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ファストフレンド列伝・暁の最強牝馬

『翔ぶが如く』

 この日は「前も後ろも気にかけながら」競馬を進めたという蛯名騎手だったが、展開と前の馬たちの手応えから「前崩れは期待できない」と、第3コーナー手前から仕掛けた。

 蛯名騎手の意を受け、ファストフレンドは外を衝いて進出を開始する。・・・あとは、このまま押し切れるかどうか。

 帝王賞では1番人気のメイセイオペラと並走する形に持ち込んだものの、そのメイセイオペラの失速によってあわてたファストフレンドだが、この日は彼女自身が1番人気で、むしろ他の馬から目標とされる立場である。蛯名騎手は、先頭に早く立ちすぎないよう、いったん馬を抑えようとした。だが、一度戦意に火が点いたファストフレンドの闘志は、もう止められない。

 直線に入り、懸命に逃げ粘るイエローパワーをレギュラーメンバーが追い、その2頭に外からファストフレンドが迫る。・・・そして、ファストフレンドの脚色は、明らかに違う。

 ファストフレンドが先頭に立ったのは、残り200mを切ったころだった。これも、先頭に立つタイミングが想定より早く、蛯名騎手はまたしてもヒヤッとしたという。

 ただ、この時のファストフレンドは、他の出走馬たち、そしてそれまでの彼女とは次元が違い、レギュラーメンバーを一完歩ごとに引き離し、その差を広げていく。後方からは6番人気の南関東馬アローセプテンバーが追い込んできてはいたが、レギュラーメンバーに迫るのがやっとで、ファストフレンドの影を踏むこともできない。

『ダート界の女王』

 ファストフレンドは、レギュラーメンバーに1馬身半差をつけて、ゴールを先頭で駆け抜けた。この日の勝利は、彼女にとっては帝王賞に続くGl2勝目、ダート重賞9勝目となった。

 蛯名騎手は、

「高いレベルで力を維持して、本当に頑張ってくれていると思います」

と評価した。・・・実際、この時点でファストフレンドが残している成績は、それどころではなかった。

 まず1955年に始まった東京大賞典の歴史の中で、牝馬が勝ったのは、ミスアサヒロ(1955年)、ヒガシジヨオー(67年)、ロジータ(89年、ドラールオウカン(92年)、ホワイトシルバー(93年)に次ぐ6頭目で、東京大賞典がJRAに開放された95年以降では初めてである。さらに、21世紀になってさらに25回の開催を重ねた現在に至るまで、東京大賞典に新たな牝馬の勝ち馬は加わっていない。

 それどころか、当時、同一年度に帝王賞と東京大賞典を両方制した馬は、アズマキング(1981年)、トラストホーク(82年)、テツノカチドキ(87年)、アブクマポーロ(98年)に続く史上5頭目であり、JRA所属馬としては初めての快挙である(ホクトベガは、有馬記念出走のために東京大賞典へは出走していない)。これでファストフレンドはホクトベガが勝ったダート重賞10勝にもあと「1」と迫った(ただし、ホクトベガは、それ以外にJRAの芝重賞を3勝しているが)。

 このように、ファストフレンドは、歴史的名牝の域に踏み込む結果を残した。遅咲きながらも成長を続けてダート界の主役を張り、それにふさわしい結果も残し続けた。2000年の彼女が残した9戦5勝の戦績をみると、出走したのはすべてGll以上で、Gllは3戦3勝、Glも6戦2勝、3着2回と、掲示板を外したことは一度もない。特筆するべきはその人気であり、9戦のうち、フェブラリーSと帝王賞以外は、すべて1番人気に支持されている。この人気と結果を見る限り、ファストフレンドが2000年のダート戦線の主役の一角を占めたことは、疑う余地すらない。

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