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タマモクロス本紀~白の伝説~

『裏切られた希望』

 1987年3月1日、タマモクロスは阪神競馬場、芝2000mの新馬戦でデビューの時を迎えた。クラシックの季節が目前に迫ってのデビューは同期の中でもかなり遅いものだった。鞍上には、南井克巳騎手がいた。

 ただ、小原師にしてみれば、これは満を持しての船出というわけではなかった。あまりのひ弱さに調教も満足にできないタマモクロスに対し、これ以上待ってもよくなる見込みもない、ということでの見切り発車が、この新馬戦だった。

 後に「白い稲妻」と呼ばれる末脚を武器としたタマモクロスだが、この日の競馬は、そんな後の姿とはまったく対照的に、スタート直後から先手を取っての積極策だった。・・・そして、その結果は無残なものだった。第4コーナーまでは先頭を保ったタマモクロスだったが、この日の彼は、そこで終わってしまった。直線で力尽きてずるずると後退していったタマモクロスは、アイチマツシマ・・・タマモクロスのデビュー戦の勝ち馬としてしか歴史にその名を残すことのなかった馬から遅れること1秒8、10頭立ての7着でようやくゴールした。タマモクロスの走破タイムは2分7秒1であり、その次の週に中山競馬場の同じ距離で行われた弥生賞(Gll)でのサクラスターオーの勝ちタイム、2分2秒1と比べると、あまりにも次元の低いものでしかなかった。

 新馬戦の結果を受けた錦野氏の反応は、世に伝わっていない。しかし、その後の事実の流れを追うことで、ある程度の推測は可能である。錦野牧場を待っていたのは、あまりに過酷な運命だった。

『消えた故郷』

 デビュー戦の7着という結果は、錦野氏の期待を大きく裏切るものだった。折り返しの新馬戦でも4着に敗れたタマモクロスは、3戦目となるダート1700mの未勝利戦でようやく初勝利を挙げたものの、その後は凡走を続けた。そして、裏切られたのは錦野氏の期待だけではなかった。

「こいつが競馬場で走るようになれば、借金は必ず返せるようになります・・・」

 錦野氏は、それまで債務の返済を迫る債権者に対し、こう言って返済を待ってもらっていた。債権者たちも、錦野牧場への最後通告は思いとどまっていた。どうせ差押をかけて牧場を売却したところで、債権を全額回収することはできるはずもない。ならば、錦野氏のいう夢にもう少し付き合っていいだろう。もし錦野氏のいうとおり、タマモクロスが大レースを次々と勝つならば、彼らの債務も返してもらえる・・・。

 夢のような話ではあるものの、中央競馬の高額な賞金水準と、その5%を占める生産者賞の存在は現実である。そして、おそらく錦野氏のタマモクロスに賭ける自信も、債権者たちに「もしや」と思わせる何かを持っていたに違いない。そうでなければ、債権回収のプロである彼らが、破綻を目前にした牧場を前に、手をこまねいてみているはずがない。

 ・・・しかし、錦野氏が賭けた夢は、タマモクロスのデビューと凡走によって砂上の楼閣となった。連勝街道をひた走るはずのタマモクロスは、デビュー戦で惨敗し、その後1勝を挙げたとはいえ、400万下をうろうろしているではないか。

「400万下も勝ち上がれない馬で、何が『大物』だ」
「あんな夢みたいな話に乗るんじゃなかった。騙された・・・」

 錦野牧場の債務は、もはや未勝利戦の生産者賞など問題にならないほど大きな金額に膨れ上がっていた。金融機関も錦野牧場を見捨て、いきり立った債権者たちは、再び錦野牧場へと押し寄せた。

 錦野氏は、ついに錦野牧場を手放すことになった。残された錦野牧場の財産は、債務の支払いのために解体されることになった。牧場の本来の商品である子馬はもちろんのこと、錦野氏が最強馬の故郷にしようと長年かけて築いてきた土地や建物、集めてきた繁殖牝馬たちは他の牧場へと売り飛ばされ、その代金は債権者たちに分配された。

 ただ、この時に債権の処理を完全に終えていれば、事態は最悪のところまではいかなかっただろう。錦野氏は、最初は譲渡相手の好意もあり、役員等の地位は降りたものの、牧場の従業員としてそのまま牧場に残ることになった。・・・しかし、錦野氏にはこの時、譲渡相手に知らせていない借金がまだ残されていた。牧場の従業員として仕事を続けていた彼に対し、再び現れた、借金の返済を求める新たな債権者たち・・・それは、柄の悪い取立屋たちだった。新しい借金が次々と明るみに出る中で、錦野氏にこれを押し戻す手段は残されていなかった。あるいは、錦野氏自身の心も、破れた夢と残された現実の重みによって、折れてしまったのかもしれない。

 やがて、錦野氏の姿は牧場・・・否、新冠から消え、家族は離散した。

 時に、夢は人に残酷な代償を強いる。錦野氏にとって、破れた夢の代償とは、自分が築いてきた牧場にとどまらず、人生のすべてだった。すべてを失った錦野氏は、逃げるように東京へと流れ着き、人知れず建設作業員として働くようになった。

『涙』

 錦野氏とその家族の悲劇をよそに、錦野牧場の解体にあたって錦野牧場から売りに出された繁殖牝馬の中には、当然のことながらタマモクロスの母であるグリーンシャトーも含まれていた。グリーンシャトーを手に入れた牧場は、最初錦野牧場の倒産によってグリーンシャトーが売りに出されたといういきさつを知らず、

「こんないい体つきの馬をどうして売りに出すんだろう・・・」

と不思議に思った、とのことである。

 だが、運命の魔の手は、グリーンシャトーをも見逃がさなかった。移った牧場でタマモクロスの3歳下となる半弟を出産したグリーンシャトーは、その後しばらくして急に体調を崩し、腸ねん転を起こして死んでしまった。サラブレッドの腸ねん転は、精神的なストレスによって誘発されることが多いという。グリーンシャトーもまた、あまりに急激な環境の変化に対応することができなかったのだろう。

 グリーンシャトーの悲報は、やがて錦野氏のもとにも届いた。悲報を聞いた錦野氏は、

「俺がグリーンシャトーを殺したんだ・・・」

と慟哭し、とめどなくあふれる涙を抑えることができなかったという。もともとグリーンシャトーは、気が荒くて繊細な馬だった。グリーンシャトーが心を許し、なついていたのは錦野氏だけであり、彼女は錦野牧場の環境のもとで静かに暮らしていた。そんな彼女を住み慣れた環境から引き離し、死に至らしめた原因は、錦野牧場の破綻にほかならない。もし自分が錦野牧場を潰さなければ、グリーンシャトーが死ぬこともなかった・・・。かつて、小さいとはいえ一国一城の主として牧場を構えた錦野氏は、その城を失った悔いに加え、何の罪もないのに牧場の破綻によって命を縮める結果となってしまったグリーンシャトーへの哀惜の思いに苛まれた。・・・しかし、失われたものは二度と還らない。すべてを失った彼に、涙を流すこと以外にできることは残されていなかった。

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