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ナリタホマレ列伝~時代の狭間を駆け抜けて~

『ピークアウト』

 オグリキャップ記念の勝利によって、再び日本のダート界の頂点を目指す資格を得たかに見えたナリタホマレだったが、次走の帝王賞(統一Gl)では、メイセイオペラから大きく引き離された4着に敗れた。川崎記念でアブクマポーロだった勝ち馬がその後継者と目されるメイセイオペラに代わり、タイム差は0秒8から1秒4に広がった。旧6歳世代のサプライズパワー、オースミジェットという年上のライバル2頭に後れを取ったことも、同じである。最後方からいい末脚を見せていたとはいっても、この結果では、本当の世代交代など望みようもない。

 ナリタホマレは、帝王賞の後、しばらく休養に入った。今はまだ届かなくても、次に対決するときに雪辱を果たすため、臥薪嘗胆の時を過ごす。それが谷師らの思いだったに違いない。

 しかし、休養から復帰したナリタホマレの凋落は、急速に進んでいった。99年後半以降のナリタホマレの戦績を見ると、見るべきものは、極めて乏しい。復帰戦のエルムS(Glll)では8着、そして南部杯(統一Gl)でも7着に敗れ、99年後半の最高着順は、東海菊花賞(統一Gll)の4着にとどまった。同年を通して見ても、9戦走った結果は、オグリキャップ記念の1勝以外で3着以内に入ることすらなかった。

『遠い落日』

 翌2000年のナリタホマレは、6戦を走ってダイオライト記念(統一Gll)でインテリパワーの3着、ブリーダーズゴールドC(統一Gll)でウイングアローの2着に入り、復調の兆しを見せたものの、兆しが現実となることはなく、その後勢いを失っていった。同年末のジャパンCダート(統一Gl)では、かつてしのぎを削ったウイングアローが世界に実力を示すそのはるか後方で9着に沈んだ。・・・これが、ナリタホマレにとって最後のGl挑戦となった。

 ナリタホマレというサラブレッドの戦績を振り返ると、こと重賞で好成績を残したのは2000m以上の距離があり、早めのスパートによって末脚勝負に持ち込んだとき…という法則がある。サラブレッドという品種としても、その中でもパワーが必要なダート馬としてもあまりに小柄な馬体ながら、十分な距離の下でのみ問われるスタミナを活かす競馬を得意としたナリタホマレは、まぎれもなくダートのステイヤーだった。しかし、時代とは、時に懸命に生きる者に対する過酷な仕打ちをためらわない。長い歴史を持つ芝のレースですら長距離が減少している中で、芝と比べて基幹距離が短く、2000mを越える大レースが限られるようになっていたダート界においては、ステイヤーと呼ばれる馬が生きのびられる余地は、確実に狭まっていた。

 2001年以降のナリタホマレは、重賞ではなくOPに主戦場を移した。しかし、その後の彼は、もはや「勝ち負け」と言える戦績を残すことすらまれとなっていき、存在感はさらになくなっていった。結局、2002年12月1日、春待月S(OP)に出走して5着となったレースが、ナリタホマレがJRAのレースで残した最後の足跡となった。  ナリタホマレがJRAで残した戦績は36戦5勝、勝った重賞はダービーグランプリとオグリキャップ記念の2つである。

『望まれなかった血』

 ナリタホマレがJRAでの役目を終えつつあったころ、彼に連なる種牡馬たちも時代の移ろいに直面していた。まず彼の祖父であるリアルシャダイは2000年の種付けを最後に種牡馬生活から引退し(2004年5月26日死亡)、父のオースミシャダイも、02年12月27日に死亡した。

 リアルシャダイは、11年連続JRAリーディングサイヤーに輝いた大種牡馬ノーザンテーストの牙城を崩して93年のリーディングサイヤーを奪取した名種牡馬であり、ナリタホマレはその直系の孫となる。

「リアルシャダイの後継種牡馬の1頭として、ナリタホマレの血を残せないか」

という発想が出てくるのは自然なことで、ナリタホマレの種牡馬入りの可能性が模索されたという。

 だが、リーディングサイヤーに輝いたリアルシャダイが輩出した2頭のGl勝ち馬のうち、天皇賞・春(Gl)2勝を含むGl3勝という最も輝かしい成績を残したライスシャワーは、95年宝塚記念(Gl)のレース中の事故により、種牡馬入りを果たすことなく、非業の死を遂げていた。リアルシャダイ産駒のGl馬として唯一種牡馬入りを果たした90年阪神3歳S勝ち馬イブキマイカグラも、高知競馬の怪物イブキライズアップが唯一の代表産駒で、JRAの重賞勝ち馬は輩出することができないまま、03年には種牡馬生活を抹消され、その後は功労馬として余生を過ごした(09年6月24日死亡)。

 オースミシャダイも含め、重賞級、あるいはそれ未満の水準で種牡馬入りした産駒も何頭かいたものの、リアルシャダイの直子である種牡馬の産駒としては、ナリタホマレがほぼ唯一といってよい成功例で、それ以外の特筆するべき産駒は出なかった。そのオースミシャダイといえど、ナリタホマレの活躍期となった98年、99年を含めて、種牡馬ランキング(総合)では100傑に入ることすらなかった。

 こうした産駒たちの苦戦の中で、リアルシャダイの血統的価値すら極めて低く見積もられるようになっていた。ナリタホマレの種牡馬入りは実現せず、JRAを去ったナリタホマレは、ホッカイドウ競馬へと移籍し、さらに走り続けることになった。

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