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タマモクロス本紀~白の伝説~

『押し寄せる不安の中で』

 有馬記念当日のタマモクロスの馬体重は、数字の上ではマイナス2kgに収まった。これは、数字の上からいえば問題点はまったくうかがわれない。ただ、南井騎手は、この日タマモクロスにまたがった瞬間、

「やっぱり今日のタマモは本調子じゃないな・・・」

と感じたという。飼い葉食いの悪さ、調教での動きの悪さから仕上がりを心配していた南井騎手だったが、タマモクロスの状態は、彼が懸念したとおり、天皇賞・秋、ジャパンCの仕上がりには程遠いものだった。

 南井騎手は、タマモクロスにすべてを託すしかなかった。しかし、いい時のタマモクロスを知っているだけに、今のタマモクロスをそれと比べてしまうことは仕方がない。既に中堅というよりベテランの域に達しつつあった南井騎手をしても、心に押し寄せる不安まで封じ込めることは不可能だった。

 ゲートの中でも、タマモクロスは「ボーッとしていた」という。これからレース、という時でもなかなか集中力が戻らないタマモクロスに、南井騎手の違和感は弱まるどころか、むしろ強まっていった。

『かみ合わぬ歯車』

 ゲートが開いた直後、2頭がスタートで立ち遅れて他の馬に置いていかれた。・・・この時出遅れたのは、サッカーボーイとタマモクロスだった。

 サッカーボーイは、もともと名だたる荒馬として知られており、この日もゲートが開く前からゲートに突進した挙句、顔を強くぶつけて前歯を折っている。それでひるんだところにゲートが開いたというのだから、これでまっとうなスタートは切れるはずがない。しかし、タマモクロスの方は集中力のなさが昂じての出遅れだったから、ある意味でより深刻だった。

 最大の敵であるオグリキャップが好位につけた一方で、タマモクロスは一番後ろからの競馬となった。しかも、スタートで立ち遅れたことを知っているのか、タマモクロスは猛烈に行きたがる。南井騎手はタマモクロスの瞬発力を生かそうと、後方待機のまま末脚を生かす競馬に徹しようとするが、タマモクロスはそれをよしとしない。南井騎手の手綱を強引に引っ張って、馬が前へ、前へと行きたがる。

 南井騎手に言わせると、この日のタマモクロスの変調は、ゲート内での集中力、道中行きたがったことだけにとどまらなかった。

「今日は外へ外へと行きたがった」

 後方待機から内を衝いて直線で馬群を突き抜ける。彼が思い描いていたそんな競馬は、タマモクロス自身によって否定された。彼らの呼吸が合っていないことは、誰の目にも明らかだった。

『覚醒する王者』

 1番人気が1番後ろから競馬を進める競馬は、そうそうあるものではない。確かにタマモクロスは、もともとは瞬発力勝負の馬として名を売っていたが、それにしても京都金杯を最後方から突き抜けた後・・・完成期を迎えた後は、少なくとも中団よりは前というある程度の位置から競馬を進めてきた。

 もともとタマモクロスの馬券を買うファンは、高配当よりも安定を重んじるファンということができる。本命党たちは、そんなセオリー破りの競馬を期待していたわけではない。

「タマモクロス、危うし―」

 戦いを見守るファンからは、1番人気を背負った彼の思わぬ競馬への戸惑いと不安の声が漏れ始めた。本命党たちから生じた場内のざわめきは、オグリキャップやスーパークリークらの馬券を握り締めたファンのより強い興奮を誘い、場内のボルテージをさらなる高み、極みへと押し上げていった。

 だが、向こう正面も半ばを過ぎて、ようやく南井騎手がタマモクロスを抑えることをやめると、タマモクロスはそれまで彼をとどめていた縛りから解放され、反応した。・・・南井騎手は、この時ようやく思い出した。

「ああ、この馬はやっぱりタマモクロスだったんだ・・・」

 第3コーナーからタマモクロスが繰り出した末脚は、この日彼が見せた初めての「タマモクロスらしさ」だった。

『風か、光か』

 それまで最後方にいたタマモクロスがたちまち馬群にとりつき、そして第4コーナーでは大外を回って中団まで上がってきた。その鋭い末脚は、この日のタマモクロスには戸惑ってばかりだった南井騎手を逆の意味で驚かせるものであり、ファンにも有馬記念までのタマモクロス、そして道中でのタマモクロスを忘れさせるほどだった。

 タマモクロスが外を衝いて上がってきたころ、オグリキャップはいまだに中団にいた。それまで馬と折り合いをつけながら競馬を進めてきた岡部騎手は、タマモクロスの気配を後方に感じながら、やはり進出を開始した。

 スタンドからの大歓声はいよいよ大きくなり、第33回有馬記念はクライマックスを迎えた。それまで先手を取ってきた利を生かしてオグリキャップが早めに先頭へと躍り出たが、そんなオグリキャップを追い上げながら、外から馬体を寄せてきたのは、誰もが予想し、かつ期待していたとおり、タマモクロスだった。

 まだ白というよりは灰色、見ようによっては紫に見える若き「芦毛の怪物」オグリキャップと、はっきりと「白」といえるようになった円熟の「白い稲妻」タマモクロス。それぞれの戦いを経て最後の対決を迎えた2頭の芦毛による、昭和の最後を飾る死闘は、いよいよこれからだった。

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