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幻の原稿

私が現在の半分以下の年齢だった頃に書きかけて完成させられなかった原稿が、私のPCの奥深くに眠っています。今読み返してみると、絶対に完成させるべきだった・・・と後悔するものもあります。十数年後にはおそらく失われていくであろう血統に、生き残る希望があるうちにその希望を描いておきたかった・・・

悔しいので、お蔵出し。。。

『シンザンとミホシンザン』

 浦河の名門牧場・谷川牧場の玄関脇に、1頭の名馬の銅像がそびえ立っている。観光名所として多くの観光客が訪れるその銅像の土台には、以下の詩文が刻まれている。

「皐月賞

日本ダービー

菊花賞

天皇賞

有馬記念

日本の競馬史上にはじめて

 五冠の言葉を残した

 シンザンよ

 シンザンよ

 お前が日本のターフに残した

 蹄跡は余りにも大きく

 おそらく消えることは

 ないであろう

 競馬のつづく限り日高に

 サラブレッド生産のある限り

 お前の額の星のように

 光り輝くことであろう

       武田文吾」

 この銅像は、1964年のクラシック三冠馬で、その後の実績も含めた「五冠馬」として日本競馬史にその名を刻むシンザンの像である。土台に刻まれた詩文は、現役時代のシンザンを管理した調教師である武田文吾師が、彼の功績を讃えるために、自ら筆を取ってしたためたものとされている。

 シンザンは、戦後初めて皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞というクラシック三冠を制し、さらに翌年は天皇賞、有馬記念を制した名馬の中の名馬である。その名にちなんで「神の讃えし馬」と呼ばれた彼は、後に「絶対皇帝」シンボリルドルフが現れるまでの間、日本競馬史における最高の名馬であり続け、「シンザンを超えろ」という標語は、すべてのホースマンたちの目標とされた。また、シンザンは競走馬としてだけでなく種牡馬としても活躍し、内国産馬不遇の日本の馬産界の中で多くの活躍馬を送り出し、後のトウショウボーイやマルゼンスキーといった内国産種牡馬たちが台頭する素地を築いている。

 そんな名馬シンザンは、1996年7月13日、35歳3ヶ月という天寿を全うして逝った。そんな偉大な名馬の銅像のもう少し奥で、もう1頭の名馬が今を生きている。その馬の名は、ミホシンザン。シンザンの代表産駒であり、自らも皐月賞、菊花賞の二冠を制し、さらに天皇賞の父子2代制覇を成し遂げた彼もまた、日本競馬史に残る名馬である。

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