マルゼンスキー世代、その後・・・
1974年生まれで「ウマ娘」最古参といえばマルゼンスキー。うちにもオリジナルはいないけれど水着の方がいらっしゃるわけですが、「マルゼンスキー世代」の馬たちの「その後」を振り返ると、その運命の流転に改めて震えました。
皐月賞馬ハードバージ(毎日杯優勝、日本ダービー2着)・・・7戦目で初勝利の後、3ヶ月も経たずに皐月賞制覇。種牡馬として失敗した後、使役馬とされて過労死。
ダービー馬ラッキールーラ(弥生賞優勝、皐月賞2着)・・・種牡馬として大成できず、JRAの仲介で韓国へ寄贈されて客死。ただし、その後に韓国最強馬を輩出したらしい。
菊花賞馬プレストウコウ(NHK杯、セントライト記念、京都新聞杯優勝)・・・ ダービー馬ラッキールーラ(弥生賞優勝、皐月賞2着)・・・種牡馬として大成できず(ただし東京ダービー馬は輩出)、JRAの仲介で韓国へ寄贈されて客死。
有馬記念馬カネミノブ(アルゼンチン共和国杯、日経賞、目黒記念・春優勝)・・・19歳まで足取りは分かっているものの、そこで 行 方 不 明。
天皇賞馬テンメイ(京都大賞典優勝、菊花賞2着)・・・地方競馬入りの後、種牡馬入りするも、大成できず(ただし、余生は幸せだったらしい)。
ヒシスピード(皐月賞1番人気、朝日杯3歳S2着)・・・初代ヒシマサルに遡る内国産種牡馬三代目。マルゼンスキーにぶっちぎられたのをみてショックを受けたオーナーの息子は、代替わりした後は外国産馬に活路を求め、内国産の名門としての「ヒシ家」は、あえなく解体(30歳まで生きているので、面倒はしっかり見てもらえた)。
・・・年齢不詳、死語連発の彼女の後ろには、そんな様々な運命が横たわっていたのです。少しトボけた彼女の同期たちが、ウマ娘の世界ではどう描かれるのか、見てみたいような見て見たくないような・・・ていうか、絶 対 無 理 。当時の価値観や競馬界の実態からすれば、実はこの世代だけが図抜けて悲運というわけでもないのがもっと怖いのですが、そうした中でもしっかりと余生を見守ってくれた関係者に深い敬意を表明せずにはいられません。