ナリタホマレ列伝~時代の狭間を駆け抜けて~
『水沢競馬場の特別な1日』
1998年12月14日、歴史上唯一の水沢開催となる統一Gl・第13回ダービーグランプリは、コースに水が浮くような不良馬場でのレースとなった。ファンの支持は当然のようにウイングアローへ集まり、1番人気どころか単勝110円の一本かぶりである。これに2番人気マイターンが単勝650円で続き、ナリタホマレは単勝820円の3番人気となった。
ゲートが開くとともに飛び出したのはイヴニングスキーだったが、その後の一見激しい先頭争いの末、マイターンが先導役を務めることになった。ペースは、決して速くはない。
ナリタホマレは、好位につけて先行馬たちをうかがう位置から競馬を進めた。これに対し、圧倒的1番人気を背負ったウイングアローは、少頭数を見込んでか、馬群の内側で後方待機策をとっている。
ロバーツ騎手は、この日の相手をウイングアローと見定め、最大のライバルとの位置関係を気にかけていた。ウイングアローが自分より後方にいることを察すると、
「ウイングアローに追いつかれてはいけない」
と、どこで仕掛けるかに注意を払い始めた。幸い、スタート時点から、ナリタホマレの手応えの良さは確認できている。ただ、追いつかれてからの瞬発力勝負になると、勝機は薄くなってしまう。
『世界の手綱』
水沢2000mコースは、小回りで2周回る形になるが、2周目の向こう正面に入って落ち着いていたペースが上がり始めたところで、ロバーツ騎手はナリタホマレにゴーサインを出した。ウイングアローがまだ追いついていないここで動き、ウイングアローを引き離せるうちに引き離すことが、ロバーツ騎手の策だった。
ナリタホマレも、ロバーツ騎手の指示に応えてするすると上がっていき、気が付くと、第4コーナー手前では、2番手で先頭のマイターンをうかがう位置まで上がっていった。ロバーツ騎手は、ナリタホマレの反応の良さに
「これならいける!」
と、勝利の予感を感じたという。 そのころ、武騎手とウイングアローも、泥をかぶりながら内を衝いて徐々に位置を押し上げていた。もしロバーツ騎手の仕掛けがもう少し遅れていれば、「ウイングアローに追いつかれてはいけない」という彼の基本戦略は破たんしていたことだろう。世界の名手は、初めて騎乗する馬でも、初めて対戦する馬を相手に、未知の地方競馬場でのレースの流れを読み切っていた。
『王を沈めた一撃』
直線に入ると、ナリタホマレはマイターンをかわして先頭に立った。直線で逃げ込みを図る彼らの焦点はただ一つ、「ウイングアローは来ているのか」である。
だが、ウイングアローはまだ来ていなかった。小回りのコースを縫って馬群の内から抜け出すまでに手間取り、いつもの爆発的な末脚が見られない。ウイングアローとは、馬場と展開がハマれば爆発的な末脚を発揮する一方で、ハマらなければ差して届かず、または末脚不発に終わることも珍しくない不器用さを特徴とするサラブレッドだったが、この日はどちらかといえば後者よりだったかもしれない。
それでも、ウイングアローは、4歳ダート三冠に王手をかけた世代ナンバー1の矜持とともに追い上げ、ゴール直前でマイターンをとらえた。残るはあと1頭。・・・だが、その1頭の背中は、世界的名手が敷いた栄光への軌跡を爆走し、もう届きそうにない。
こうしてナリタホマレは、ウイングアローの追撃を4分の3馬身抑え、第13回ダービーグランプリを制覇した。ナリタホマレは、ウイングアローの4歳ダート三冠、そして4歳統一グレード完全制覇の野望を阻止したばかりか、世代唯一の統一Glの栄光も自ら手にしたのである。
『世界を変えた番狂わせ』
ロバーツ騎手にとって、この日の勝利は、前日の朝日杯3歳Sに続く2日連続のGl制覇となった。この点についてコメントを求められたロバーツ騎手は、
「昨日の(アドマイヤコジーン)は、勝てる馬に乗せてもらったから。今日のは少しラッキーだったよ」
と話している。アドマイヤコジーンとナリタホマレの位置づけには、彼の中で、明確な差があったようである。とはいえ、勝利を「少しラッキー」と評する程度の評価だったナリタホマレが、大本命ウイングアローを抑えてGl戴冠を果たしたことは、彼の手腕による成果の証でもあった。
もっとも、この結果に対する最も一般的な反応は、単勝110円の大本命に推されたウイングアローが敗れたことに対するため息だったかもしれない。
この日のダービーグランプリは、「4歳ダート三冠」としては3年目、統一グレード制としては2年目だったが、それまでテコ入れの割に結果が出ていなかった馬券の売上が、この年はようやく大きな成長を見せる数字となっていた。95年(勝ち馬ルイボスゴールド)は1億1249万9400円だったダービーグランプリの馬券売上は、「4歳ダート三冠」の成立と皐月賞馬イシノサンデーの参戦で注目された96年(勝ち馬イシノサンデー)が1億2544万7200円、統一グレードの発足によって初めて統一Glとして実施された97年(勝ち馬テイエムメガトン)が1億4318万5100円と、右肩上がりではあっても、歴史的な改革の結果としては物足りない水準にとどまっていた。しかし、ウイングアローの快挙をナリタホマレが阻止した98年は、開催の順延や水沢開催への変更といった苦難にも関わらず、一気に2億2425万8000円に跳ね上がった。
もっとも、これが単なる「ダート三冠効果」でなかったことは、翌99年(勝ち馬タイキヘラクレス)が3億9538万9800円、00年(勝ち馬レギュラーメンバー)が3億0286万2100円と、この年を境に、馬券の売上水準が切り上がっていることからも見て取れる。地方競馬への新時代の到来を告げる改革の効果が、ようやくダービーグランプリ、そして地方競馬に届くひとつのきっかけになったのではないか・・・。この時点で岩手県競馬の関係者やファンがそう考えたとしても、それはおかしなことではなかったであろう。その答えが思わぬ、しかも極めて深刻な形で表面化するまでは、まだもうしばらくの時間を必要としていた。