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ファストフレンド列伝・暁の最強牝馬

『報われぬ女王』

 ただ、その後に発表された2000年度JRA賞の結果は、ファストフレンド陣営にとっては残念なものだった。

 まず、最優秀ダート馬部門でファストフレンドに投じられたのはわずかに2票で、残りの294票を得て最優秀ダート馬に輝いたのは、6戦3勝、フェブラリーSとジャパンCダートを制したウイングアローだった。もっとも、これは「JRA賞」で、JRAの全日程が終了した直後だが、東京大賞典前に投票が締め切られていたことが大きく影響していたと言われる。

 また、最優秀古馬牝馬部門では、最優秀ダート馬部門を大きく上回る53票を集めたファストフレンドだが、やはり彼女を大きく上回る161票を獲得したファレノプシスに敗れ、ここでもJRA賞を逸した。彼女を抑えて最優秀古馬牝馬に輝いたファレノプシスのこの年の戦績は3戦1勝で、その1勝がエリザベス女王杯(Gl)だった。・・・これらの投票結果は、当時の競馬界におけるダートとファストフレンドの地位、ひいては競馬界の空気を物語っていた。

 JRAが発表したJPNクラシフィケーションも、ファストフレンドには厳しい結果だった。ダート古馬部門の最高位となったウイングアローの116ポンドに対し、ファストフレンドは国内ダート馬11位タイ(牡牝の2ポンド差を考慮したとしても5位タイ)の109ポンドに格付けされていた。Jpnlの戦績が東京大賞典2着だけだった前年も同じ109ポンド(最高位のメイセイオペラは117ポンド)だったこと、同じ古馬牝馬で年間8戦4勝、南部杯優勝、フェブラリーS2着のゴールドティアラが113ポンドの評価を得ていたことと比較すれば、ファストフレンドにとってはあまりに厳しい評価だったと言わざるを得ない。

 そんなファストフレンドにとってのせめてもの救いは、本来であればJRAの所属馬が表彰対象とならないNRAから、「特別表彰馬」として表彰を受けたことだった。彼女の価値は、直接蹂躙されたNRAの方がよく知っていたのかもしれない。

『届かなかった夢』

 その後、2001年も現役生活を継続したファストフレンドだったが、彼女の新世紀が輝かしいものとなることはなかった。

 21世紀のファストフレンドは、川崎記念(Jpnl)から始動した。ファストフレンドが前年しのぎを削ったライバルたちのうちウイングアローはフェブラリーSに回り、他のGl勝ち馬も、前年のダービーグランプリ(Jpnl)を制したレギュラーメンバー、前年の覇者インテリパワーの2頭で、前年の東京大賞典よりも少ない。しかも、ファストフレンドは、レギュラーメンバーには前走の東京大賞典で完勝しているし、インテリパワーに至っては、前年の川崎記念こそ敗れたものの、その後は帝王賞、南部杯、東京大賞典と3連勝しているため、ファストフレンドの優位は動かない、とみられるのもやむを得ない。

 だが、ファストフレンドの評価が、現役生活を通じて上がり切らなかったことの背景には、期待を集めては裏目に出ることも多かったことが挙げられる。この時も、ダートに水が浮くほどの不良馬場を快調に逃げるレギュラーメンバーに対し、ファストフレンドは、スタート直後にいた中団から、やがて2番手に位置を上げて、逃げ馬のすぐ後ろからマークするような競馬を進めた。しかし、最後の直線に入っても、その差を縮めることができない。気がつくと、レギュラーメンバーに半馬身届かないままゴールを迎え、東京大賞典の雪辱を許す結果となった。

 続くフェブラリーSでも、勝ったノボトゥルーから約3馬身半遅れの6着に敗れた。・・・そして、ファストフレンドのもとに、ドバイからの招待状が届くことはついになく、彼女の2021年、そして現役生活は、ドバイワールドCとは縁がないまま終わったのである。

 ところで、この時日本からドバイに招待されたのはウイングアローとレギュラーメンバーだった。このうちウイングアローは体調不良で回避したが、同日ドバイの別のレースに出走するために遠征予定を確保していたトゥザヴィクトリーが繰り上げで出走したところ、Captain Steveの2着に入っている。ドバイワールドCの歴史上、2025年現在まで、牝馬が勝ったことはなく、連対もこの年のトゥザヴィクトリーが唯一となっている。

『それから…』

 ドバイワールドCから約1か月後、ファストフレンドは、笠松競馬場で開催されたオグリキャップ記念(Jpnll)に出走した際、陣営の望みとは全く違ったであろう形で、競馬界の話題を集めることになった。ファストフレンドは、この時も逃げた地元馬ハカタビッグワンの逃げにはまり、最後の直線での追い上げが不発に終わって3着にとどまった。この時、実況を担当していた三谷孝司アナウンサーは、ハカタビッグワンがゴール前で激走し、ファストフレンドの追撃を封じ込めそうな気配に興奮し、

「ファストフレンドは届かにゃい!」

と、声が裏返るほどの声で絶叫したエピソードは、後にネットで広まってミーム化し、語り草となるに至った。

 その後のファストフレンドは、東海Sと帝王賞を走ったものの、それぞれ5着、11着に敗れ、そのまま引退することになった。2001年は5戦して未勝利に終わったファストフレンドだが、その5戦のうちフェブラリーS(6番人気)以外はすべて1番人気だった。JRAからの低い評価とは裏腹に、彼女がダートグレードで築き上げたファンからの信頼は、現役末期に敗北を重ねた時期ですら、なかなか薄まらなかったことを物語っている。

 現役を退いて繁殖入りしたファストフレンドは、2003年から2017年までの15年間で9頭の産駒を送り出した。産駒のうち第3子のフォーティファイド(父フォーティナイナー)は、南関東で活躍して通算61戦8勝の実績を残し、南関東重賞の大井記念、金盃を制している。

 繁殖牝馬を引退した後は、生まれ故郷の中前牧場に戻って離乳後の子馬たちの群れのリードホースとして余生を過ごしたファストフレンドだったが、2025年1月11日、老衰による心不全によって大往生を迎えたと伝えられている。

『伝説の影ではなく』

 ファストフレンドの競走生活を振り返ると、通算38戦15勝の成績をあげ、帝王賞、東京大賞典のJpnl2勝をはじめとする重賞9勝を記録し、約6億6000万円の賞金を稼ぎ出した。彼女が残した実績は、立派というよりほかにない。

 約30年にわたるダートグレード競走の歴史の中で、世代混合Gl(Jpnlを含む)を制した牝馬は、ファストフレンド、ゴールドティアラ、ネームヴァリュー、コーリンベリー、サンビスタ、ショウナンナデシコ、そして2025年12月にチャンピオンズC(Gl)を制したダブルハートボンドの7頭しかいない。複数のGlを制した馬となると、ファストフレンド以外には存在しない。

 日本競馬のダートにおける獲得賞金ランキングも、ファストフレンドはプリエミネンスに約1億円の差をつけ、引退から現在に至るまで、首位に君臨し続けている。彼女と同等の実績と獲得賞金を超えた牝馬は、約25年が経過した日本競馬において、いまだに現れていないのである。

 ダートグレード施行後の日本競馬において、ファストフレンドが「唯一無二の存在」であるという客観的な根拠は、いくつも存在している。ただ、そうであるにもかかわらず、果たして彼女を「日本ダート競馬史上唯一無二の存在」どころか「日本ダート競馬史に残る名牝」と認識しているファンが、どれほど存在するだろうか。

 彼女にとっての不運は、彼女が最盛期を迎えるほんの数年前、ダートグレード導入の直前期に、ホクトベガという極星が存在したことだろう。「交流重賞10連勝」という金字塔を打ち立てながら、ラストランとして選んだドバイワールドCで悲劇的な最期を遂げた歴史的名牝は、ファストフレンドを管理する高市師がたびたび言及したように、ダートグレード路線を歩んだファストフレンドにとっては意識せずにはいられない存在だった。そして、比較対象とされるには、あまりにも大きすぎる印象を残した存在でもあった。ファストフレンドの戦績を振り返った際、彼女のそれは、数年前にホクトベガが残したそれと比較して、常に劣るものとみなされ続けたことこそが、彼女の悲運だった。

 ただ、ファストフレンドがホクトベガよりも明確に劣る存在と位置付けられることには、果たしてどれほどの根拠があるだろうか。ホクトベガが走った交流重賞と、ファストフレンドが走ったダートグレードレースの相手関係を比較した場合、後者の方が明らかに強い。ホクトベガの登場によって注目が集まり、注目度も賞金も上がったダートグレードレースには、それ以前では考えられなかった高いレベルの馬たちが参戦してくるようになった。そうしてレベルが大きく上がった強豪たちを相手に、Jpnl2勝を含む重賞8勝を挙げたファストフレンドの価値も、決して侮られてはならない。

 日本のダート競馬の歴史を語る際、ホクトベガを抜きにして語られることはないであろう。だが、ファストフレンドはどうであろうか。日本のダート競馬が歴史を重ね、その厚みを増すにつれて、ファストフレンドの存在と意義が正しく再評価されることを望んでやまない。

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