ワンダーパヒューム列伝・たった2勝のクラシック馬
『ダートを切り裂く末脚』
この日は単勝570円の2番人気だったワンダーパヒュームだが、領家師は彼女の仕上がりに自信を持っていた。鞍上には、調教に続いて四位騎手がいる。領家師は、この時の新馬戦について
「まあ、勝てるかな・・・」
と思っていたという。
ところが、そんな楽観ムードは、スタートとともに吹っ飛んだ。この日のワンダーパヒュームは、スタートで大きく出遅れてしまったのである。
しかも、先行馬たちが少しでも好位置を確保しようとさらに激しく位置取り争いにしのぎを削っている中で、ワンダーパヒュームと四位騎手は、出遅れた不利を挽回しに行くどころか、後方にとどまったまま、押し上げていく気配すらない。
ワンダーパヒュームと先行勢の間の距離が広がっていく光景を見ながら、領家師は
「これはもう届かない・・・」
と絶望したという。もともとダートの短距離戦での出遅れは、芝やマイル以上の距離と比べても致命的なものとなりやすい。領家師は、この段階でもうレースをあきらめてしまった。
ただ、領家師の絶望をよそに、鞍上の四位騎手はまだ希望を捨ててはいなかった。彼は、調教でワンダーパヒュームに騎乗した際、走る意思さえ損ねなければ、走る馬であることを把握していた。それは、1200mのダート戦でも変わらない。
スタートで出遅れたのは、四位騎手にとっても想定外だった。だからといって、無理に追走させようとすると、彼女の気持ちを損ねてしまう。それよりは、勝負どころまで無理をせずに気持ちよく走らせることだけに心を配り、最後の直線での爆発力に賭けた方がいい・・・。それが、四位騎手の判断だった。
すると、ワンダーパヒュームの末脚は、最後の直線で、四位騎手の読み通りに弾けた。第4コーナーでも馬群の中にいた彼女は、直線で外に持ち出されると、1頭だけ次元の異なる末脚を爆発させたのである。
残り200mを切ってから物凄い切れ味を繰り出したワンダーパヒュームは、先行勢との差をみるみる縮め、次々とかわしていった。先に馬群を抜け出していたタマビッグエックスをとらえ、4分の3馬身ちぎったところがゴールだった。
『伝説の新馬戦』
レース後にコメントを求められて
「調教でもしまいがいい馬だし、スタート後に挟まれたこともあって、前半は無理しなかったんです」
と自らの策を明かした四位騎手だったが、それにしても、この日のワンダーパヒュームが見せた末脚の切れ味は凄かった。この日のワンダーパヒュームが記録した上がり3ハロンのタイムである36秒0は、四位騎手がステッキを使わなかったにもかかわらず、次点の馬より1秒3も速かった。
そして、この日ワンダーパヒュームが破った出走馬たちの中には、「マヤノトップガン」という名前があった。単勝170円の1番人気に支持されながら期待を裏切り、ワンダーパヒュームから7馬身遅れの5着に終わったこの馬は、後にGlを4勝して年度代表馬に輝く名馬となっていく。また、重賞には手が届かなかったものの、OPを3勝し、2度出走したエリザベス女王杯で3着、2着と健闘したのをはじめ、重賞2着3回、3着2回を記録した名脇役フェアダンスも、目立たぬながら(6番人気10着)、この新馬戦に出走していた。
後にGlや重賞を勝つ馬たちも、ほとんどの馬は新馬戦でデビューを飾る。そんな新馬戦で、歴史は時にとてつもない組み合わせを実現させることがあるが、競馬ファンがその奇跡に気づくのは、いつもずっと後になってからである。ワンダーパヒュームの母父にあたるトウショウボーイも、後に交配されてミスターシービーを出すシービークイン、「TTG」を形成するグリーングラスと同じ新馬戦でデビューし、見事優勝したことが知られている。ワンダーパヒュームの新馬戦も、後から振り返ってみれば、「伝説の新馬戦」と言ってよいメンバーが揃っていた。
『燃え上がる想い』
ワンダーパヒュームがこの日見せた勝ちっぷりは、レース中に勝手に絶望し、そしてその絶望の淵から無理やり引き揚げられた領家師の脳を焼くものだった。領家師は、自身の想定を大きく上回るワンダーパヒュームの末脚と手応えに、
「これは、ただものではない・・・」
と震えた。そして、ワンダーパヒュームを想定外の大器であると認めたうえで、その後のローテーションに向き合うことになった領家師だったが、彼はそのうち大きな課題と直面することになった。
実は、新馬戦を見るまでの領家師は、ワンダーパヒュームが新馬戦をあっさりと勝ち上がるようなら、オークスを目標にしようと考えていた。しかし、ワンダーパヒュームがデビュー戦で見せたのは、短い距離でこそ生きる、想定外かつ規格外のスピードである。
もともとワンダーパヒュームの血統は、母のラブリースターが2400mのエリザベス女王杯で3着に入った実績はあるものの、父のフォティテンは、明らかに仕上がりの早いマイラー血統である。
ワンダーパヒュームの資質を目の当たりにした領家師が、
「桜花賞に出してみたい…」
という思いにとらわれたこと自体は、不思議な話ではない。ただ、オークスではなく桜花賞を目指すとなると、残された時間はほとんどない。
『蹉跌』
領家師は、ワンダーパヒュームの「先」を見据えて、次こそは芝のレースを使うことに決めた。・・・ところが、ワンダーパヒュームは、新馬戦が終わったころからソエを気にするようになり、調教では「しまいをサッと追う程度」以上の強い仕上げができなくなってしまった。これでは、脚への負担が大きい芝のレースを使える状態まで仕上げることができない。
結局、ワンダーパヒュームの次走は、ダート1400mの寒梅賞(500万下)となった。・・・ならざるをえなかった。
前走の新馬戦での派手な勝ちっぷりを評価されたワンダーパヒュームは、ここでも単勝280円の1番人気に支持された。そして、新馬戦とは違って順調なスタートを切った彼女は、道中もスムーズに競馬を進めたように見えた。
ところが、この日の彼女は、勝負どころの第4コーナーで馬群に包まれ、直線での進路をなくしてしまった。最悪のスタートを切った新馬戦でスムーズに外へ持ち出せたことを思えば、皮肉な展開と言わざるを得ない。それでも馬群をこじ開けて、先に抜け出した馬たちを懸命に追い上げたワンダーパヒュームだったが、勝ち馬ダンツシュアー、2着馬マルブツメグミに0秒1届かず3着に敗れた。
「馬ごみに割って入る根性をみせてくれた。2戦目でこの競馬なら、上出来です」
と強がる四位騎手だったが、本賞金の上積みさえできない結果は、ワンダーパヒュームの進路に大きな影響を与えるものだった。
『桜へと続く道』
寒梅賞が終わった時点でのワンダーパヒュームは、単なる1勝馬にすぎなかった。この時点での1勝馬を桜花賞路線に乗せるには、かなりの運か、無理が必要となる。
定石に従うならば、自己条件の500万下で着実に賞金を積み上げたうえで、オークストライアルを目指すべきだろう。領家師が当初描いていたオークスへの道のりであれば、十分間に合う。
しかし、領家師が選んだのは、格上挑戦で桜花賞トライアルに挑み、一発勝負で桜花賞への出走権を獲得するという選択肢だった。もしここで敗れれば、今度はオークスへの出走すら難しくなるかもしれない。それでも領家師は、トウショウボーイの娘にフォティテンを交配したスピード主体の血を生かすため、ワンダーパヒュームをなんとか桜花賞に出したいと願った。
当時の桜花賞トライアルはチューリップ賞(Glll)、4歳牝馬特別(Gll)、アネモネS(OP)の3つで、重賞のふたつは上位3頭、アネモネSは上位2頭に桜花賞への優先出走権が与えられる。そして、例年であれば、これらのレースと桜花賞はいずれも阪神競馬場で開催されるが、この年に限っては、1月17日に起こった阪神大震災によって、阪神競馬場が深刻な損傷を受けていたため、復旧工事の間、これらのレースは京都競馬場で代替開催されることになっていた。
ワンダーパヒュームは、3つのトライアルの中でも実施時期が最も早い3月4日のアネモネSに出走することになった。重賞ではないがゆえに賞金も安く、優先出走権も少ないアネモネSだが、それゆえに有力馬の参戦が少ない。さらに、ソエに悩むワンダーパヒュームにとっては、本番とのレース間隔を確保できるというメリットもあった。そして、アネモネSはフルゲートにならなかったため、1勝馬のワンダーパヒュームも無条件で出走でき、桜花賞への出走の可能性は残った。
『拓かれた道』
ワンダーパヒュームにとって、通算3戦目となるアネモネSは、芝コースでの初めての実戦だった。前走で「底を見せた」という見方もあった彼女への支持は、単勝660円の4番人気にとどまった。もし人気通りの着順になれば、桜花賞への出走権は得られない。
領家師は、アメリカのセリ市に参加するため、アネモネSの開催時には、競馬場でなく関西国際空港にいた。しかし、ワンダーパヒュームのことは気になっており、事前に四位騎手に対して、
「桜花賞に出したいので、なんとか権利だけは取ってくれ・・・」
と頼み込んでいた。
しかし、領家師から桜花賞への希望を託された四位騎手を待っていたのは、非常に困難な展開だった。6番人気のヤングエブロスがマイペースで逃げてレースを作った結果、中団から競馬を進めたワンダーパヒュームたちは、緩やかなペースに我慢しきれず、かかり気味となってしまったのである。
馬との折り合いを懸命につけながらレースを進めた四位騎手だったが、馬群の中で、いつ馬の壁に閉じ込められてもおかしくない位置取りとなった。・・・しかし、勝負どころの第4コーナーで前が空いたワンダーパヒュームと四位騎手は、そこから鋭い末脚で馬群を抜け出し、先行するヤングエブロスに迫る。
ただ、道中気持ち良く逃げたヤングエブロスは、それゆえに十分な余力を残していた。そこに、ワンダーパヒュームが突然ソラを使い、四位騎手があわててハミをかけ直して気合を入れるというアクシデントも重なった。出走馬の中で最速の上がりを叩き出したワンダーパヒュームは、ヤングエブロスにクビ差まで迫ったものの、レースはそこでゴールを迎えた。
アネモネS、2着。ワンダーパヒュームは、桜花賞への優先出走権をかろうじて確保した。本賞金で出走のめどが立たない条件馬にとって、トライアルレースは、結果がすべてである。桜花賞への優先出走権を至上命題としてこのレースに臨んだ四位騎手は、領家師の頼みを果たした形となった。
『風は淀へと』
ただ、アネモネSというレースは、桜花賞トライアルとしての歴史が浅く、そのように位置づけられた91年以降の4年間を見る限り、桜花賞での結果は芳しくなかった。上位2着以内に入った8頭すべてが桜花賞に出走したものの、最高着順は94年のマックスジョリーの3着で、連対は1頭もいない。そんな過去の統計に加え、アネモネSの結果も「6番人気と4番人気」という人気薄の組み合わせで決まったとなると、ファンや識者の評価が高くはならなかった。
それでも、桜花賞への切符を手にした領家師は、四位騎手とともに本番に臨むつもりで、残る桜花賞トライアルを見守った。アネモネSに続いて3月11日に行われたチューリップ賞(Glll)は、直近4年間に誕生した桜花賞馬がすべてこのレースで連対した馬から出たという、桜花賞への王道ともいうべき最重要トライアルである。すると、アネモネSとは対照的に、1着は3番人気のユウキビバーチェ、2着は2番人気のプライムステージ、3着は1番人気のダンスパートナーと、人気と着順が若干入れ替わった程度の本命サイドの結果で決まった。もともとこの3頭は、桜花賞に最も近いと言われていた有力馬たちであり、「桜花賞の軸は、チューリップ賞上位馬」という統計を後押しする結果だった。
しかし、そんな流れを大きく変えたのは、チューリップ賞の翌週に開催された4歳牝馬特別だった。桜花賞戦線の様相を変える新興勢力は、前年までならあり得なかったところから現れた。