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タマモクロス本紀~白の伝説~

『王者として』

 南井騎手による鞭の連打に応え、タマモクロスはオグリキャップとの差を詰め、いよいよその馬体を寄せていった。だが、オグリキャップと岡部騎手も、負けてはいない。むしろ、この時を待っていた、とばかりに激しく追い始めた。道中にしっかりと折り合いがついていたオグリキャップは、抜群の手応えでさらに伸びる。岡部騎手は、この時が来ることをあらかじめ予想した上で、まだ余力を残していたのである。

 タマモクロスの猛追により、一時はあっさりと替わるかにも見えた先頭だったが、オグリキャップのさらなる反撃により、先はまったく読めなくなった。オグリキャップとタマモクロスとの差は、およそ半馬身。しかし、そこから先が縮まらない。最後を勝ちで飾りたいタマモクロスと、最後の対決だけは負けられないオグリキャップ。それぞれの闘志と意地がぶつかりあう展開に、中山競馬場のスタンドは白熱していく。

 ファンの歓声の中心にいたのはタマモクロスとオグリキャップだったが、馬場の内から歓声の中心に向けて飛んでくる姿もあった。この年の菊花賞馬スーパークリークである。そのさらに後ろには、サッカーボーイの姿も見える。気がつくと、タマモクロスは「4歳三強」ともいうべき若い力に囲まれていた。

 だが、タマモクロスは力の限り走った。目に見える敵はオグリキャップのみ。そのオグリキャップを倒すことこそが彼のすべてであり、オグリキャップをかわしさえすれば、有馬記念制覇の栄光は彼の手に落ちる。そしてタマモクロスは、最後のレースを勝利で飾り、栄光に包まれたまま馬産地へと帰っていくことができる・・・。

『決着』

 しかし、オグリキャップは強かった。第3コーナーからロングスパートをかけたタマモクロスの末脚は最後まで衰えることがなかったが、迎え撃つオグリキャップもまた、馬体を併せてから後は半馬身のリードを守り抜いた。天皇賞・秋、ジャパンCとタマモクロスの後塵を拝し続けたオグリキャップだったが、有馬記念では、ついにタマモクロスに半馬身以上の接近・・・オグリキャップ自身が築いた聖域へと踏み込むことを許さなかったのである。

 激しい叩き合い・・・死闘の末、2頭はゴール板の前を駆け抜けた。だが、その時オグリキャップが半馬身ほど前に出ていたことは、誰の目にも明らかだった。この日「怪物」は、「白い稲妻」の壁を3度目の挑戦にしてついに乗り越えた。

 戦いの後、南井騎手は最後のレースを勝利で飾れなかったことについて、無念さを隠さなかった。

「悔しいですよ。ゲートの中でボーッとしていた。いつものタマモクロスじゃなかった・・・」

 この日は、スタートでの出遅れが、最後の最後に詰め切れなかった半馬身差となって現れる結果となった。レースの後半ではタマモクロスらしい闘志と末脚が甦っていただけに、あきらめきれない思いは残ったのだろう。

 ちなみに、オグリキャップの岡部騎手は、タマモクロスとオグリキャップの力関係について

「こちらがちょっとでもミスをしたらかなわない、って思ってましたよ。もし向こうにミスなく乗られたら、タマモクロスのほうが一枚上だと思ってました・・・」

と率直に話している。南井騎手が悔しがるのも無理はないところではある。

 しかし、タマモクロスの出遅れの原因は、彼自身が連戦に耐え抜くタフさに欠けていたことにあった。オグリキャップが秋はタマモクロス以上に過重なローテーションを組みながら、その最終戦となる有馬記念でも実力を出し切ったことを考えると、タマモクロスの敗北も避けられないものだったというべきだろう。

『新時代への旅立ち』

 それはさておき、タマモクロスは現役最後のレースとなる有馬記念を2着で終えた。彼が残した通算成績は18戦9勝、重賞はGl3勝を含めて6勝である。

 タマモクロスというサラブレッドの最大の特徴は、4歳時のほとんどを下級条件をうろうろする状態で過ごしながら、その年の暮れから急成長し、5歳時には完全な王者として君臨したことである。1988年の彼の戦績は、7戦5勝、2着2回という完璧なものだった。結果的には敗れた最後の2戦も、2着という着順もさることながら、内容的にはまったく恥じるものではなかった。そんなタマモクロスは、まさに「王者」と呼ばれるにふさわしい実力と気品を兼ね備えたサラブレッドだったということができよう。

 有馬記念の6日後に1988年が終わり、89年が始まったわずか7日後・・・日本列島に「天皇陛下、崩御」という悲報が流れた。それまで「昭和64年」と呼ばれていた89年の元号は、その日のうちに「平成元年」と改められることになった。大正デモクラシーの終焉と世情不安から始まった「昭和」は、やがて破滅的な戦争と敗戦、そしてその後の復興と繁栄の時代を経て、新たな混沌と停滞の時代を迎えつつあった。そんな時代の激しい移ろいとともに歩んだ「昭和」の歴史は、こうして幕を閉じた。

 事実上「昭和最後の年」となった88年に王者として君臨したタマモクロスは、172名の記者投票のうち実に165票を集めて同年の年度代表馬に選出された。「昭和最後の王者」となったタマモクロスの引退式は、年明けすぐの1月15日、京都競馬場で行なわれた。前年の秋はすべて関東で戦ったため、関西では久しぶりの、そして最後のお目見えとなったタマモクロスに対し、京都競馬場を埋めたファンからは、暖かい拍手と歓声が送られた。

 そしてタマモクロスは、種牡馬として北海道へと帰っていった。彼なき後の競馬界を支えていくのは、彼と「昭和最後の名勝負」を繰り広げ、最後の最後で打ち負かしたオグリキャップと、そのライバルたちだった。それまで守り続けた王座を、新時代の到来とともに若き王者へと譲り渡して去っていくタマモクロスの姿は、まさに時代の配剤を感じさせるものだった。

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