メジロベイリー列伝・王朝最後の光芒
1998年5月30日生。2022年6月28日死亡。牡。黒鹿毛。メジロ牧場(伊達)産。
父サンデーサイレンス、母レールデュタン(母父マルゼンスキー)。武邦彦厩舎(栗東)。
通算成績は、7戦2勝(旧3-5歳時)。主な勝ち鞍は、朝日杯3歳S(Gl)。
(列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、旧年齢(数え年)で記載しています。)
『ある軍団の終焉』
2011年5月15日、新潟競馬場第4レースの3歳未勝利戦は、競馬ファンから特別な感傷に満ちた注目を集める一戦となった。それは、かつて日本競馬を代表するオーナーブリーダーとして知られた「メジロ軍団」の所属馬が走る最後のレースだった。
日本競馬のオールドファンにとって、「メジロ」という響きは特別な意味を持つ。
「ダービーよりも天皇賞を勝ちたい」
という言葉があまりにも有名な北野豊吉氏によって率いられ、ごく初期の例外を除いて「メジロ」の名を馬名に冠したこの軍団は、約50年間の歴史の中で、天皇賞7勝をはじめとする輝かしい栄光をいくつも手にしたが、そんな歴史ある軍団も、豊吉氏やその妻であるミヤ氏の死による代替わりと時代の流れによって、その勢いはいつしか衰え、21世紀に入ってからは、Glはおろか、重賞を勝つ機会も少なくなっていた。そして、「メジロ軍団」の中核法人である「メジロ牧場」、そして軍団そのものの解散が発表され、その所有馬が走る最後のレースがこの日だった。
「メジロ軍団」最後のレースに出走したメジロコウミョウは、単勝980円の5番人気と、前評判こそ決して高くはなかったものの、レースではその評価を覆して優勝し、名門の有終の美を飾った。いつもの未勝利戦とは違う歓声と興奮に包まれたこのレースをもって、「メジロ軍団」の輝かしい歴史の幕は、静かに下ろされた。
「メジロ軍団」の最後の勝利は、前記の通り2011年5月15日の3歳未勝利戦だったが、最後のGl勝利は、2000年の朝日杯3歳S(Gl)でのメジロベイリーである。メジロ軍団最後の天皇賞馬メジロブライトの弟として生を享けたメジロベイリーは、兄の「晩成のステイヤー」というイメージに反して旧3歳Glを制したことで、翌年のクラシック戦線、そしてそれ以降の活躍が期待されていた。その期待は、結果としてはかなわなかったものの、メジロベイリーこそが栄光ある「メジロ軍団」のGlにおける最後の光芒となったのである。
『羊蹄山の麓にて』
1998年5月30日、北海道・羊蹄山のふもとにあるメジロ牧場で、1頭の黒鹿毛の牡馬が産声をあげた。やがて20世紀最後の朝日杯3歳Sの覇者、そして「メジロ軍団」最後のGl馬へと駆け上る、後のメジロベイリーである。
メジロベイリーの母であるレールデュタンが競走馬として残した22戦4勝という戦績は、平凡とは言えない。・・・ただ、重賞は京都牝馬特別(Glll)に1度出走しただけで着順も5着というと、特筆するべきとまででもないかもしれない。現役時代はメジロ軍団と特に関係がなく、それゆえに馬名にも「メジロ」の冠名を持たない彼女は、マルゼンスキーを父に持つ血統を買われてメジロ牧場へ迎えられ、繁殖牝馬となった。
しかし、繁殖牝馬となったレールデュタンは、まず第3仔のメジロモネ(父モガミ)がオープン級へ出世したことで注目を集め、さらに第6仔のメジロブライト(父メジロライアン)が97年クラシック戦線の主役へと躍り出たことで、その存在感を一気に高めた。個性派世代として名高い97年クラシック世代で常に中心的地位を張り続けたメジロブライトは、三冠レースでそれぞれ1番人気、1番人気、2番人気に推されながら、4着、3着、3着にとどまって無冠に終わったが、菊花賞が終わった後は中長距離Gllを3連勝し、その勢いで挑んだ天皇賞・春(Gl)では、「メジロ軍団」にとっては7回目の天皇賞制覇、そして自身にとっては悲願のGl制覇を果たした。いつも人気を背負っては不器用な追い込みで栄光に迫りながら、最後は惜しくも敗れることを繰り返してきたメジロブライトが日本競馬の頂点に立ったこのレースは、
「羊蹄山のふもとに春!」
という実況が生まれたことでも知られている。
レールデュタンの第9仔となるメジロベイリーが羊蹄山のふもとのメジロ牧場で生まれたのは、4歳上の半兄メジロブライトの戴冠から約1ヶ月後のことだった。