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阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(上)~

~ヤマニンパラダイス~
1992年4月25日生。2018年12月7日死亡。牝。鹿毛。H.Alexander&H.Groves(米国)産。
父Danzig、母Altear(母父Alydar)。浅見国一厩舎(栗東)
通算成績は、17戦4勝(旧3-6歳時)。主な勝ち鞍は、阪神3歳牝馬S(Gl)、ポートアイランドS(OP)、いちょうS(OP)。

『早熟の天才少女』

 「早熟」という言葉は、本来ならば成長が早いことを指す。だが、この言葉が競馬界で使われる場合、こうした本来の意味とは異なるニュアンスで使われることが多い。

 「早熟」の本来の意味からすれば、2歳(旧表記で3歳)戦から結果を出すような馬は、みな「早熟馬」といっていいはずである。ところが、実際には阪神3歳牝馬Sを勝った馬たちでも、後に他のGlを勝ったような馬が「早熟馬」と呼ばれる機会は、めったにない。

 競馬界において「早熟」という場合、成長が早いことに加えて、その成長が早い時期に止まってしまったという言外の意味を持つ。いわゆる「八大競走」と呼ばれる中長距離の大レースを中心として発展してきた日本の競馬界では、こうした馬たちに対する評価は低くとどまりがちである。本来の意味を離れて用いられるようになった「早熟」という言葉は、その馬の長所というより、限界を示すために使われるのである。

 だが、「早熟」と呼ばれるサラブレッドたちの中には、「早熟」を単なる「限界」として切って捨てるにはあまりに惜しい輝きを放った馬もいる。1994年の阪神3歳牝馬S勝ち馬ヤマニンパラダイスも、そんなサラブレッドの1頭である。

 ヤマニンパラダイスを管理した浅見国一調教師は、調教師としての最後の時期に出会った彼女のことを、「私の最後の女」と呼んだ。鮮烈なスピードとともに仁川のターフをレコードで駆け抜けた早熟の天才少女は、そのあまりに激しい輝きゆえにその全盛期も短く、阪神3歳牝馬S以降はまるで自分自身を燃やし尽くしたかのように急速に輝きを失っていった。それでも全盛期のヤマニンパラダイスが残した残像は、その輝きの激しさゆえに、あまりにもまばゆい。

『世界の良血』

 父がDanzig、母がAltheaという世界的にみても最高水準の良血を持つヤマニンパラダイスは、1992年4月25日、米国ケンタッキー州の牧場で生まれた。

 Danzigは、20世紀最大の種牡馬Northern Dancerの代表的な後継種牡馬の1頭である。Danzigの現役時代の競走成績は3戦3勝で、勝ったレースはすべて1400m以下の一般戦であり、重賞には出走したことさえない。Northern Dancerの他の代表的な後継種牡馬であるNijinsky llやLyphard、Sadler’s Wellsらと比べると、かなり見劣りする実績である。だが、それは新馬戦を8馬身半差で圧勝した後に骨折し、復帰後も一般戦を2戦続けて大差勝ちした後に再度故障したからであり、デビュー戦直後から「Northern Dancerの代表産駒の1頭」と呼ばれるようになったほどの潜在能力は、種牡馬入りした後にいかんなく発揮され、3度の北米リーディングサイヤーをはじめ、輝かしい種牡馬実績を残している。

 一方のAltheaも、北米競馬の伝説ともいうべき名馬Alydarの産駒で、アーカンソー・ダービー(米Gl)を牝馬として初めて、しかも7馬身差のレコード勝ちという圧倒的な強さで制し、米国三冠のケンタッキーダービー(米Gl)に挑戦した際には牝馬ながらに1番人気に支持される(19着)などの存在感を示した。通算成績は15戦8勝であり、Gl2勝、83年米国最優秀3歳牝馬など数々の栄光を背負った彼女もまた、名牝と呼ばれるにふさわしい存在である。

 そんな輝かしい血統を持つヤマニンパラダイスは、生まれながらに北米のみならず、世界中から視線を集める宿命を背負っていた。実際に生まれた彼女の馬体も、母の父であるAlydarの血を受け継ぐ力強さ、美しさ、バランスなどを備えていたから、なおさらのことである。93年7月、彼女がキーンランドのセリに上場されることになった時、世界中のバイヤーたちが彼女に目を向けた。・・・そして、その中には日本人の姿も含まれていた。

『運命を決めたキーンランド』

 DanzigとAltheaという世界的名馬の子供である牝馬に目を向ける日本人の中に、浅見国一調教師がいた。「ヤマニン」の冠名を持ち、また自ら錦岡牧場を所有していた大馬主・土井宏二氏の代理人として海を越えていた浅見師は、「Danzig×Alydar」というクロスを持つ彼女に「競走馬として、というよりも繁殖牝馬として」の将来性を感じ、強く惹きつけられていた。彼のスポンサーである土井氏は、錦岡牧場の繁殖牝馬の充実に並々ならぬ情熱を注いでおり、90年秋にはケンタッキー・オークス(米Gl)優勝をはじめ通算10戦8勝、2着1回、3着1回というほぼ完璧な戦績を制した米国の至宝・ティファニーラスを、230万ドルという破格の価格で落札している。

 最初に土井氏から

「キーンランドに行くか」

と聞かれた時には

「(いい馬を見つけてくる)自信がないから、いいです」

と答えた浅見師だったが、土井氏からは

「行ってこい、牝馬ならその馬が走らなくても、子や孫が走るかもしれないから、そのうち1頭くらいは当たるだろう」

と言われて送り出されていた。そんな遠慮深い老伯楽ですら、「上場番号77番」と名札をつけられた後のヤマニンパラダイスを目の前にすると、

「この馬を手に入れたい!」

という思いが沸々とこみ上げてくる。浅見師は、不退転の決意で彼女のセリに臨んだ。

 やがてセリが始まり、浅見師の意中の馬に掛けられた値札は、案の定みるみる上がっていった。同様に彼女を望むライバルたちの中には、やはり日本からやって来た豊洋牧場の名前もあったが、セリの価格が80万ドルまで吊り上がったところでようやく決着がついた。こうしてDanzigを父、Altheaを母に持つ世界的良血馬は、「ヤマニンパラダイス」として日本で走ることになったのである。

 ちなみに、豊洋牧場はこの時のセリで、米国Glll勝ち馬Doubles Partnerを母に持つDanzig産駒(日本名トリプルマッチ)を80万ドルで競り落としている。Doubles Partnerの血統は日本と親しみがあり、トリプルマッチの2歳下の半弟、5歳下の半弟はいずれも日本へ輸入され、さきたま杯(統一Glll)勝ち馬ハセノガルチ、ジャパンCダート(Gl)、NHKマイルC(Gl)勝ち馬イーグルカフェとなっているから、着眼点は素晴らしかった、というべきかもしれない。ただ、ヤマニンパラダイスと同じセリ、同じ80万ドルで手に入れたトリプルマッチ自身は、競走馬としては大成できず、繁殖牝馬としてもいまだに上級馬を出せていないことを思うと、競馬の難しさを感じさせられる。

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