メジロベイリー列伝・王朝最後の光芒
『佳境』
レースが直線の攻防に入り、第52回朝日杯3歳Sはいよいよ佳境を迎える。逃げてレースを先導したカルストンライトオは、残り200mを切ったあたりで失速し、それまで2番手でレースを進めてきたテイエムサウスポーが先頭に立った。
そんなテイエムサウスポーに対し、まずは外を回りながらも着実に押し上げてきたネイティヴハートが迫る。その後方からも、馬群を抜け出すまでにやや手間取りながら、タガノテイオーが上がってくる。そして、そのタガノテイオーの少し後方に、メジロベイリーの姿もあった。
横山騎手は、第4コーナーから直線へとなだれ込んだメジロベイリーの抜群の手応えに、もはや驚きの境地に至っていた。第4コーナーでの馬群の混乱にも巻き込まれずに済み、
「ひょっとしたら・・・」
と思ったという。そして、直線に向いたメジロベイリーに、横山騎手がいよいよゴーサインを出す。
『波乱の決着』
メジロベイリーの前方では、テイエムサウスポー、ネイティヴハート、タガノテイオーの競り合いが続いていた。中でも脚色がいいのはタガノテイオーで、一瞬突き抜けるような勢いを見せてもいた。・・・だが、伸び切れない。そこに跳んで来たのが、メジロベイリーだった。
先行する3頭の間に割り込むように突っ込んできたメジロベイリーは、残り50m付近でついに前に出た。外からはもう1頭、後方待機を決め込んでいたメイショウドウサンがものすごい勢いで追い込んできたものの、メジロベイリーには届かない。
塊のようになってゴールした5頭だったが、ゴールの瞬間にメジロベイリーがわずかながらも決定的に先頭に立っていたことは、誰の目にも明らかだった。メジロベイリーは、2着タガノテイオーには4分の3馬身差をつけ、栄光のゴールへ駆け込んだのである。2着から5着までの着差がすべてクビ差だったことを考えれば、メジロベイリーの完勝というべきだろう。
戦いを終えて検量室に戻ってきた横山騎手は、
「たまげた~!」
と第一声をあげたという。メジロベイリーが直線で繰り出した末脚は、彼の予想をも大きく超えていた。彼の予想を上回った部分が、そのまま後続につけた決定的な着差になったのである。
武邦師は、
「メジロベイリーには、3つの運があった」
と語った。ひとつは「13分の4」の確率を突破して、朝日杯3歳Sのゲートにたどり着いたこと。もうひとつは、そのように不利な状況であったにもかかわらず、レース当日の騎手として横山騎手を確保できたこと。そして最後のひとつは、絶好の枠を引いたことだという。これらの運を生かし切った結果が、1勝馬の10番人気からのGl制覇だった。
以前にも書いた通り、この日までの朝日杯3歳Sは、8番人気以上の馬しか勝ったことがなかった。朝日杯3歳Sにおける2桁人気の馬の勝利はメジロベイリーが史上初であり、単勝4050円も最高記録となった。ちなみに、朝日杯3歳Sは、21世紀最初の年である翌01年以降は「朝日杯フューチュリティS」とレース名を改めたが、その後も人気に近い決着が多く、メジロベイリーがこの時に記録した勝ち馬の最低人気と単勝最高配当は、2024年まで開催を重ねても、いまだに破られていない。
『勝利の裏側で』
もっとも、メジロベイリー陣営の歓喜の裏側では、大きな悲劇も起こっていた。
ゴールの直後、2着で入線したタガノテイオーからは、藤田騎手が下馬していた。最後の直線で、いったんは抜け出すかという勢いを見せながらもそこから伸び切れず、メジロベイリーに差し切られたタガノテイオーは、左後脚に明らかな異常を発症していた。
この日は第4コーナーで他の馬と接触して混乱に巻き込まれながらも直線でしっかり伸びてきたタガノテイオーだったが、藤田騎手によれば、残り1ハロンの手前から、馬のフットワークがおかしくなっていたという。藤田騎手が
「一番強い競馬をした。まともならぶっちぎって勝っていただろう」
と主張している通り、タガノテイオーも1番人気に恥じない充実した競馬を見せていた。それだけに、輝かしい栄光につながる未来が待っていてもおかしくないはずだったタガノテイオーだが、実際に彼を待っていたものは、もっと悲惨で残酷な現実だった。
彼に下された獣医の診断は、左第1趾骨粉砕骨折、予後不良というものだった。激走とGl2着の代償は、彼自身の生命だったのである。第52回朝日杯3歳Sは、10番人気メジロベイリーの番狂わせとともに、1番人気タガノテイオーの悲劇的な最期となったレースとしても、ファンに記憶されている。