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ファストフレンド列伝・暁の最強牝馬

『女王の背中』

 帝王賞の後のファストフレンドは、前年に続いてエンプレス杯(Jpnll)に出走した。エンプレス杯は、帝王賞と中1週という日程だったことから、登録はしても、実際の出走はないだろう・・・という観測もあったが、実際にファストフレンドが出走してくる気配が濃厚になると、今度は他の出走馬たちの回避が相次ぎ、レース当日まで残った出走馬は、彼女自身を含めて7頭だけだった。

 帝王賞を勝ち、週末の宝塚記念(Gl)でグラスワンダーに騎乗した(6着)蛯名騎手は、その後、いったん米国への長期遠征に旅立ったが、この日は米国からわざわざ帰国して騎乗していた。余談だが、蛯名騎手は、米国のエージェントから

「米国で騎手としてやっていくには、いつもそばにいることが重要なのに、レースがないからといって日本に頻繁に帰国されると、それが果たせない」

と注意されていたようである。蛯名騎手にとってのファストフレンドは、そう言われていても日本に帰国して騎乗したい馬だったことが分かる。

 ここで単勝110円の圧倒的支持を受けたファストフレンドは、少頭数の中で早めに動き、余裕を持った競馬で3馬身突き抜け、連覇を果たした。・・・エンプレス杯といえば、95年から96年にかけてホクトベガが連覇したことで知られているが、実はシルクフェニックスも97年から98年にかけて連覇を達成している。99年、2000年とファストフレンドが連覇を達成したことで、このレースは連覇が3頭続く椿事となった。

 ファストフレンドの今後について聞かれた高市師は、休養の後、南部杯(Jpnl)からジャパンCダート(Gl)を目指し、究極的には、春に招待されなかったドバイワールドCに来年もう一度挑みたいという希望を明らかにした。

 ファストフレンドが2001年のドバイワールドCに出走できた場合、その時点での年齢は7歳(旧8歳)となり、ホクトベガの最後のレースと同じになる。本格化は遅かったものの、その後はホクトベガの背中を追うようにダートグレードレースを駆けてきたファストフレンドにとって、事実上、それが挑戦の最後のチャンスだった。

『勝ち切れないままに』

 高市師の青写真通り、夏を休養にあて、復帰後は南部杯を目指して調整を進めていたファストフレンド陣営・・・否、競馬界に、衝撃的なニュースが飛び込んできた。南部杯を前にして、メイセイオペラの現役引退が発表されたのである。

 帝王賞で14着に惨敗した後、地元のJpnl南部杯での復活を目指して調整していたメイセイオペラは、地元重賞のみちのく大賞典を勝ったものの、その後、屈腱炎を発症してしまった。アブクマポーロとともにダート界に一時代を築いた地方所属の英雄の旅路は、ここで終わった。

 しかし、メイセイオペラの旅路は終わっても、歴史の歩みは止まらない。メイセイオペラが出走できなくても、第13回南部杯は開催される。

 ウイングアロー、ワールドクリーク、タイキヘラクレス、インテリパワーといったGl勝ち馬たちが集まる南部杯に出走したファストフレンドは、ここでも単勝250円の1番人気に支持された。それまで出走した11戦のダート重賞で7勝2着1回3着3回、着外なしという安定した実績を残してきたファストフレンドが、メイセイオペラ引退後のダート界における新たな旗手とみなされるのは、ある意味で自然なことだった。

 ただ、南部杯でのファストフレンドは、好位につけるところまでは良かったものの、その後の道中はかかって折り合いを欠いた。そんなファストフレンドを虎視眈々とマークしていたゴールドティアラが、直線入口でスパートをかける。

 ゴールドティアラに置いていかれたファストフレンドは、勝ち馬から5馬身あまり遅れた4着に敗れ、東海Sから続いた連勝は3で止まった。その後、東海菊花賞(Jpnll)は単勝110円の1番人気に応えてレコードで制したファストフレンドだが、2000年の最大の目標に置いていたジャパンCダート(Gl)では、単勝350円の1番人気に支持されながら、勝ったウイングアローから9馬身半遅れて5着に敗れた。

 重賞初挑戦で優勝したマリーンC以降のファストフレンドの戦績は、16戦9勝、2着1回、3着4回で、掲示板は一度も外していない。安定感はあるのだがGlになると、今ひとつ勝ち切れない。帝王賞を勝った後も、彼女には常にそんなイメージがつきまとっていた。

『勝つために』

 そんなファストフレンドが2000年最後のレースに選んだのは、東京大賞典(Gl)だった。前年に初めて挑んだ際に、一時は勝利を手にしたかと思わせながら、最後にワールドクリークに差し切られて惜敗したレースである。

 第46回東京大賞典への16頭の出走馬たちを見ると、5頭のJRA所属馬のうちファストフレンド、ダービーグランプリ(Jpnl)勝ち馬レギュラーメンバー、前年の覇者ワールドクリーク、ジャパンダートダービー(Gl)勝ち馬マイネルコンバットと、Jpnl勝ち馬が4頭を占めた。また、南関東所属馬にも、川崎記念馬インテリパワー、後に帝王賞を勝つマキバスナイパー、南関東クラシック馬で当時のダート戦線の常連だったゴールドヘッド、イエローパワー、オペラハットなどの有力馬が揃っている。また、他地区代表ながら、笠松のハカタビッグワンも、元をたどれば笠松へ転籍する前である98年の東京王冠賞馬、つまり南関東クラシック馬と、前走のジャパンCダートを制したウイングアローの姿こそないものの、「ダート界のグランプリ」と呼ばれるにふさわしいメンバーが揃った。

 そんなメンバーの中で単勝220円の圧倒的1番人気に推されたのは、やはりファストフレンドだった。2番人気で優勝した帝王賞の後に出走したエンプレス杯、南部杯、東海菊花賞、ジャパンCダートのすべてで、ファストフレンドは1番人気に推され、Jpnllでは2勝しながら、Jpnlでは2戦とも掲示板にとどまっている。これらのレースのすべてに騎乗した蛯名騎手の思いは、「Glを2つ落とした」というものだった。それだけに、東京大賞典に臨む蛯名騎手は、

「ここは落とせない一戦だ・・・」

と、強いプレッシャーを感じていたという。

『第46回東京大賞典』

 そんな第46回東京大賞典は、若干の波乱とともに幕を開けた。前々走のダービーグランプリなどを逃げ切って、この日も逃げると思われていた2番人気のレギュラーメンバーが、2番手に控えたのである。

 逃げる競馬で結果が出ていた時には目立っていなかったものの、レギュラーメンバー陣営の人々は、「最後にいつもバテてしまう」ことに限界を感じてもいた。そして、前走のジャパンCダートに出走したレギュラーメンバーは、逃げて10着に敗れていた。

「これまでと同じ競馬では、上の世代や世界と戦うことはできない・・・」

 そんな実感と焦りが、ここでの脚質転換につながったのである。

 レギュラーメンバーが控えたことで、代わりにレースを先導する役割を務めることになったのは、この年の羽田盃優勝、ジャパンダートダービー2着などの戦績を残した南関東クラシック馬イエローパワーだった。南関東クラシックで逃げ馬として実績を残したイエローパワー陣営は、レース前には脚質が重なるレギュラーメンバーの存在を意識して、

「控えるかも」

「今回は2、3番手から・・・」

と含みを持たせていたのだが、待っていたのは予想もしないライバルの自重で、イエローパワーが先導するこの日のレースは、5ハロン通過が61秒2という、楽でもないが、過酷すぎもしない流れとなった。

 そんな流れの中で、ファストフレンドと蛯名騎手は、いつも通りに中団につけ、周囲の馬たちの様子をうかがいながらレースを進めていた。

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