フサイチコンコルド列伝・府中を切り裂く音速
『最後の戦い』
1996年11月3日、過去最多となる12万6112人のファンが見守る京都競馬場で、第57回菊花賞(Gl)が開催された。
この日、淀に集まった17頭の出走馬たちの中で最も支持を集めたのは、ダービー馬フサイチコンコルド…ではなく、「トライアル三冠馬」ながら、いまだにGl無冠のダンスインザダークだった。ダンスインザダークが単勝260円の1番人気に推され、フサイチコンコルドは単勝500円の2番人気にとどまった差は、おそらく臨戦過程の順調さの違いがそのまま表れたものだった。
この時のフサイチコンコルドは、前走比4kg減と前走より絞れており、評論家たちは馬体についても
「気合が乗っている」
「一戦叩いて変わり身が見込める」
などと評している。しかし、小林師は、後日になって
「正直言って、もう本調子ではありませんでした…」
と、仕上がりに大きな不安を感じていたことを明らかにしている。日本ダービー前とは何かが変わりつつあることを、馬の一番近くにいた小林師は、感じていたのかもしれない。
しかし、馬の状態に自信が持てなくても、戦いの時は必ずやって来る。やがて発走時刻が訪れ、第57回菊花賞は発走の時を迎えた。それは、藤田騎手とフサイチコンコルドにとって、最後の戦いであった。
『入れ替わった構図』
この日のレースは、ばらけたスタートで始まったものの、やがてセントライト記念馬ローゼンカバリーが先導する形へと収まっていった。
引退までに33戦7勝の戦績を残し、Gll4勝を挙げる名バイプレーヤーとなるローゼンカバリーにとって、この日は生涯唯一の逃げとなった。逃げ馬ではない馬が押し出されて先導する形となった3000mのレースは、緩やかである。この日の1000m通貨タイムである1分01秒9は、90年代の菊花賞の中では、91年(勝ち馬レオダーバン)の1分02秒7に次いで遅かった。
そんな遅い流れの中で、フサイチコンコルドは好位置につけていた。スタートで立ち遅れた日本ダービーとは違い、いいスタートを切ることができた。
その一方で、最大のライバルであるダンスインザダークは、大外となる17番枠を引いたこともあって、いつものレースと比べると後ろの方となる、中団に潜んでいた。…この構図に、なんらかの胸のざわめきを感じた人もいたことだろう。日本ダービーとは、フサイチコンコルドとダンスインザダークの位置関係が、完全に入れ替わっていたのである。
「今後間違ってダービーを勝つことはあるかもしれないが、あれほどの自信を持ってダービーに送り出す馬は二度と出ないだろう」
と言うほどの自信とともに確勝を期していた日本ダービーで、完全に思い通りのレースを進めながら、最後の100mでフサイチコンコルドに栄光をさらわれたダンスインザダーク陣営は、この日、凄まじい執念を燃やしていた。橋口師は、レース前から
「ダービーで負けたわけだから、雪辱に燃えていますよ」
と公言し、打倒フサイチコンコルドに燃えていた。また、ダンスインザダークの鞍上を務める武騎手も、地下馬道で
「勝ちますよ」
と言い切り、その橋口師を驚かせた。日本ダービーとは違って、彼らの目に、フサイチコンコルドの姿はこの時点で確かに映っていた。
『消えた1番人気』
この日の菊花賞の特徴として、どの馬もなかなか積極的にレースの流れを変えにいかない「様子見」が長く続いた結果、もともと遅かった流れが、中盤でさらに緩んだことが挙げられる。隊列が大きく広がることもないため、17頭の出走馬たちは、比較的狭い範囲に密集しながら、徐々にゴールまでの距離を詰めていく。
フサイチコンコルドは、好位から競馬を進める利を生かし、前が邪魔にならない程度に進路を制御しながら仕掛けどころを探っていた。このような展開で決断を先に迫られるのは、前の馬より後ろの馬である。前の馬をかわしながら直線になだれ込む際、馬を外に持ち出し、進路を失わないよう確実に攻めるか、あくまでも内を衝いて最短距離を狙うか。そして、武騎手とダンスインザダークは、向こう正面の上り坂はもちろんのこと、第3コーナー過ぎの下り坂でもまだ馬群の内にいた。
ところが、この時、ダンスインザダークは他の馬の壁に阻まれて、前にも外にも進路を見出せずにいた。それどころか、後退を余儀なくされていく。京都の難所とされて乗り方が難しいとされるこの下り坂では、「ここで仕掛けると外に振られて距離で損をする」というセオリーはあるにしても、ここであえて後退するという戦術は、ない。
後退する1番人気に、スタンドは騒然となった。このような展開の中では、ゴールまでの障害が少ない先行馬が優位に立つ。その中には、当然のことながらフサイチコンコルドが含まれていた。
『追い詰める蹄音』
最内のコースを走っていたフサイチコンコルドは、最短距離を衝いて直線へとなだれ込んでいった。序盤からレースを引っ張ったローゼンカバリーが馬群に呑み込まれる中、代わって先頭に立つかに見えたサクラケイザンオーをかわして先頭に立つ。この時は、藤田騎手も
「勝った!」
と思ったという。史上3頭目、牡馬に限れば73年のタケホープ以来2頭目となる日本ダービーと菊花賞の二冠制覇は、すぐそこにある。
だが、サクラケイザンオーを引き連れたフサイチコンコルドと藤田騎手の背後には、後方からあと2つの蹄音が迫っていた。
『甦る宿敵』
蹄音の1つは、「SS四天王」の一角として早くから頭角を現し、皐月賞2着、日本ダービー4着と善戦しながらも勝ちきれず、この日は単勝1240円の6番人気にまで評価を落としていたロイヤルタッチだった。夏の函館記念(Glll)以降鞍上を務める岡部幸雄騎手の手綱で、フサイチコンコルドと同様に好位からの競馬を進めたロイヤルタッチが、余力を十分残して外から伸びてくる。では、もうひとつの蹄音は…?
その正体に気づくや、観衆は再び熱狂した。第4コーナー手前で脱落したかに見えたダンスインザダークが、地獄の底から蘇ってきたのである。
馬の壁に阻まれて第4コーナーまでに大きく後退したダンスインザダークだったが、武騎手はあきらめていなかった。京都の下り坂でペースを上げた馬たちは、広い第4コーナーで必ず外に振られる。第4コーナーを回り切るまでに、必ず内側の前は、空く。それは、ジンクスや運否天賦ではなく、物理法則に裏打ちされた必然であることを、武騎手は知っていた。
ゆえに、下り坂でペースが上がっても、武騎手はペースを上げようとはしなかった。ここでペースを上げては、ダンスインザダークも第4コーナーで周囲と一緒に外に振られることになる。たとえ一時的に後退することになっても、ここは待つしかない。それで仕掛けが遅れたとしても、ダンスインザダークならば、末脚は届くはず…!
フサイチコンコルド、サクラケイザンオー、ロイヤルタッチという並びのさらにその外から、内に切れ込むようにダンスインザダークが迫る。脚色が違う。それは間違いない。あとは、ゴールまでに間に合うかどうか、である。