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ワンダーパヒューム列伝・たった2勝のクラシック馬

樫へと続く道』

 桜花賞馬ワンダーパヒュームは、次なる目標として、オークスでの二冠に挑むことになった。

 ワンダーパヒュームとラブリースターの母子関係や田原騎手、領家調教師や馬主の山元氏との奇縁などに加え、ワンダーパヒュームの担当厩務員が女性だったことも、ちょっとした話題となった。JRAにおける女性厩務員の担当馬によるGl制覇は、前年に安田記念とマイルCSを制したノースフライトに次ぐ2例目だった。マスコミが期待した「交流元年の地方馬によるクラシック制覇」という物語ではなくとも、ワンダーパヒュームもまた、彼女自身の物語をいくつも持つ馬であった。

 また、桜花賞制覇を果たした直後は様々な雑事に追われ、翌日には、桜花賞以前から決めていた北海道の牧場視察に出かけた領家師は、視察を終えて厩舎に帰ってきたところ、全国からのお祝いで足の踏み場もない状態になっているのを見て、驚いた。領家師は、改めて

「えらいことをしてしまった!」

と、自身が成し遂げたことの重みを実感したという。

 ただ、そうしたエピソードとは別に、競馬界やファンの間では、人気薄といってよい7番人気から桜花賞を制覇したワンダーパヒュームの快挙をフロック視する向きも少なくなかった。確かに「1勝馬が人気薄でGlを勝った」といえば、フロック視されやすい典型的なパターンである。

 桜花賞で敗れたライバルたちは、それぞれの立場で捲土重来を期していた。3着馬プライムステージは、9年前のオークスで3着に入った名牝ダイナアクトレス、5着馬ユウキビバーチェは、東京に強い父トニービンの血の底力に、4着馬ライデンリーダーは、オークスへの優先出走権によって繋がれた地方所属馬によるクラシック制覇の夢に、引き続き賭けている。2着馬ダンスパートナーに至っては、桜花賞での出遅れの原因を「馬がゲートを怖がっている」からとみた白井寿昭師が考案した、馬をゲート内にロープで縛りつける荒療治でのゲート練習が話題を呼んでいた。

 一方、桜花賞不出走のトライアル組からは、4歳牝馬特別(Gll)を制したサイレントハピネスが、

「オークスまでに体調を万全に持っていくことができない」

という藤沢和雄調教師の判断によってオークスを回避したことでファンを驚かせたものの、最後の英国三冠馬Nijinskyllの産駒であるイブキニュースターがもうひとつのトライアルであるスイートピーS(OP)を制し、上がり馬として人気を集めた。桜花賞で志を果たした者、惜敗した者、間に合わなかった者・・・それぞれが次の目標を求めて集まる舞台が、第56回オークスであった。

『最低人気の桜花賞馬』

 樫の女王への野望に燃える18頭が集結した第56回オークス当日、1番人気に推されたのは、桜花賞に続いてライデンリーダーだった。単勝オッズは170円から320円へと落としたものの、オグリキャップ、オグリローマンを輩出した笠松から来た雑草血統への期待は、桜花賞に続いてオークスでも健在だった。2番人気には英国三冠馬の忘れ形見イブキニュースターが食い込み、3番人気以降はダンスパートナー、プライムステージ、ユウキビバーチェといった春の実績馬たちが続く。・・・だが、ファンから託された馬券と夢の重みを示す単勝人気上位馬の中に、なぜか桜花賞馬の名前は挙がらない。

 桜花賞馬ワンダーパヒュームのオークスでの単勝1450円は、7番人気であった。通常、桜花賞馬がオークスに出走した場合、ただ桜花賞を勝ったという一点で上位人気となる。グレード制が導入された84年以降の11年間をみると、11頭の桜花賞馬のすべてがオークスに出走しているにもかかわらず、1番人気にならなかったのは85年のエルプスだけで、それも2番人気である。オークスに出走しながら5番人気にも入らなかった桜花賞馬となると、グレード制導入以前のホースメンテスコ(79年)まで遡らなければならない(6番人気、21着)。それどころか、レース創設から現在(2025年まで)に至るまで、7番人気以下でオークスに臨んだ桜花賞馬は、ワンダーパヒューム以外に存在しない。本馬場入場の際に実況が

「この評価は何なんだ。桜の女王がお怒りです!」

と伝えたのも、理由のないことではない。

 もっとも、低評価の背景には、血統面や調整過程の不安もあった。ワンダーパヒュームの父フォティテンは短距離のスピード血統であり、母のラブリースターもエリザベス女王杯3着を除けば中距離までの馬だったことから、オークスの2400mが血統面からいかにも長く思われたことは事実である。また、ワンダーパヒュームは、オークス直前に下痢を発症していた。

 それでも、全桜花賞馬の中で、オークス史上最低人気での出走というのは、あんまりな評価と言わざるを得ない。オークス時点でワンダーパヒュームが置かれた立場は、そのようなものにほかならなかった。

『それぞれの場所で』

 レースの発走時、入れ込みが激しいプライムステージがゲート入りの際に目隠しをされて誘導されるアクシデントはあったものの、やがて第56回オークスの戦いの幕は上がった。

 スタンドから大きな歓声が最初に湧き起こったのは、スタート直後のことである。アネモネSでワンダーパヒュームを封じ込め、この日はレース前から逃げ宣言を打っていたヤングエブロスが先手を取ったのは事前の予想通りだったが、2番手につけたのは、ライデンリーダーだった。

 本来であれば、ライデンリーダーが前方に位置すること自体は、驚くべきことではない。JRA転入後の4歳牝馬特別、桜花賞では後方から競馬を進めたライデンリーダーだが、笠松時代の勝ちパターンはスピード任せの逃げ切りだった。

 安藤騎手は、前走の桜花賞で「中央のGl」の独特の雰囲気に震えたというが、この日、初めて経験した東京競馬場のGlは、それと比較しても異様な緊張をもたらすものだったという。その緊張と、前走の桜花賞で馬の壁に閉じ込められる形となって悔いを残す競馬となったことへの反省の中で、この日の安藤騎手が果敢な積極策を採ったことは、奇策というよりも、必然だったかもしれない。

 そんなライデンリーダーとは対照的に、桜花賞より後ろも後ろ、最後方から競馬を進めたのは、ワンダーパヒュームと田原騎手だった。

「フォティテンの子に2400mは長い」

「直線が長い府中のコースは合わない」

などという周囲の囁きは、当然のことながら、田原騎手の耳にも入っていた。距離に不安がある馬にとって、後方待機で最後の瞬発力に賭けるというのは、ひとつの定石である。そして、田原騎手の意識にあったのは、桜花賞では前方ではなく後方に置く形となり、それゆえに道中では位置関係を測ることができないまま戦わなければならなかった最大の好敵手ダンスパートナーだった。スタートに不安を抱えるがゆえに、最後方から競馬を進めざるを得ないダンスパートナーを見ながら戦うことができるのは、この位置しかない。・・・田原騎手が最大の敵と見ていた相手は、桜花賞から変わっていなかった。

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