メジロベイリー列伝・王朝最後の光芒
『第52回朝日杯3歳S』
第52回朝日杯3歳S当日、単勝390円の1番人気に支持されたのは、タガノテイオーだった。彼は4戦2勝2着2回と連対率100%で、東京スポーツ杯3歳S(Glll)を勝ち、札幌3歳S(Glll)でジャングルポケットの2着に入った実績馬であり、メジロベイリーにとっては2度の新馬戦でいずれも対戦し、先着を許した相手でもある。
もっとも、1番人気のオッズが390円という事実が物語る通り、この年の朝日杯3歳Sはかなりの混戦模様で、2番人気以降も単勝430円のエイシンスペンサー、同490円のウインラディウス、同620円のネイティヴハート、同810円のテイエムサウスポーまでがオッズ3桁で続いていた。
そんな出走馬たちの中で、通算成績4戦1勝、この日が重賞初挑戦となるメジロベイリーは、同4050円の10番人気だった。抽選を突破してきた4頭の1勝馬の中では最上位だが、しょせんはその程度の人気である。
朝日杯3歳Sは、馬券上では非常に「固い」レースとして知られている。1949年に創設され、前年の99年までに51回を重ねてきたが、1番人気が実に23勝を挙げており、6番人気以下が勝ったのはわずかに4回、最低人気は8番人気だった72年のレッドイーグルと74年のマツフジエースだった。このデータからすれば、メジロベイリーは10番人気の時点でほぼ「圏外」といっても過言ではない。
ただ、そんなメジロベイリーにも明るい材料はあった。この日の鞍上には、1月に1000勝ジョッキーの仲間入りを果たした横山典弘騎手の姿があった。
『騎手は見ていた』
それまでメジロベイリーの4戦のうち3戦で騎乗していた武幸四郎騎手には、メジロベイリーの出走が4/13の確率でしかなかったことに加えて当日に阪神での先約があったことから、白羽の矢が立ったのが横山騎手だった。
横山騎手は、1969年にメジロタイヨウで天皇賞・秋、71年にメジロムサシで天皇賞・春を制するなど、通算559勝を挙げた横山富雄騎手の息子である。横山騎手自身も、騎手デビューから5年目の90年に、この年のクラシック戦線に臨む「メジロ軍団」の大将格メジロライアンのパートナーとして名高い。・・・ただ、その記憶は栄光というよりは苦難に満ちたもので、人気となりながらも惜敗を繰り返し、そのたびに厳しい批判の矢面に立たされた横山騎手は、批判の声を正面から受け止めながらも、メジロライアンに対する失望の声に対しては、「僕の馬が一番強い」とかばい続けた。「一番強い馬」であるはずのメジロライアンがクラシックで無冠に終わった原因は、馬ではなく自分の実力不足のせいだという十字架を自ら背負い続けた横山騎手は、91年にはついにそのメジロライアンで宝塚記念を勝ち、自身のGl初制覇を飾っている。
そんな横山騎手は、当日中山にいる予定にもかかわらず、朝日杯3歳Sでの騎乗予定馬はなかった。横山騎手にとっても縁深いメジロ牧場の期待馬への騎乗依頼というだけでなく、彼が北海道で幼駒を見学していた際にもメジロベイリーを目にしており、さらに新馬戦でも、彼はメジロベイリーのデビュー戦、折り返しとも、ハイフレンドリアルという馬に騎乗して、それぞれ6着、4着というひとつ後ろの順位から、メジロベイリーの走りを見せつけられていた。メジロベイリーが朝日杯3歳Sでは出走の可否すら抽選に委ねなければならない1勝馬だったことは、横山騎手にとって大きな問題ではない。
こうして「メジロ軍団」と父子二代にわたる縁を持ち、メジロライアンとともに一流騎手への道を歩み始めた横山騎手とメジロベイリーの新コンビが誕生し、横山騎手は、武幸四郎騎手から馬の情報も仕入れてレースに臨んでいた。
『静かな開幕』
ファンファーレが中山競馬場に鳴り響き、ゲートが開くと、ややばらついたスタートの中で、メジロベイリーは好スタートを切った。もともとメジロベイリーはゲートが上手く、初騎乗の横山騎手もこの点での心配はなかったという。
やがて15番枠のカルストンライトオがレースの主導権を握るべく先頭に立つと、横山騎手はメジロベイリーの手綱を抑えて好位に陣取った。周囲にはタガノテイオー、エイシンスペンサー、ネイティヴハートといった有力馬たちの多くがいる。この位置ならば、ライバルの動きを見ながら競馬を進めることができる。
この日の1000m地点でのラップは58秒4であり、そこまで速いペースではなかった。この展開であれば、ハイペースに巻き込まれて前崩れになる心配をせず、前の馬と有力馬たちの動きに合わせて動けるメジロベイリーの位置は、むしろ理想的なものとなった。
『動き始めた時間』
レースが中盤を過ぎたころ、展開を動かしに行ったのは、4番人気の地方馬ネイティヴハートだった。地方馬として初めてJRAのGlである1999年のフェブラリーS(OP)を制したメイセイオペラが所属するネイティヴハートには、メイセイオペラと同じ菅原勲騎手が騎乗していた。菅原騎手は、JRAでの騎乗経験の少なさゆえに直線で馬の壁に閉じ込められることのないように、外を衝いてまくり気味に進出を開始した。
1頭が動くべき時に動けば、すべてが動き始めるのが競馬である。ネイティヴハートに誘発されて、馬群の馬たち、そしてレースが動き始める。・・・だが、この時のメジロベイリーは、まだ動く気配がない。その結果、動いた馬たちにかわされたメジロベイリーは、直線を前に若干後退していく形となった。
ただ、この後退は、メジロベイリーの手応えの悪さゆえではなく、むしろ逆だった。実戦で初めてコンビを組んだ横山騎手は、メジロベイリーの反応に手応えを感じながらも、直線までは無理に動くべき時ではないと自重したのである。