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阪神3歳牝馬S勝ち馬列伝~仁川早春物語(下)~

~ヤマカツスズラン~
1997年4月14日生。2010年7月2日死亡。牝。栗。池添兼雄厩舎(栗東)。

父ジェイドロバリー、母フジノタカコマチ(母父コリムスキー) 岡崎牧場(浦河)。
3~7歳時26戦6勝。阪神3歳牝馬S(Gl)、クイーンS(Glll)、マーメイドS(Glll)、全日本サラブレッドC(統一Glll)優勝。

『不屈の矜持』

 1999年の阪神3歳牝馬Sを制したヤマカツスズランも、Glを勝った後も競走生活を長きにわたって続け、2つめのGlは勝てなかったものの、重賞勝ちを3つ増やした実績馬である。その意味で、彼女の存在は、スティンガーと重なるところがある。

 ただ、日本最大の牧場で、時代の最先端とも言うべき血統を持って生まれたスティンガーとは違って、小さな牧場で、血統的には平凡な生まれだったヤマカツスズランは、出走したレースの大きさはスティンガーより地味ながら、芝、ダートを問わず実績を残した。常時一線級の相手と死闘を繰り広げたというよりは、勝てそうなレースや上位に入れそうなレースを狙って走ったものの、好調な時期とそうでない時期の差も大きい競走生活だったが、古馬になってから重賞3勝を加えた彼女の実績は、単なる早熟馬ではなかったことを証明するには十分なものだったと言えよう。

 早い時期から実績を残しつつ、長期にわたって走り続け、実績を積み上げることは難しい。それをなし遂げたヤマカツスズランの馬生も、Gl馬という矜持を胸に、厳しい競馬の現実にも屈することなく戦い抜いたひとつの物語というにふさわしい。

『浦河にて』

 ヤマカツスズランは、1997年4月14日、浦河の岡崎牧場で生まれた。父はジェイドロバリー、母はフジノタカコマチという血統である。

 岡崎牧場は、繁殖牝馬が10頭前後という小規模な牧場で、その中でのフジノタカコマチは、競走馬としてJRAで13戦3勝という成績を残した期待の繁殖牝馬だった。

 ただ、フジノタカコマチは、初めて勝ち上がったのが旧4歳11月の未勝利戦と非常に遅かった。フジノタカコマチの時代であれば未勝利でも長く見守ってもらえたが、この時期の競馬界では、馬の見切りが早くなり、未勝利のままそんな時期まで走らせてもらえることは、ほぼ期待できなくなっていた。そこで、フジノタカコマチの交配相手として、ダート戦に強く、旧3歳戦での実績が豊富なジェイドロバリーを選ぶことで、フジノタカコマチ自身が持ちえなかった仕上がりの早さを補おうとしたのである。

 こうして生まれたヤマカツスズランは、とてもおとなしく人懐っこい牝馬だったという。

『化けた牝馬』

 やがて育成施設に移されたヤマカツスズランだったが、しばらくの間、物見をしてなかなか本気で走ってくれないという欠点を見せていた。そのため、周囲からは

「何がいいのかよく分からない」

という評価はまだマシな方で、中には

「(今年の入厩馬の中では)この馬が一番動かない」

などとささやく声すらあったという。

 それが大きく変わったのは、屋外での走りに慣れてきたころで、まともに走るようになってからは動きも見違えてきた。

 ただ、それはあくまでも内輪での評価である。血統は言うまでもなく、動きが良くなってきたからといって、時計が目に見えて素晴らしいわけでもない。誰からも分かりやすい指標としては、彼女の評価をなかなか表現できない。そうした幼駒が売れ残ることは、決して珍しいことではない。

『トレーニングセールの邂逅』

 そんなヤマカツスズランを見出したのは、池添兼雄調教師だった。

 池添師は、もともとは騎手としてデビューしたものの、約18年間の現役生活で通算185勝、しかもそのうち130勝は障害でのもので、平地の大きなレースには縁がないまま、騎手生活を終えた。その後、調教助手を経て念願の調教師免許を取得し、この時期には、99年3月の厩舎開業に向けて馬集めに駆け回っていた。

 池添師は、馬集めの一環として北海道の別のトレーニングセールにやってきたものの、そこではいい馬を競り落とすことができなかった。このままでは北海道まで来た意味がない…と足を伸ばしたひだかトレーニングセールで、彼はたまたまその日に上場されたヤマカツスズランと出会ったのである。

 池添師がヤマカツスズランに惹かれたのは、彼女が叩き出した200m11秒3という時計よりも、走るフォームの美しさだった。

「牝馬にしては、大きく走る馬だ・・・」

 池添師のいうに、ヤマカツスズランの長所は、馬の走りだけを見ていては分からず、走り自体は平凡にすら見えるという。だが、彼女の走りは、見た目よりも時計が出る。なぜこんなに速いのか分からない、その走りこそが彼女の最大の魅力だった。

 もっとも、こうした着目点は、池添師だけのものである。彼女をもっと見たいと思った池添師が展示場に行ったら馬がおらず、厩舎に行ってもいないため途方に暮れていたところ、既にセリが始まっていたため、あわてて声をかけたというが、長所が通常の目利きでは理解できないヤマカツスズランは、誰かに競られることもなく、将来のGl馬にはあるまじき1050万円という価格で競り落とされた。

 ひだかトレーニングセールは、それまで庭先取引ばかりだった日本の競走馬取引にも海外のトレーニングセールのような取引の場を設けたいということで97年に始まったばかりであり、この年には47頭が競り落とされたが、最高価格は4252万5000円、平均価格は約1140万円だったというから、ヤマカツスズランの格安さが分かろうというものである。

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