ファストフレンド列伝・暁の最強牝馬
『挑むべきもの』
クイーン賞の後、霜月S(OP)で連勝を4に伸ばしたファストフレンドは、その勢いに乗って、第45回東京大賞典(Jpnl)に挑むことになった。
東京大賞典は、1955年に「秋の鞍」として創設され、64年に現在の名称となった後は、「南関東のグランプリ・レース」という位置づけで存在感を高めていった。95年にはJRA、他地区所属馬に門戸が開かれ、97年の統一グレード制導入と同時にJpnlに格付けされ、当時は「ダート界のグランプリ・レース」という立ち位置を確立しつつある時期だった。
このレースで最も多くの注目を集めたのは、年頭のフェブラリーS(Gl)で史上初めて、地方所属馬のままJRAのGlを勝つという歴史的快挙を果たし、さらに6月の帝王賞(Jpnl)も勝ったメイセイオペラである。
帝王賞を勝った後のメイセイオペラは、地元のJpnlである南部杯こそ右前球節炎で回避したものの、地元重賞のみちのく大賞典と北上川大賞典を圧勝し、復調をアピールしていた。
そんなメイセイオペラにとって、東京大賞典は、前年に出走した際には宿敵かつ越えるべき高い壁でもあった当時のダート最強馬アブクマポーロの2着に敗れていた。しかし、そのアブクマポーロが先月に引退を発表し、ダート界の次代の絶対的王者はメイセイオペラに継承されることが期待…否、確信されていた。
さらに、メイセイオペラ陣営は、当時の世界最高賞金レースである翌春のドバイワールドCへの遠征希望も公言していた。ドバイワールドCは、1996年にUAEで創設され、当時の世界最高額賞金レースとして話題を集めた国際レースである。日本馬も96年から3年連続でこのレースに参戦したものの、結果は96年のライブリマウントと98年のキョウトシチーが6着、そして97年のホクトベガは競走中止という最悪の結果に終わっている。ただ、ダート界に大きな足跡を残した地方馬メイセイオペラによる世界制覇への期待は高く、東京大賞典は「ドバイへの壮行レース」という雰囲気すら漂っていた。
東京大賞典におけるメイセイオペラの単勝オッズは110円で、単勝支持率は実に約68%に達した。単勝590円の2番人気ゴールドヘッドとは異次元の人気から分かる通り、多くのファンの関心は「メイセイオペラがどう勝つのか」 でしかなかった。
『ひそかな野望』
この日のファストフレンドの単勝は、ゴールドヘッドからさらに大きく離された1510円の3番人気にとどまった。1999年はほぼ1ヶ月に1戦のペースで走り、東京大賞典まで10戦6勝、うち重賞を4勝し、負けたレースも掲示板を外していないファストフレンドだが、その存在感は、メイセイオペラにまだ遠く及ばない。そもそも初めてのGl挑戦で3番人気というのは、決して人気薄でもない。これは、ファストフレンドへの信頼不足ではなく、メイセイオペラへの人気の一本かぶりによる現象だったとみるべきだろう。
高市師と蛯名騎手も、メイセイオペラとファストフレンドの実力差について、単勝オッズほどの差は感じていなかった。そして、彼らにもひとつの野望があった。メイセイオペラが目指す、翌春のドバイワールドCへの出走を、彼らも心に期していたのである。
高市師をはじめとするファストフレンド関係者には、この時期からホクトベガを意識した発言が散見されるようになる。ホクトベガは、ファストフレンドより4歳上の牝馬であり、93年のエリザベス女王杯(Gl)では春の二冠牝馬ベガを下して
「ベガはベガでもホクトベガ!」
という名実況を生み出している。そんなホクトベガは、その後に不振に陥ったものの、ダート路線に転じて復活し、95年エンプレス杯から97年川崎記念まで交流重賞10連勝を達成したことで、ダートグレード制導入の直前期の女傑として青史にその名を刻み、「砂の女王」とも呼ばれたものの、ラストランの舞台として選んだドバイワールドCでのレース中の事故によって予後不良となり、異邦の土となっている。
日本でダートグレード制が始まったのは同年4月1日で、最初の統一重賞である第1回マリーンCは、同月2日に開催されている。「砂の女王」の命日となったドバイワールドCが開催されたのは、同月3日のことである。
新時代の申し子であるダートグレード制の下で台頭したファストフレンドと違って、ホクトベガはダートグレードレースを一切走っていない。新時代前夜を駆けたホクトベガの生命は、新時代の到来とともに消えた。だが、当時のホースマンやファンの中には、「砂の女王」の名に特別な郷愁があった。同じ牝馬で同じダートを主戦場とするファストフレンドにしてみれば、ホクトベガこそが先達であり、その女王の後継者として認められるために、ドバイワールドCはぜひ上がりたい舞台だった。だが、メイセイオペラを直接対決で破らなければ、ドバイからの招待状は届かない。第45回東京大賞典の舞台に上がるファストフレンド陣営の胸には、そんな強い決意があった。
『火蓋』
こうして幕を開けた第45回東京大賞典当日、決戦の火蓋を切ったのは2番人気のゴールドヘッドだった。ゴールドヘッドは、前年の南関東三冠の主役として羽田盃(南関東Gl)優勝、東京王冠賞(南関東Gl)2着、東京ダービー(南関東Gl)2着の実績を残し、この年も6戦3勝2着2回という一線級の戦績で健在を示した実力馬だが、この日騎乗する的場文男騎手は、スタートから出ムチを入れて、強い意志でハナを切りにいった。
この時的場騎手が気にしていたのは、彼らの後方にいるサプライズパワーだった。サプライズパワーはゴールドヘッドより1世代上の南関東三冠で、羽田盃2着、東京王冠賞優勝、東京ダービー優勝と、ゴールドヘッドとは逆の戦績を残した強豪だが、的場騎手は、脚質が重なるサプライズパワーに、なんとしても差をつけての逃げに持ち込もうと考えたのである。
やがて、ゴールドヘッドは自身の単騎逃げでレースを落ち着かせることに成功した。サプライズパワーも2番手でついてきてはいたが、まずは的場騎手の計算通りの展開である。
だが、大井競馬場を埋めた約4万人の大観衆の視線は、地元・南関東のクラシック馬たちの先手争いではなく、断然人気のメイセイオペラに向けられていた。・・・この日のメイセイオペラは、百戦錬磨の古豪に似合わず、スタートで立ち遅れたのである。出遅れた後はすぐにその不利を挽回し、位置を好位へと押し上げていったメイセイオペラの姿に、ファンはとりあえず安堵したものの、予期せぬ波乱のスタートだったことは間違いない。
そんな荒れた競馬の中団に身を潜め、レースの流れを見極めようとしていたのが、この日のファストフレンドの鞍上を務める横山典弘騎手だった。もともとメイセイオペラを見ながら競馬を進めるつもりだった横山騎手は、そのメイセイオペラの出遅れに戸惑う羽目になったものの、やがて位置を押し上げてきたメイセイオペラの姿を視界にとらえると、大本命の動きにいつでも対応できるように気を配りながら動いた。・・・出走馬たちの位置取りはそれぞれだが、誰もが断然人気のメイセイオペラを意識していることに変わりはない。その後に何が起こるのか、神ならぬ人には、知る由もない。
『時代の変わり目』
ゴールドヘッドがペースを形成した前半5ハロンの通過タイムは、61秒8だった。この日の大井は例年より時計がかかる馬場だったが、数字自体はそこまで速いものではない。
レースが動いたのは、向こう正面のことだった。このままでは前が止まらないとみた馬群の馬たちが、進出を開始したのである。そんな馬たちの中には、横山騎手とファストフレンドの姿もあった。
早めに動いた横山騎手の指示に従うファストフレンドが馬群から抜け出して、先頭に迫る中、その動きを見せつけられたメイセイオペラと岩手の名手・菅原勲騎手も、挑戦を受けて立つとばかりに、遅れて後方から動き始める。絶対王者の進軍が始まった・・・!そのはずだった。
・・・だが、ファンがメイセイオペラの変調に気づくまでに、時間はそうかからなかった。第3コーナー付近で好位にいたメイセイオペラだったが、この時点で、菅原騎手の手は激しく動いている。そんなゴーサインにもかかわらず、王者の動きはあまりにも緩慢だった。
『新旧交代』
大観衆が埋めるスタンドから、怒号と悲鳴が湧きあがった。菅原騎手の叱咤にもかかわらず、メイセイオペラが後退していく。
菅原騎手は、レース後に
「向こう正面で手応えがなくなって…」
と振り返っている。余力を残して上がっていくべき頃合いに、メイセイオペラはもう力尽きようとしていた。この日の彼の動きに、王者の進軍の面影はどこにもない。
メイセイオペラは、来ない。そんな現実をようやく認めたスタンドの喧騒と悲鳴をよそに、先に動いたファストフレンドの進出は止まらなかった。直線に入ってゴールドヘッドをとらえると、そのまま先頭に立つ。脚色が、違う。
だが、異次元に見えたファストフレンドの外から、彼女の末脚をさらに上回る白い影が迫っていた。
『惜敗からの始まり』
先頭に立ったファストフレンドに迫る白い影は、ワールドクリークだった。ファストフレンドより1歳若い芦毛の牡馬は、父マジックミラー、母ケイシュウハーブ、母父ミシシッピアンという深遠な血統を持ち、秋分特別(900万下)、太秦S(1600万下)、赤富士S(1600万下)、トパーズS(OP)と自己条件を4連勝して、東京大賞典に挑んでいた。
ワールドクリークに騎乗していた加藤和宏騎手は、ファストフレンドに並びかけたときに
「これなら!」
と思ったという。ワールドクリークの4連勝のうち3戦はハナ差で制してきた。競り合いになればなるほど真価を発揮する彼の根性と勝負強さは、この展開でこそ活きる。
加藤騎手の手応え通り、ワールドクリークが一歩前に出ると、早めに仕掛けて上がってきたファストフレンドに差し返す余力は、もはやなかった。
マリーンCでの重賞初制覇以降、7戦5勝の勢いとともに東京大賞典に挑んだファストフレンドは、単勝110円のダート最強馬メイセイオペラに正面から戦いを挑んで置き去りにし、勝利の栄光を手にしたかに見えながら、4連勝の勢いで同じレースに臨んだワールドクリークにその功績をさらわれた形となった。ワールドクリークに及ばざること半馬身差の2着に敗れた横山騎手の悔しさは大きく、レース後のインタビューに対して
「悔しくてしゃべれない」
とだけコメントしている。
ただ、この日の結果は、ダート界におけるファストフレンドの存在感を大いに高めることになった。勝てるレースを落としたという横山騎手の思いは別として、この時点でのファストフレンドは、Jpnlでの勝利を逸したことを悔やむより、健闘したことを喜ぶべき立場にいた。高市師も、この日のレースを振り返って、
「見てくれたかい?牡馬相手の地力勝負を」
と胸を張っている。
1999年を締めくくるダート界のグランプリ・レースがGl初挑戦の2頭で決着したことは、絶対王者とみられたメイセイオペラが11着に失墜したこととあわせて、ダート新時代の到来を予感させるものだった。