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プレクラスニー列伝・編集後記

 もともとは、インターネット草創期の今は亡き競馬ポータルサイト・Milkyhorse.com内の1コンテンツとして始まった「サラブレッド列伝」ですが、この時のオーダーで「よそでは間違っても扱わないようなマイナーな馬」としてなぜかプレクラスニーを指定され、それに従った時に、このコンテンツの方向性は定められてしまった気がします。気まぐれに復刻させるきっかけになったtwitterでの感想では、実はそういう路線の支持者の方が結構いらっしゃったようなのに、HPの長期間の消失、誠に申し訳ございませんでした。。。

 プレクラスニー列伝の初公開が1998年7月29日なので、それから実に23年が経過したわけですが、プレクラスニーというサラブレッドについては、誠に残念ながら、当時とは違った視点からの評価がされている気配はほとんどありません。その意味で、プレクラスニーこそ、よそでは扱わないような名馬に、通説とは違った形で光を当てるという意味で、まさに「列伝はプレクラスニーに始まり、プレクラスニーに終わる」というにふさわしい馬なのです(意味不明)。それにしても、現代に80~90年代の競馬を突如よみがえらせた「ウマ娘」からすら完全に存在すら抹殺されているというのは、さすがにあんまりではないでしょうか・・・。よよよ。プレクラスニーのウイニングライブとか、ライスシャワー以上に悲惨だったでしょうね。

 ところで、列伝の執筆においては、ソースがない記述はしない(ごく少数の例外については、おいおいここで触れていくかもしれません)のですが、プレクラスニー列伝の最後、すなわちプレクラスニーの一族のお馬さんたち(娘のタンドレスとか、弟のプレストールとか)がある方に引き取られて平穏に過ごしたらしい・・・というのは、実はいかなる競馬メディアにも出てこない記述で、私の列伝を読んだ方が、「実は、私、プレクラスニーの一族のお馬さんを引き取ってるんです」とメールで教えて下さったのです。厳格な真実性を追求するのであれば、このお話も書く以上は裏を取るべきというのが歴史家のあるべき姿なのですが、ここはあえて事実であってほしい・・・という思いで書いてしまった、というのが真相です。・・・プレストールかタンドレスの子(当然、血統書なし)がサラ系としてデビューしてマックの血を引くエリート馬に戦いを挑む、なんて妄想につながる、優しい未確認情報なのです。

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