マイネルコンバット列伝・編集後記
今回はマイネル軍団の創始者である岡田繁幸総帥に「ダービー」の栄光をもたらした「マイネルコンバット列伝」です。…というのは本文で書いた通り、アレですが、総帥には日本ダービーを取ってほしかったな。。。結局総帥が一番日本ダービーに近づいたのは、原点でもあった86年のグランパズドリームだった…というのは、いささか皮肉すぎるお話です。
マイネルコンバットに限った話ではありませんが、統一グレード発足直後のJRA所属の統一Gl1勝馬は、情報がものすごく薄い気がします。JRAの公式機関誌である「優駿」での扱いが明らかにJRAのGlより薄いうえ、地方競馬の御用達「ハロン」でも、その立ち位置から仕方がないとはいえ地方所属馬が優先される結果、彼らを中心として取り上げる媒体はほぼない状態でした。「サラブレッド列伝」の中で「阪神3歳S勝ち馬列伝」に登場したダイゴトツゲキ、カツラギハイデンあたりは資料がなくて本当に苦労したのですが、マイネルコンバットや同時期のJRA所属の統一Gl馬たちに関する資料の総和は、ダイゴトツゲキらから15年くらい後でネットの普及が進みつつあった時代であるにもかかわらず、あまり変わらないような気がします。…だからこそ、Gl級の馬ならwikipediaを見るだけで大体のことが分かってしまう時代の「サラブレッド列伝」の意義があるのかもしれません。