メジロベイリー列伝・王朝最後の光芒
『ダービー馬の配合』
レールデュタンがサンデーサイレンスと交配された97年春は、最初、交配相手としてメジロライアンが内定していた。前年にデビューした初年度産駒から牝馬はメジロドーベル、牡馬はメジロブライトというクラシックの本命を送り出した実績と、メジロブライトの全弟ないし全妹を送り出すことが意識されていたためである。
しかし、
「ライアンであれだけ走ったんだから、サンデーだったらもっと凄い子が出てもおかしくない・・・」
という意見が出た。サンデーサイレンス産駒がデビューした95年は皐月賞(Gl)をジェニュイン、オークス(Gl)をダンスパートナー、そして日本ダービー(Gl)をタヤスツヨシが、翌96年には皐月賞をイシノサンデー、菊花賞(Gl)をダンスインザダークと、サンデーサイレンス産駒がクラシックレースを実に5勝していた。中でも皐月賞と日本ダービーは、メジロ軍団が創設以来一度も勝てていなかったため、
「なんとしても勝ちたい・・・!」
という思いは、「メジロ軍団」の誰もが共有する思いだった。クラシックに圧倒的な強さを誇るサンデーサイレンスの実績は、彼らに自らの「悲願」を改めて意識させるものでもあった。
こうしてレールデュタンの交配相手は、メジロライアンからサンデーサイレンスへと差し替えられることになった。ちなみに、マルゼンスキーの娘にサンデーサイレンスという配合は、翌98年、メジロベイリー誕生の翌週に日本ダービーを勝つスペシャルウィークと同パターンとなるが、当然のことながら、当時のメジロ牧場関係者にはそんな未来などをまだ知る由もない。