20世紀末期と比較して、PCをいじるだけで触れることができる情報が爆増しているだけに、有名馬のエピソードを拾いながら取捨選択することが、本当に難しくなりました。そんな時代の中で、レイテ沖で米軍が展開するオーバーキルの空母大艦隊を、艦載機もパイロットもスカスカとなった空母艦隊を囮としておびき出し、旧式戦艦を主力部隊としてレイテ湾に突っ込んだ大日本帝国軍のごとく、デジタルに対抗するためにアナログを極め、国会図書館にまで行った今回。28年前の競馬〇ックやギャ●ップなんて必死で読んでいるやつが、現代日本にどれほどいるのだろう。。。
そんな狂気じみた調査をしながら気づいたのは、フサイチコンコルドの現役生活を描く場合、界隈で話題の「SS四天王」概念を重んじすぎると視野が希薄化してしまう一方、ワルツオブシャ・・・ダンスインザダークとの宿命的なライバル関係を軸に据えると、美しい物語となるのではないかということでした。
皐月賞→両方回避。
プリンシパルS→フサイチコンコルドが急遽回避したメンバーの中でダンスインザダーク圧勝。
日本ダービー→ダンスインザダーク確勝と思ったところで、前走の回避で有力馬の死角に潜り込んだフサイチコンコルド勝利。
菊花賞→今度こそフサイチコンコルドを見失わなかったダンスインザダークが、ダービーのほぼ逆展開で満願勝利。
その後→2頭とも菊花賞を最後にターフを去る
…書いてみて、確かに間違ってはいなかったのですが、冷静に考えてみると、これ、主人公はダンスインザダークでフサイチコンコルドはライバルなのでは・・・?
競馬の歴史の深淵にかかわる疑問として、フサイチコンコルドの逸話として「逆体温」という特異体質は多くの文献で触れられているのですが、いつ関係者がそれに気づいたのかについては、はっきりした記述がないものばかりなのは気にかかりました。藤田騎手の著書では、小林厩舎すら日本ダービー時点でまだ気づいていないと解釈できる記述もあり。フサイチコンコルドの微熱って、逆体温ゆえに朝の体温が高く出たこともあったのでは…?なんて妄想も捗る、歴史の旅でした。
また、当時の資料を読み直していて思ったのが、関口オーナーはフサイチコンコルドの時点では割と大人しい・・・ということで、列伝が喜ぶ魅力的なエピソードは、リアルタイム段階ではそこまで出てきていなかったのが意外でした。後の(と言っても数年後)のド派手な言動とイメージが混ざっていることを思い知らされます。とはいえ、別に客観的事実との齟齬とか、関係者間の証言の矛盾とかに満ちているとかの「盛った話」の特徴がたくさんあるわけでもありません。実業家としての評価は別として、馬主としては、ショーマンシップに溢れ、ひたすら馬と競馬が好きだったんだろうな…と思った次第。
]]>ただ、本文の中での疑問に対しては20年の時の中でツッコミどころもありまして、
「サンデーサイレンス血統によってステイヤーが淘汰された後に現れたサンデー系ステイヤーのフィエールマンをどう位置づけるのか?」
「ステイヤーの価値すら忘れ去られてしまったとしたら、ライスシャワーの価値だけを後世の人々に理解してもらうことは、果たしてできるのだろうか?⇒できます。それは、20年後、女の子として擬人化されたキャラのアニメとゲームによってです」
という点は本来修正するべきだったのかもしれませんが、そこを整合させようとすると改訂どころか全文書き換えになりそうなので、やめました。
あと、2度目の春天での章立てに「決意の直滑降」を採用しようとした・・・のですが、「みたび淀の坂を越えて」は菊の「淀の坂を越えて」、1度目の春天の「ふたたび淀の坂を越えて」と韻を踏んでいたことを思い出し、涙を呑んで思いとどまりました。
そんな凸凹の末の改訂ですが、時を越えてライスシャワーの物語をお楽しみいただければ幸いです。
]]>20世紀の名馬の血統が残る可能性は、牝馬と牡馬だと断然牝馬が有利だという現実を痛感させられます。現代にも残る血統の安心感は異常。。。
基本的には20世紀のGl勝ち馬について単独で伝を立てる当列伝ですが、「阪神3歳Sのみの勝ち馬」(牡馬、6頭)、「阪神3歳牝馬Sのみの勝ち馬」(牝馬、6頭)、そして「牝馬三冠すべてで勝ち馬が異なり、かつそのその馬も他のGlを勝っていない勝ち馬」については複数頭で伝を立てています。1984~2000年の17年間のうち、「牝馬三冠勝ち馬列伝」の条件を満たすのは、公開済の84、85、88、89、91、99年と、未公開の90年、2000年の8編となります。
それ以外の年度で言えば、86年はメジロラモーヌ(牝馬三冠)、87年はマックスビューティ(桜、樫)、92年はニシノフラワー(桜、スプリンターズS)、93年はベガ(桜、樫)、94年はヒシアマゾン(秋華、阪神3歳牝馬S)、95年はダンスパートナー(樫、エリ女)、96年はエアグルーヴ(樫、天皇賞・秋)、97年はキョウエイマーチ(桜、マイルCS)とメジロドーベル(樫、秋華などGl5勝)、98年はファレノプシス(桜、秋華)がいるがゆえに、「牝馬三冠勝ち馬列伝」ではなく勝ち馬全頭の単独列伝という方針になったわけですが、上記の馬以外の勝ち馬である87年のタレンティドガール、92年のアドラーブルとタレンティドガール、93年のホクトベガ、94年のオグリローマンとチョウカイキャロル、95年のワンダーパヒュームとサクラキャンドル、96年のファイトガリバーとファビラスラフイン、98年のエリモエクセルの合計11頭は、自身のGlが牝馬三冠のうち1勝のみでありながら、単独列伝を立てるということでもあります。牝馬三冠1勝だけの馬だとネタをとりづらいということで「牝馬三冠勝ち馬列伝」にまとめているのに、足りないはずのその馬自身の実績に変わりなきまま、単独列伝を立てるこの彼女たち(ホクトベガは、ある意味異なりますが)にこそ、筆者の力量が問われることになります。その困難を物語るように、その中で公開できているのはタレンティドガールとチョウカイキャロルの2頭だけなのですが、この2頭(+ホクトベガ)以外の牝馬たちについては、このネット社会においても流通する情報は割と限られている様子。
このクラスの馬こそ、現代における列伝の需要はあるのかなあ・・・?などと思って見たりします。
]]>副題「究極美伝説」には、たぶん元ネタは特になし。美女を称えるのに、美をもってしたがるのは、もはや私の本能、習性なのです。報われたことは、皆無ですが。擬人化イメージは、周りをバラが飛んでるペイオース。最後にやらかしたり、心が折れたらなかなか立ち直れないところも含めて。
・・・閑話休題。そんなマックスビューティの物語は、かなりシンプルな構成で、「誕生→牝馬三冠の栄光→最終関門での敗北→それから・・・(超ダイジェスト)」です。実際、彼女の物語は、他の構成が非常に思いつきにくい。「(略)長い低迷→オパールSでの復活!→それから・・・」に持っていくには、牝馬三冠での栄光が強烈すぎて、オパールS(OP)では不十分すぎるのです。
メジロラモーヌもそうなのですが、4歳(現3歳)有馬記念以降の戦績がアレなので、マックスビューティの強さを理解してもらえるのか・・・ひいては20世紀の競馬の常識が、今のファンにどれほど共有されているんだろうか・・・というのが、とても不安なものを感じていたりします。チューリップ賞が重賞でなかったという程度は調べればわかるとしても、中長距離で牡馬をなで斬りにするアーモンドアイとか、クロノジェネシスとか、あんな化け物、普通はいないんだよ???と涙目になってしまいそうな昨今の競馬情勢。80年代のメジロラモーヌ、マックスビューティとか、90年代のヒシアマゾン、エアグルーヴとか、あの時代の中長距離戦線における牝馬の位置づけは、感じていない人にはものすごく説明が難しいし、説明できても伝えようとしたことの100%は絶対に伝わっていないことでしょう。だからこそ、今の感覚と昔の人々の感覚のズレに気づき、それを楽しめる逸材を発掘するために、列伝はネットのどこかに(放置でも)維持しておくべきなのです。
そんな究極美人の偉大さを後世に残すためには、メジロラモーヌとあわせてウマ娘化してほしいし、「マヤノ」と同じ中の?人なので馬主的にはクリアできるはずなのですが、他のウマ娘化された馬との関係の薄さが大いなるネックです。もしや、やたら二冠牝馬と絡んでいる「ビューティー安心沢」の正体が彼女だなんてオチではあるまいな?あと、話題のタイテエムが、この列伝で出てきているとは思わなかった。。。
サクラスターオーのエピソードの数々は、非業の死を遂げた馬たちの中でも、特に心に染み入るものがあります。華やかな舞台に無縁なところにいた中で、サクラスターオーというクラシック=憧れの舞台で戦える馬に出会い、そして戦った平井師、東騎手の立場と戦いぶりに、私自身、感じるところがあるのかもしれません。
復刻列伝の編集後記は、見知らぬ方の「(未実装馬について)ウマ娘にこの馬を実装してくれと必ずぼやいてる」という書き込みを見て、なるほどと感動したのですが、サクラスターオーだけは、果たして実装を望むべきなのかどうか。
「天国に行ってまで走らなくていい・・・」
と棺にメンコも入れなかったというエピソードも納得せざるを得ない壮絶な馬生をたどったサクラスターオーだけに、果たして
「ウマ娘に転生してまで、走れ!」
なんて望んでいいんだろうか・・・?と迷いを感じてしまうのです。
「サクラ家」に「メジロ家」のような関係や交流があるのかどうかは知りませんが、どう考えても不幸体質で苦労性になりそうなサクラスターオー嬢(ウマ娘)(これだけだとライスシャワー(ウマ娘)とキャラがかぶるけど)と、
「バクシンバクシンバクシーン!」
な委員長のどう見てもかみ合わなそうな関係は、見てみたいのですが。
]]>「この馬って、ダービーエピソードのカタマリじゃね?」
ということ。父マルゼンスキーが出られなかったダービーを制したとか、「サクラ」の1歳上の先輩である二冠馬サクラスターオーが亡くなって間もなく、唯一勝てなかったダービーを制したとか、我々の世代にとっては馴染み深いサクラ=フトシのラインが、一度絶えながらもこの時のダービー制覇で復活のきっかけになるとか、スポ根ものでそんなシナリオを書いたら
「あざとすぎるわ!www」
と編集さんに突っ返されそうなレベルです。
あと、サクラチヨノオーは「オグリキャップ世代」のダービー馬になるわけですが、日本の競馬にとって「オグリ以前」「オグリ以後」で質的な変化があったことは、割と定説です。ここでいう「オグリ以後」とは、オグリキャップの登場でたちまち競馬が大衆に愛されるものになったわけではなく、オグリキャップによって呼び込まれた大量の新規層、ライト層の多くを数年かけて定着させることに成功したということなので、この時のダービーは、「オグリ以前」の色彩を極めて色濃く残していました。
(以下、本文引用)
さらに当時の小島騎手と岡部騎手といえば、当時は競馬界に知らぬ人はないほどの「宿敵」同士であり、「ライバル」というよりは純粋に仲が悪かったとすら言われていた。何せこの2人は、後ろにいる馬が相手だったら、たとえ自分の馬に脚がまったくなくなっていても絶対に譲らないと公言していたほどである。・・・もし当時の人々に、この2人が15年後には調教師と騎手として和解すると教えたとしても、たぶん誰も信じなかったことだろう。
(本文引用、ここまで)
・・・これでも表現を微妙にマイルドにしたのですが、こんな騎手同士の人間関係(のドロドロ)が、ネットもないのに紙媒体で堂々と語られていた鉄火場、それが「オグリ以前」だったのです。これでも競馬界はハイセイコーによって雰囲気が大きく変わったらしいのですが、「ハイセイコー以前」はどんな世界だったんだろう・・・((((;゚Д゚))))
ただ、20年前の文章を復刻していてつらくなるのは、書いた時点では残されていた種牡馬としての希望が、現時点では木っ端みじんに打ち砕かれている馬がとても多いことです。サクラチヨノオーの場合、箸にも棒にもかからない大失敗ではなくて、皐月賞2着のサクラスーパーオーとか、複数の重賞勝ち馬とかを出しているだけに、それでも種牡馬として成功と言える水準に達しなかった競馬界の残酷さには震えるばかり。。。切なし。。。
というわけで、現実逃避も含めて、可愛いウマ娘たちに救いを求めてしまうのです。ミスターシービーさん、実装はよ!
]]>サブタイトルの「仁川早春物語」は、赤川次郎の「早春物語」より。・・・赤川次郎って、最近の若い世代にどの程度通じるのだろうか。
完結までとても長い時間がかかった阪神牝馬3歳S勝ち馬列伝ですが、アインブライド列伝までは、実は17年前の時点でほぼ完成していました。ただ…スティンガーとヤマカツスズランで苦戦したのは、他の馬とのセットでまとめるには少し強すぎたからのような気がします。・・・とはいえ、阪神3歳S勝ち馬列伝や牝馬三冠勝ち馬列伝の先例もあり、「阪神3歳牝馬S勝ち馬」もひとまとめにした時点で、このグループに入れるかどうかの基準は、「他のGlを勝ったか否か」というものにしかなりえません。そもそも「阪神3歳牝馬S勝ち馬」をひとまとめにしたのが、間違いだったかもしれません。
1991~2000年の阪神3歳牝馬S勝ち馬と牝馬三冠勝ち馬を並べてみました。( )内の数字は、G1勝ち、重賞勝ちです。
阪神3歳牝馬S ニシノフラワー(3,6)、スエヒロジョウオー(1,1)、ヒシアマゾン(2,9)、ヤマニンパラダイス(1,1)、ビワハイジ(1,3)、メジロドーベル(5,7)、アインブライド(1,1)、スティンガー(1,5)、ヤマカツスズラン(1,4)、テイエムオーシャン(3,5) G1 19勝 重賞42勝
桜花賞 シスタートウショウ(1,1)、ニシノフラワー(3,6)、ベガ(2,2)、オグリローマン(1,1)、ワンダーパヒューム(1,1)、ファイトガリバー(1,1)、キョウエイマーチ(1,5)、ファレノプシス(3,4)、プリモディーネ(1,2)、チアズグレイス(1,1) G1 19勝 重賞24勝
優駿牝馬 イソノルーブル(1,3)、アドラーブル(1,1)、ベガ(2,2)、チョウカイキャロル(1,2)、ダンスパートナー(2,3)、エアグルーヴ(2,7)、メジロドーベル(5,7)、エリモエクセル(1,4)、ウメノファイバー(1,3)、シルクプリマドンナ(1,1) G1 17勝 重賞33勝
エリ女(~95)、秋華賞(96~2000)リンデンリリー(1,2)、タケノベルベット(1,2)、ホクトベガ(1,13)、ヒシアマゾン(2,9)、サクラキャンドル(1,3)、ファビラスラフイン(1,2)、メジロドーベル(5,7)、ファレノプシス(3,4)、ブゼンキャンドル(1,1)、ティコティコタック(1,1) G1 17勝 重賞44勝
・・・G1勝ちでは桜花賞と並んでトップタイ、重賞勝ちではエリ女・秋華賞に負けていますが、ここはホクトベガの交流重賞での荒稼ぎが含まれていることを考えると、当時の阪神3歳牝馬Sは、相当レベルが高かったと思われます。
何はともあれ、長期未済案件がようやく一つ片付きました。
]]>サブタイトルの「みんな夢でありました」は、没後になかにし礼さんの姪という事実が流れ始めた故・森田童子さんのマイナー曲名を、母の馬名「アイドリームドアドリーム」ともリンクしうるのではないかという発想で借用しました。元ネタらしい学生運動へのシンパシーはかけらもない私ですが、人生と過去の普遍的な過ちを悔いるという側面で思い当たる節は山ほどあるだけに、この曲と詞はすさまじい破壊力で魂に染み入ってきます。ちなみに、カラオケで入っているのは見たことがありませんが、あったとしても場の空気を絶対零度にするだけなので、絶対に歌ってはいけません。
列伝復刻の最大のハードルは、執筆当時と現在の情勢が根本から異なることなのですが、エアシャカールの場合、当時から血統的には(産駒が少なすぎて)悲観的に書いていたことで、根本的な変更は不要でした。・・・とはいえ、今回エアシャカールの血統を調査してみたところ、彼の血統の断絶の可能性しか出てこず、絶望的な気持ちになってしまいました。子世代は牝馬ばかりなのに、孫世代では牡馬ばかりで、しかも貴重な娘の娘(2頭)は、最後のレースから何年も経っているのに、産駒の存在が確認できなかったり・・・。バイアリータ-ク系が存続レベルでやばくなるような時代だから仕方ないのかもしれませんが、血統の多様性というものが失われたのは、21世紀の競馬の本当に切ないです。
そんなエアシャカールは育成ウマ娘としては未実装ですが、ちゃんとウマ娘化されています。「アナーキーなまでのデ-タ至上主義者」というのは、ウマを傷つけない、よい改変。ウマのデータ演算を担当した「ウマ娘おじさん」も納得でしょう。・・・いや、「天才ユタカ」がまさか20年後に「ウマ娘おじさん」なんて呼ばれている図は、絶対に想定できない。。。あと、私自身も、ウマ娘化されているウマのことだって、忘れてはいないのです。
]]>オフサイドトラップというと、列伝のコンセプト的に「まだ書いてなかったのか」というくらい列伝的なGl馬です。彼は、屈腱炎を克服し、旧8歳にして悲願の重賞、そしてGl制覇を果たすも、自分とは無関係な悲劇によってその栄光をかき消され、不当な扱いを受けてきました。ウマ娘ですら、同馬主のエルコンドルパサーは実装済だから許可が出ないはずはないのに、存在そのものを抹殺されたうえ、自身の天皇賞での役回りもエルコンドルパサーに奪われました。しかし、そんな彼を支えた厩舎関係者の苦労や、馬主の父子二代の思い入れと執念は、競馬を彩る物語として、軽んじられてはならないのです。
しかし、retsuden.comは個人サイトなので、そうしたところに直接取材するルートなどありません。従って、物語を構成する材料集めは、既存メディアの記事に頼らざるを得ないのですが、オフサイドトラップの場合、厩舎関係者はともかく、馬主の物語性に注目してネタを集めてくれる記事がなかなか見つかりません。馬主へのインタビュー記事はあるのですが、同時期に活躍したエルコンドルパサーに分散・・・というより、そちらがメインとなっているため、マスコミもオフサイドトラップについて深みのある材料を引き出し切れていないのです。嗚呼、どこまで列伝のコンセプトに忠実な馬なんだ・・・T△T
というわけで、父がプレストウコウで勝てなかった天皇賞を、息子がオフサイドトラップで勝ったという点に注目してストーリーを組んでいったわけですが、欲を言うなら、父親自身のオフサイドトラップ優勝を踏まえたコメントが欲しかったところです。
他にも、「前に出すぎた敵を嵌め殺す=オフサイドトラップ」という出来すぎたサインも材料候補としてはあったのですが、こちらは最終的に断念しました。そもそもサイレンススズカの大逃げは、オフサイドトラップ陣営にはめられた結果というわけではありません。何より、書き手に14年ものブランクがあるので、あまり手を広げすぎるとまとまらないおそれがあります。
そういうわけで14年ぶりに送り出した列伝新作です。不出来な部分もあろうかと思いますが、生温かく見守っていただけましたら幸いです。
ところで、オフサイドトラップの天皇賞でのウイニングライブはどんな感じだったんだろう・・・?
]]>・・・しかし、そうした名馬揃いの20世紀の天皇賞・春勝ち馬たちの中で、世紀末には既に忘れられた存在となっていたのが、クシロキングです。彼の勝ったレースは、シンボリルドルフとのコンビで覚醒した岡部幸雄騎手の「3200mの競馬を1600mにする」という怪好騎乗が有名なのですが、好騎乗で勝った=馬の力ではない・・・という評価にすり替えられてしまった感があるのが悲しいところで、彼を追いかけた資料は、明らかに少なかったです。ちなみに、「3200mの競馬を1600mにする」理論は、競馬漫画「風のシルフィード」の中で、さりげなくライバル馬の1頭によってパクられ再現されているのがメジャー化の原因・・・なのかもしれません。(←ほんとかよ)
ところで、「風のシルフィード」というと、ひとつ疑惑があるのが、中山の直線の坂。作中で通称「地獄の壁」と言われているそうなので、私もそれを信じていたのですが、冷静になってリアル競馬を追いかけてみると、中山の坂を「地獄の壁」と呼んでいるのは、聞いたことがない気がする。。。騙されていたのか・・・?( ゚Д゚#)
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