カツラギエース列伝・編集後記
最近の日本競馬の残念なところとして、ジャパンCの特別さが薄れてしまっている点が挙げられます。日本馬が強くなりすぎてしまい、かつてならジャパンCで賞金稼ぎに来ていたクラスの強い海外馬が香港に流れてしまったという理由からすれば、いかんともしがたいことなのでしょうが、ジャパンCの面白さについていうならば、間違いなく20世紀>>>21世紀だったと言わなければなりません。
個人的には、ジャパンCで一番燃えるエピソードは、リアルタイムで見るようになる前のこと、ギリギリで列伝対象にはならない時代の第3回ジャパンCで、レース前に
「日本はいつも我々に強い馬を連れてこいというけれど、なぜ日本で一番強いトリプルクラウンホースはなぜ出てこないのか?」
と海外記者に(たぶん悪気なく)軽んじられた高松師が、
「だから、日本で一番強いキョウエイプロミスが皆さんのお相手をするのです」
と返し(ここはあくまでも闘志を内に秘めて静かに言い返した説と、啖呵を切った説があります)、実際にキョウエイプロミスがレースでも激走して日本馬初めての連対を果たしたものの、それと引き換えに競走生命を失ったことと、そんなジャパンC当日、東京レース競馬場には若き日の皇帝がやって来ていたというエピソードです。この日の布石が第4回、第5回ジャパンCにつながっていく物語の流れは、ウマ娘のシナリオにもなりそうなんですが、残念ながら、まずはカツラギエース(とキョウエイプロミス)がウマ娘化されないことには始まりません(え?「古いよ・・・」ですと?知らねーよ)。
ジャパンCを第4回にして初めて制した日本馬にして、海外マスコミから「エース・オブ・ジャパン」とたたえられたカツラギエースに、21世紀、そして令和の競馬ファンから、深い敬意を捧げます。