タマモクロス本紀~白の伝説~
『衝撃の決断』
ジャパンCでの敗北によって連勝が止まったタマモクロスのその後については、有馬記念(Gl)に出走し、それを最後に引退することになった。本格化が遅かっただけに「もう1年」という声もないわけではなかったが、そんな声を押し切ったのは、馬主の強い意向だった。
「タマモクロスの子供のデビューをなんとか見てみたい・・・」
タマモクロスの馬主は、昭和天皇と同じ年に生まれ、昭和天皇を強く尊敬していた。だが、当時の日本は、病床にあった昭和天皇の病状の報道一色となっていた。彼にとって、一連の報道が自分自身の「寿命」を考える大きなきっかけとなったであろうことは、容易に想像がつく。そう長くは残されていないであろう寿命が尽きないうちに、タマモクロスの子供たちがターフに帰ってくる姿をその目に焼き付けるために、1年でも早く種牡馬入りさせたい・・・。それが、彼の最後の願いだった。
タマモクロス、有馬記念を最後に引退・・・。このニュースは競馬界を駆け巡り、競馬マスコミには「最後の決戦」「芦毛対決最終章」といった活字が躍った。天皇賞・秋、ジャパンCと繰り広げられてきた戦いも、有馬記念で見納めになる。
このニュースに最も衝撃を受けたのは、おそらくオグリキャップ陣営だった。天皇賞・秋、ジャパンCでタマモクロスにいずれも先着を許したオグリキャップにしてみれば、もし有馬記念でもタマモクロスに勝つことができなかったとしたら、「次」はない。雪辱のチャンスは、永遠に失われる。
必勝を期するオグリキャップ陣営は、鞍上を河内騎手から岡部幸雄騎手に乗り替わらせることを決めた。この騎乗は「1回限り」という約束だったが、岡部騎手は追い切りから何度も乗り味を試し、この馬を自分の手の内に入れるべく、手を尽くした。オグリキャップも名手の期待に応え、秋4戦目ながらまったく疲れを感じさせない力強い走りを見せていた。
そんなオグリキャップ陣営の自信の仕上がりに対し、その挑戦を受けて立つタマモクロス陣営には、大きな不安が生じていた。
『王者の宿命』
タマモクロスは、もともと体質の強さに不安があるという欠点があった。そんな彼にとって、天皇賞・秋、ジャパンCと続いた、春までとは違った強敵との激しい戦いは、まるで己の身を削るようなものだった。ジャパンCの後、滞在競馬のために東京競馬場から美浦トレセンへと移動したタマモクロスだったが、激戦の疲労に加えて環境の大きな変化に適応できず、その体調はまったく回復しなかった。
飼い葉をいつもの半分も食べられなくなったタマモクロスを心配した厩務員は、ミネラルウォーターで飼い葉を混ぜてみたり、1袋30万円くらいするような生薬を買ってきて、タマモクロスになめさせたりもした。追い切りも満足にできないと聞いたシンジケートからは、惨敗によってタマモクロスの種牡馬としての価値が落ちることを恐れ、出走を回避するよう要望がなされた。
しかし、小原師は、あくまでも有馬記念への出走をあきらめなかった。デビュー後しばらく低迷を続け、故郷の倒産という悲劇にも見舞われながら、ついには天皇賞春秋連覇をはじめ古馬中長距離Glを3勝し、さらにジャパンCでも日本馬最先着を果たしたタマモクロスは、間違いなく日本競馬の最強馬であり、王者と呼ばれるにふさわしい存在だった。有馬記念では、オグリキャップはもちろんのこと、他の出走馬たちも皆「タマモクロスを倒すために」レースに挑んでくる。そんな挑戦者たちの思いを知りながら、保身のために戦わずして勝ち逃げを図る。それで何が古馬最強か、何が王者か・・・。
タマモクロスの状態が良くないことは、誰の目にも明らかだった。後に小原師は、秋4戦目というのに疲れの影をまったく見せないライバル陣営について
「オグリキャップがうらやましい、と思ったこともある」
と正直に語っている。
だが、厳しい連戦に耐える肉体、そして精神の強靭さもまたサラブレッドの重要な資質のひとつである。小原師は、南井騎手は、そしてタマモクロスを取り巻くすべての人々は、意を決した。タマモクロスの「今」、あるがままの姿を受け入れて最後の戦いに挑む。それが彼らの自分たちの馬への思いであり、そして王者としての矜持だった。
『最後の戦い』
1988年12月25日、第33回有馬記念はクリスマス決戦となった。JRAが進めていたイメージアップ戦略が奏功し、競馬場にはそれまでは考えられなかった若い女性たちの姿も多数見受けられた。
この日の単勝オッズでは、1番人気がタマモクロスの240円であり、2番人気がオグリキャップの370円だった。タマモクロスに不安あり―。そんな報道はあったものの、ファンはこの年の中央競馬をリードし、オグリキャップとの直接対決でも2戦2勝というタマモクロスの実績を信頼したのである。
ただ、この日の単勝オッズを見ると、必ずしも「二強対決」というわけではなかった。サッカーボーイが480円の3番人気、菊花賞馬スーパークリークが740円の4番人気に推されていた。彼らはいずれもオグリキャップと同じ4歳世代を代表する強豪である。いずれもタマモクロスとは初対決となる若き精鋭たちは、強い4歳馬はオグリキャップだけではないぞ、とばかりに逆転の機会をうかがっている。彼らこそは、中央競馬がやがて迎える新時代を象徴する存在である。だが、旧時代最後の王者たるタマモクロスは、次代を背負うべき若い力の挑戦を、ただ1頭で受けて立つべき立場にあった。
昭和の終わりが迫る1988年の暮れ、「昭和」の終焉と中央競馬の新時代は、すぐそこまで訪れていた。だが、そのいずれをも見ることなく現役を去ることが既に定められたタマモクロスは、それでもなお王者としての使命を全うすべく、今、最後の戦いに臨もうとしていた。