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レッツゴーターキン列伝~煌めく殊勲の向こう側~

『ローカルのスペシャリスト』

 大崎騎手と橋口師は、もともと同じ宮崎県出身という地縁で結ばれており、さらに大学卒業後、佐賀競馬で騎手をした後に中央競馬の門をたたき、調教師になったという異色の経歴を持っていた橋口師にとって、大崎騎手は憧れの存在でもあった。まさに新進調教師として頭角を現しつつあった橋口師は、谷川岳Sを勝ったことにより、レッツゴーターキンを大崎騎手に任せることになり、それ以降のレッツゴーターキンには大崎騎手が騎乗するようになっていった。

 すると、それまで成績の波が激しかったレッツゴーターキンが、安定した成績を残すようになってきた。北九州記念(Glll)ではヌエボトウショウ、小倉記念(Glll)ではイクノディクタスの2着に入り、さらに福島民報杯(OP)ではこの年2勝目を挙げた。続く好成績を受けて、レッツゴーターキン陣営は、中央開催へと打って出ることを決意した。

 ただ、それまでのレッツゴーターキンの戦績を見ると、良績はローカル開催に偏っていた。それまでのレッツゴーターキンの戦績は29戦6勝2着5回だったが、そのうちいわゆる「中央開催」での戦績は16戦2勝2着1回だったのに対し、「ローカル開催」での戦績は13戦4勝2着4回である。全国の競馬場を回りに回り、このとき既に阪神・京都・中山・中京・小倉・新潟・福島に出走経験を持っていた(後に東京にも出走)レッツゴーターキンだが、そのことの背景には、中央よりローカルと相性がいいという明確な数字があった。

 ローカルが得意な馬には、「小回りが得意」「坂が苦手」といった理由があることが多い。そうした観点からすれば、コーナーのつくりが広く、さらに大きな坂もある東京競馬場は、最も不向きなコースにも思われる。事実、レッツゴーターキンはそれまで1度も東京競馬場でのレースには出走すらしていなかった。しかし、そんなレッツゴーターキンが次走に選んだのは、東京競馬場のレースであるだけでなく、古馬の最高峰でもある天皇賞・秋(Gl)だった。

 レッツゴーターキンの関係者たちの中でも、橋口師などはレッツゴーターキンの天皇賞出走には消極的だったという。そんな彼に天皇賞行きを強く勧め、最終的に決断させたのは、大崎騎手の

「天皇賞へ行こう」

という言葉だった。・・・それでも橋口師の方は、レース当日まで半信半疑だったようだが。

『一本かぶりの中で』

 第106回天皇賞・秋(Gl)の出走馬は、例年に比べると手薄なものだった。当時の古馬中長距離界の両雄というべき存在は、メジロマックイーンとトウカイテイオーだった。しかし、天皇賞・春を制したメジロマックイーンは、この時骨折で戦線を離脱しており、さらにトウカイテイオーも、骨折明けだった上、天皇賞・秋に間に合わせるため、かなり無理をしての急仕上げであることが報じられていた。

 しかし、トウカイテイオー以外の出走馬はというと、Gl馬は宝塚記念(Gl)を逃げ切ったメジロパーマー、へそ曲がりのマイル王・ダイタクヘリオスしかいなかった。当時のメジロパーマーは、宝塚記念制覇はまだフロックと見られており、ダイタクヘリオスも、距離が明らかに長いとみられていた。そんなわけで、ファンの注目は復帰したトウカイテイオーただ1頭に集まり、

「トウカイテイオーなら、絶対能力の差で何とかしてくれる・・・」

という期待ばかりが先に立つ情勢だった。この日の2番人気が、「善戦マン」として有名なナイスネイチャだったことからも、この日の人気の傾向は、ある程度見て取れる。

 そんな出走馬たちの中ではあったが、「ローカルの強豪」ではあってもそれ以上ではないレッツゴーターキンに注目するファンは、きわめて少数だった。中央開催の頂点に挑むローカルのスペシャリストに寄せられた支持は、単勝3420円の11番人気というものだった。

『水面下の戦い』

 大崎騎手は、あらかじめ橋口師と話し合い、採るべき作戦を決めていた。レッツゴーターキンは、もともと末脚に賭ける差し馬である。ダイタクヘリオスとメジロパーマーという2頭の逃げ一手の馬が揃ってハイペースが必至と思われるこのレースでは、下手な小細工はせずに、最後方待機の直線勝負に賭けた方がいい。小回りのローカルで鋭い脚を使って勝ってきたこの馬なら、展開さえはまれば、見せ場は作れるはずだ・・・。

 枠順の決定の際に、外枠不利といわれる東京2000mで、先行に有利な2番という内枠をひいた時には、好位につけての先行策にほんの少し心が動いたという大崎騎手だったが、彼はついに作戦を変えることはなかった。ローカルとはいえ、それまでの競馬で築いてきた実績と信頼が、彼の作戦に自負と確信を与えていた。

 ただ、この作戦にはひとつだけ不安があった。レッツゴーターキンは、臆病といっていいほど繊細な馬である。初めての東京競馬場の大観衆、それもGlの異様な雰囲気に入れ込んでしまうと、最後方待機で我慢できないまま、なし崩しに脚を使ってしまうのではないか・・・それだけが心配のタネだった。

 レース直前になると、レッツゴーターキンは、案の定、それまで経験したことのない大歓声に興奮していた。大崎騎手は、馬を落ち着かせようと思い、本馬場入場の時には、レッツゴーターキンを他の馬とは逆に回らせた。それで一度は落ち着いたかに見えたレッツゴーターキンだが、ゲート入りの際にはまた暴れ始め、今度は大崎騎手を振り落としてしまった。場内からは、思わぬアクシデントに苦笑いも起こった。

 ・・・しかし、大崎騎手を振り落としたことで、結果的にレッツゴーターキンは平常心を取り戻した。大崎騎手が再び騎乗すると、今度は至極冷静にゲートに収まったのである。しかも、大嫌いなゲート入りが最後に回されたおかげでゲート内にいる時間も短く済んだ。・・・そして、レースが始まった。

『劇場、開幕』

 この日展開されたレースの内容は、恐ろしいものだった。―それは、本来誰もが予想したとおりの展開のはずだったが、まさかそこまで激しいものになるとは、誰1人予想していなかったのである。

 戦いは、メジロパーマーとダイタクヘリオスの激しい先頭争いによって始まった。1番人気のトウカイテイオーも、好スタートを切って2頭のすぐ後ろにつけた。

 この日のトウカイテイオーは、18頭立ての15番枠に入っており、外枠不利とされる東京府中2000mでは決して有利とは言いがたい位置にいた。スタートしてすぐに全馬が一斉に第2コーナーへ殺到するこのコース構造は、外枠をひいた場合、位置取りで大きな不利を受ける。トウカイテイオーの父シンボリルドルフが敗れたのも、17頭立て17番で出遅れたことが最後にたたったものである。

 しかし、府中コースを熟知した岡部幸雄騎手は、トウカイテイオーに見事なスタートを切らせることに成功した。・・・まさか、このことがトウカイテイオーにとってむしろ仇となっていくなどとは知る由もない。

『死のハイペース』

 レースを引っ張るメジロパーマーとダイタクヘリオスは、互いにまったく退く気配を見せなかった。希代の逃げ馬であり、しかもいずれもGlをそれ以前に1つ、その後にもう1つ制した実力馬である彼らは、互いに一歩も引かないまま、激しく競り合った。・・・そうなれば、レースのペースがどうなるかは、火を見るより明らかである。

 メジロパーマーとダイタクヘリオスのペースは、みるみる吊り上がっていった。そして、トウカイテイオーをはじめとする先行馬たちも、否応なくこのハイペースに巻き込まれていった。

「速い!」

 ラップを見た人間は、皆自分の目を疑った。1000m通過は57秒5。通常の天皇賞・秋のラップより1秒は速い。それでもダイタクヘリオスとメジロパーマーは互いに譲らず、2頭の競り合いは第3コーナーと第4コーナーの間まで続いた。1400m通過が1分20秒8。これは、もはや驚異を通り越して狂気のハイペースである。いくら前の2頭が実力のある逃げ馬でも、これでは粘れるはずがない。

 トウカイテイオーは、前が失速していく中、第4コーナーのあたりから抜け出しにかかった。しかしいくらトウカイテイオーでも、この殺人ペースで3、4番手についてきて直線で抜け出し、後続を突き放すことは不可能だった。1600m通過タイムは1分33秒3であり、マイル戦の日本レコード1分32秒4と1秒も違わない。この年の春に同じ東京競馬場で行われたマイルGl・安田記念でのヤマニンゼファーの勝ちタイムは、1分33秒5だった。2000mの中間ラップがマイルのGlを上回るタイムなのだから、いかに狂気のペースだったかが分かろうというものである。

 案の定、いったん先頭には立ったものの、坂を上がると、トウカイテイオーの行き脚はみるみる怪しくなっていった。無論、地獄を見たのはトウカイテイオーだけではない。先行馬有利のはずの府中2000mで、先行した有力馬はことごとく無惨な総崩れとなったのである。トウカイテイオーの横を、後方にいたがために殺人ペースに巻き込まれなかった格下の馬たちが駆け抜けて行く。その中に、大崎騎手に押されたレッツゴーターキンの姿もあった。

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