サクラチヨノオー列伝・編集後記
サクラチヨノオー列伝の復刻ということで自分の文章を読み直しサクラチヨノオーの馬生を振り返りながら感じたのは、
「この馬って、ダービーエピソードのカタマリじゃね?」
ということ。父マルゼンスキーが出られなかったダービーを制したとか、「サクラ」の1歳上の先輩である二冠馬サクラスターオーが亡くなって間もなく、唯一勝てなかったダービーを制したとか、我々の世代にとっては馴染み深いサクラ=フトシのラインが、一度絶えながらもこの時のダービー制覇で復活のきっかけになるとか、スポ根ものでそんなシナリオを書いたら
「あざとすぎるわ!www」
と編集さんに突っ返されそうなレベルです。
あと、サクラチヨノオーは「オグリキャップ世代」のダービー馬になるわけですが、日本の競馬にとって「オグリ以前」「オグリ以後」で質的な変化があったことは、割と定説です。ここでいう「オグリ以後」とは、オグリキャップの登場でたちまち競馬が大衆に愛されるものになったわけではなく、オグリキャップによって呼び込まれた大量の新規層、ライト層の多くを数年かけて定着させることに成功したということなので、この時のダービーは、「オグリ以前」の色彩を極めて色濃く残していました。
(以下、本文引用)
さらに当時の小島騎手と岡部騎手といえば、当時は競馬界に知らぬ人はないほどの「宿敵」同士であり、「ライバル」というよりは純粋に仲が悪かったとすら言われていた。何せこの2人は、後ろにいる馬が相手だったら、たとえ自分の馬に脚がまったくなくなっていても絶対に譲らないと公言していたほどである。・・・もし当時の人々に、この2人が15年後には調教師と騎手として和解すると教えたとしても、たぶん誰も信じなかったことだろう。
(本文引用、ここまで)
・・・これでも表現を微妙にマイルドにしたのですが、こんな騎手同士の人間関係(のドロドロ)が、ネットもないのに紙媒体で堂々と語られていた鉄火場、それが「オグリ以前」だったのです。これでも競馬界はハイセイコーによって雰囲気が大きく変わったらしいのですが、「ハイセイコー以前」はどんな世界だったんだろう・・・((((;゚Д゚))))
ただ、20年前の文章を復刻していてつらくなるのは、書いた時点では残されていた種牡馬としての希望が、現時点では木っ端みじんに打ち砕かれている馬がとても多いことです。サクラチヨノオーの場合、箸にも棒にもかからない大失敗ではなくて、皐月賞2着のサクラスーパーオーとか、複数の重賞勝ち馬とかを出しているだけに、それでも種牡馬として成功と言える水準に達しなかった競馬界の残酷さには震えるばかり。。。切なし。。。
というわけで、現実逃避も含めて、可愛いウマ娘たちに救いを求めてしまうのです。ミスターシービーさん、実装はよ!