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ハッピープログレス列伝~時代に消えた三冠の季節~

『大いなる不安』

 もっとも、ハッピープログレス陣営が安田記念での「短距離三冠」制覇に向けて、磐石の自信を持っていたわけではなかった。それどころか、彼らの胸のうちは、むしろ不安の方でいっぱいだった。

 まず、それまでの戦績からみて、ハッピープログレスに1マイルは長すぎるのではないか、という不安があった。それまで通算23戦9勝の戦績を残してきたハッピープログレスは、1400m以下に限れば15戦9勝という高い勝率を残していた。しかし、それは裏を返すと、1マイル以上のレースでは勝ち鞍どころか連対さえないということを意味した。1マイル戦に限っても4戦未勝利で、最高着順は3着までだった。

「1400mまでだったら、持ち前の瞬発力を十分に生かしきれるんですね。1ハロン伸びて、さあ結果がどう出るか、というところです」(山本師)
「1400mまでなら、強い。だけど、1600mになると、ちょっと問題が出てくるかもしれない」(田原騎手)

 関係者が揃って口にする距離の壁は、ハッピープログレスにとっては険しく、そして高いものだった。

 しかも、そんな陣営の不安に追い打ちをかけるように、安田記念へ向けた調整過程でも、ハッピープログレスに不安が生じた。京王杯SC(Gll)から安田記念に至るまでの間に球節を痛め、コズミまで発症したのである。これらの症状自体は軽いものだったが、大レースを目前にして、調整計画に狂いが生じることは避けられなかった。さらに、この年は気温が上がる時期が例年より早かったが、ハッピープログレスは暑さに弱く、早くも夏負けの症状まで示していた。

 距離の壁、体調という不安材料が重なったことで、山本師らは、一時ハッピープログレスの安田記念を回避することも、真剣に検討したという。だが、山本師の最終的な決断は、「出走」だった。それまで日陰の存在だった短距離戦線に、ようやく光が当たるGlの安田記念、そして「短距離三冠」最後の関門。彼らはGl、そして「三冠」の重みを無視することができなかった。

『立ちはだかるもの』

 出走を決断した以上、無様なレースはさせられない。山本師らは、ハッピープログレスの状態を安田記念までにもう一度ピークに持っていくべく、持てる知能と技能のすべてを振り絞った。全身全霊を傾けた関係者の努力により、ハッピープログレスは安田記念までに、ようやく「短距離三冠」達成を目指せる状態にまで立て直すことに成功した。

 ところが、ハッピープログレスの短距離三冠街道の前に、今度は天候が立ちはだかる。安田記念当日、主催者発表では馬場状態は良馬場とされていたが、雨が降りしきる東京競馬場の芝は湿り、さらに足場もかなり悪化していたのである。直線での一瞬の瞬発力に賭けるハッピープログレスにとっては最悪のコンディションで、

「ハッピープログレス、危うし・・・」

という声は、当然のことながらかなりの説得力を持ったようである。短距離三冠を目指すハッピープログレスは2番人気にとどまり、1番人気に支持されたのは2連勝中のアサカシルバーだった。

 Glに格付けされた安田記念は、「春の短距離王決定戦」として生まれ変わり、フルゲート22頭の出走馬たちのうち、15頭の重賞勝ち馬が駒を進めてきた。ニホンピロウイナーの姿こそないものの、桜花賞馬シャダイソフィアや中央転入初戦になる公営南関東競馬の四冠馬サンオーイも名を連ねている。シャダイソフィアは牝馬ながらにダービーに挑戦した経験を持つ強い桜花賞馬であり、サンオーイも騎乗した郷原洋行騎手をして「(同じリマンド産駒の)ダービー馬オペックホースよりスケールが上」と言わしめた逸材である。

『偉業は成れり』

 そんな実力派たちの揃ったレースで、先行争いも当然のように激しいものとなった。レースのペースも速くなつていったが、ハッピープログレスは、あくまでもスプリンターズS、京王杯SCと同じく後方待機の競馬を選んだ。

「王者に展開など関係ない」

 そう言わんばかりの、心憎いまでの自分の競馬だった。

 直線に入って、連覇を狙う前年の覇者・キヨヒダカが懸命の逃げ込みを図るが、Glとして生まれ変わったこの年は、ハンデ戦だった前年とは相手のレベルもレースの厳しさも格段に異なっていた。キヨヒダカは、直線の坂を上り切ったところで失速し、馬群の中へと呑まれていった。激しいレースの中、柵沿いの内側で何頭かの馬が並び、激しい叩き合いを演じてはいたが、どの馬も決め手を欠き、抜け出すには至らない。・・・そんな中で、大外から1頭だけ次元の違う末脚を繰り出して突き抜けていったのは、やはりハッピープログレスだった。馬場の悪さも、彼のパワーの前にはまったく障害とはならなかった。

 突き抜けるハッピープログレスの末脚に対し、懸命に追いすがったのは、ダスゲニー、サンオーイだった。しかし、スプリンターズS、京王杯SCで見せたハッピープログレスの大外一気の豪脚は、距離の壁を超えたはずのマイル戦・安田記念でも同じように再現された。距離の限界によって止まるはずのハッピープログレスは、残り200mが100m、100mが50mになっても、いっこうに止まらない。・・・後続の願いを踏みしだき、ハッピープログレスの末脚は、ゴールまでついに衰えなかった。2着ダスゲニーを1馬身3/4引き離したハッピープログレスは、見事「短距離三冠」をすべて制圧することに成功したのである。短距離戦線元年の春、7歳にして短距離界の頂点、それも1200m、1400m、1600mという3つの距離で行われる「短距離三冠」のすべてを制圧したハッピープログレスは、早くも短距離王者というにふさわしい実績を残した。

『新しい季節』

 こうして「短距離三冠」を見事達成したハッピープログレスだが、さすがにこれらのレースでの激走がこたえたのか、安田記念の後熱発するというアクシデントもあった。一部では、短距離界の栄華を極めたハッピープログレスは、安田記念を最後に引退するのではないか、という観測も流れた。

 しかし、「短距離三冠馬」となったハッピープログレスには、もうひとつやり残した仕事があった。それは、前年の最優秀短距離馬ニホンピロウイナーとの決着をつけることだった。「短距離三冠」を達成したとはいっても、それはニホンピロウイナーが故障で戦線を離脱している間のことであり、2歳年下の宿敵との決着は、まだついていない。前年の最優秀短距離馬に輝いたニホンピロウイナーを倒さずに引退したのでは、胸を張って「短距離最強」を名乗ることはできない・・・。

 ニホンピロウイナーは、秋にはターフへ復帰する予定だった。ハッピープログレスは、ニホンピロウイナーとの再戦、そしてマイルCS(Gl)でのマイルGl春秋制覇を目指し、その年いっぱい現役生活を続行することになった。

 こうして競馬界の季節は、秋・・・短距離界の真の王者を決するための、ハッピープログレスとニホンピロウイナーという新旧王者の頂上対決へ向かって動き始めた。

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