本紀~白の伝説~
『それぞれの作戦』
スタートとともに先頭に立ってレースを作り出す役割を担ったのは、大方の予想どおりレジェンドテイオーだった。そして・・・人々は、その後ろに意外な馬の姿を見つけ、戸惑った。いるはずのない芦毛が、そこにいた。それは、「怪物」ではなく「白い稲妻」だった。末脚自慢、瞬発力勝負のタマモクロスがこれほどの積極策をとろうとは、多くのファン・・・そして小原師さえも予測できない奇策だった。
「かかってしまったのか?」
そんな声があがったのも、無理はない。
だが、タマモクロスの奇策は、鞍上である南井騎手の意思を反映したものだった。南井騎手は、レースの直前にタマモクロスの調教助手とこんな会話をかわしている。
「後ろから行って、前がつまって届かなかった、みたいな負け方だけは納得できないからね」
「うん、分かってますよ」
南井騎手は、春の京都4歳特別(Glll)で1度だけ、オグリキャップに騎乗している。オグリキャップが並の馬ではないこと・・・オグリキャップの強さ、手ごわさは、その一度だけの騎乗で十分すぎるほど感じ取っていた。展開任せ、周囲の馬の作戦や位置取りに左右される後方待機策で自信を持って押し切れるほど甘い相手ではないことは、彼も分かっていた。
好位からの競馬のメリットは、展開が前の馬任せとなる差し、追い込みの競馬に比べ、自らレースを支配することで有利な流れを作り出すことができる点にある。4歳馬のオグリキャップに対し、5歳馬であることの利であるキャリアと経験を、プラスの方向に生かすことができる。戦い慣れた戦法ではないが、今のタマモクロスならば、どんな競馬でもできるはず・・・。
そんな南井騎手とタマモクロスの選択の一方で、もう1頭の芦毛・・・オグリキャップと河内洋騎手は、中団からの競馬となっていた。彼らは最大のライバルの思わぬ動きにも動じることなく、あくまで冷静さを保っていた。2頭の芦毛は、スタートから対照的な競馬を見せていた。
『決戦』
レジェンドテイオーの逃げはかなりのハイペースを刻み、1000m通過が59秒4となった。先行馬には厳しい流れである。
しかし、タマモクロスはあくまでも強気の競馬を崩さずに、第4コーナー手前から早々とレジェンドテイオーをつかまえにいくと、そのまま先頭を奪った。オグリキャップも馬を馬群の外へ持ち出し、動き始めている。直線に入ると、河内騎手のゴーサインに応えて飛んでくる。天皇の名を戴く伝統のレースは、誰もが予想したとおり1番人気と2番人気の一騎打ちとなった。
もともとは終盤の瞬発力を持ち味としていたはずのタマモクロスだったが、この日は先行策をとった。タマモクロス陣営の不安は、早仕掛けでスタミナを使い果たして末脚が最後に鈍ることであり、オグリキャップ陣営の希望もそこにあった。しかし、タマモクロスの脚は止まらない。オグリキャップがじわじわと差を詰めてくるものの、彼らの差よりもゴールとの距離の方が先に狭まっていく。
南井騎手は、残り1ハロンの時点で背後に初めて馬の気配を感じた。彼には、その馬が何なのかは確認せずとも分かっていたという。だが、タマモクロスにはまだ十分な手応えが残っていたことも、彼は同時に感じ取っていた。
タマモクロスとオグリキャップの差は、1馬身少しを残したまま、縮まらなくなった。そして・・・タマモクロスのあまりのしぶとさ、追っても追ってもとらえられない苦しさに、オグリキャップがたまらずよれる。それは、中央転入後も無敵の進撃を続けてきた「怪物」が初めて見せた「弱さ」であり、地方競馬の雄が無敗のまま中央の頂点に上り詰める夢が崩れ落ちる瞬間だった。
『春秋連覇』
タマモクロスは、オグリキャップに1馬身4分の1の着差を保ったまま、第98回天皇賞・秋のゴールへと飛び込んだ。勝ちタイムは、1分58秒8。史上初の天皇賞春秋連覇がここに成ったのである。
レースの後、南井騎手はタマモクロスについて
「僕の騎手人生の中で最高の馬」
と絶賛した。大舞台に弱いと言われ続けた男が、これでGlを3連勝、それも前人未到の天皇賞春秋連覇を成し遂げたのである。小原師もひやひやしたという先行策だったが、南井騎手自身はまったく迷ってはいなかった。そこに彼の最高のパートナーがいる、それだけで十分だった。
時は1988年、9月に体調を崩した昭和天皇の病状が思わしくないことはすべての国民に伝えられ、60年以上にわたる激動の時代・昭和はいよいよ最末期を迎えようとしていた。そして、そんな時代の最後を彩るタマモクロスとオグリキャップ・・・2頭の芦毛による戦いの第1ラウンドは、タマモクロスの勝利に終わったのである。
一方、タマモクロスと南井騎手の前に敗れ去ったオグリキャップの河内騎手は、レースの後、次のように話している。
「タマモが前に行っていることは分かっていたが、最後には止まると思っていた・・・」
4歳馬ながら重賞6連勝を飾った自信は、古馬の最高峰の前には通用しなかった。自分の競馬を貫く作戦は、ことタマモクロス相手に限れば、「相手を甘く見た」結果となった。河内騎手は、
「ジャパンCでもう一度叩き合ってみたい・・・」
と雪辱を誓った。タマモクロス陣営にも、異存はあろうはずがない。こうして競馬界を二分する両雄による1ヵ月後の再戦は、事実上約束された。彼らの再戦の舞台は東京芝2400m、ジャパンC(Gl)でのことだった。