フサイチコンコルド列伝・府中を切り裂く音速
『翳さす明日』
当時の旧4歳の一流馬の夏は、北海道の牧場での放牧などで、春のクラシックの疲労を癒すのが一般的だった。しかし、フサイチコンコルドは、長距離輸送を避けるため、栗東で夏を越すことになった。
小林師は、フサイチコンコルドの秋のローテーションについて、
「秋は2戦しか使いません。コンコルドは(旧)5歳になって本当に強くなるはずですから」
と語っている。そんなフサイチコンコルドが使う旧4歳秋の2戦が京都新聞杯(Gll)から菊花賞(Gl)…というのは、もはや公然の秘密ですらあった。
ただ、日本ダービー制覇から2ヶ月も経たない96年7月、フサイチコンコルドの名前が誰も予期しない形でニュースを騒がせることになった。それは、スポーツニュースではなく経済ニュースで、主人公は馬主である関口氏だった。
関口氏は、株式会社メイテックの取締役会であり、創業者であり、また社長でもあったが、この時、取締役会の決議によって社長から解任された。会社側の説明では、解任理由が「関口氏が会社の事業として競馬に進出させたいと主張したため」とされていたが、関口氏はこれを否定し、社内クーデターの口実として競馬が使われたと反論している。
・・・このニュース自体は、本質的には競馬と直接関係ない企業人事ではあったが、「ダービー馬の馬主」という強いインパクトを見出しとともに、解任というネガティブな形で騒がれたことは、フサイチコンコルドの今後にも影を落とすものだった。
『秋の始まり』
関口氏の社長解任というニュースは、競馬界にも波紋を投げかけたが、秋競馬の季節は、そうした動きとは関係なく訪れる。
当時の菊花賞戦線の始まりを告げるトライアル・神戸新聞杯(Gll)は、春に青葉賞(Glll)でダービーへの権利取りに挑んだものの8着に敗れ、日本ダービーでも抽選に敗れて出走を果たせなかった7番人気のシロキタクロスが勝った。続くセントライト記念(Gll)では、同じく青葉賞4着で、日本ダービーの抽選に敗れて出走できなかった2番人気のローゼンカバリーが、皐月賞馬イシノサンデーを破って優勝した。シロキタクロス、ローゼンカバリーというダービー不出走組が重賞初勝利で菊花賞への切符を手にした結果は、春とは違う構図を予感させるものだった。
しかし、当時、菊花賞に最も直結するトライアルといえば、京都新聞杯(Gll)だった。「SS四天王」のうちクラシック路線を歩む3頭は、ここに集結した。そして、満を持してここで復帰し、単勝190円の圧倒的人気を背負ったダンスインザダークが、ロイヤルタッチ、イシノサンデーを含む有力馬たちを抑えて勝った。弥生賞、プリンシパルSに続いて京都新聞杯を勝ったことで、ダンスインザダークは牡馬では史上2頭目となる「トライアル三冠」を達成した形である。
…だが、日本ダービーで死闘を繰り広げたライバルたち、夏の新興勢力たちの構図が徐々に明らかになっていくトライアルの中に、フサイチコンコルドの姿はなかった。当初、京都新聞杯での復帰を目指していたフサイチコンコルドだったが、日本ダービーまでの疲労があったのか、体調不良を重ねて仕上がりも遅れに遅れ、ついに間に合わなかったのである。
『不安とともに』
フサイチコンコルドが競馬場に戻ってきたのは、京都新聞杯の1週間後に行われたカシオペアS(OP)だった。87年の創設から現代に至るまで、重賞には格上げされずオープン特別として続くカシオペアSだが、クラシック勝ち馬の出走は、創設初年度の87年に前年の菊花賞馬メジロデュレンが参戦したことまで遡る。春のクラシック馬がその年に出走した例は、96年以前はもちろんのこと、現在に至るまで存在しない。
だが、3000mという長丁場である菊花賞に臨むために、日本ダービー以来のぶっつけ本番というのはさすがに厳しい。皐月賞を勝った後に故障で戦線を離脱し、復帰戦の菊花賞でいきなり二冠を達成した87年のサクラスターオーの例はあるものの、それはそれで「3戦目の日本ダービー制覇」と同等の奇跡に近い。少なくとも、最初から期待してローテーションを組むような話ではなかった。
日本ダービーから約4ヶ月半ぶりの実戦となるカシオペアSに現れたフサイチコンコルドは、18kg増という大幅な馬体重の増加にもかかわらず、単勝130円という圧倒的な1番人気に推された。11頭の出走馬の中には、約3年前の朝日杯3歳S(Gl)を勝ったエルウェーウィンをはじめとする3頭の重賞勝ち馬がいたものの、フサイチコンコルドに対抗できるとはみなされていなかった。
ところが、この日の結果は、極めて意外なものとなった。道中で中団待機策をとったフサイチコンコルドは、スローペースで逃げたメジロスズマルの術中にはまり、直線で差し切るどころか、5馬身差届かず2着に敗れてしまった。
メジロスズマルは、それまでの主な戦績は札幌日経オープン(OP)3着、巴賞(OP)3着、障害2勝という旧6歳馬で、鞍上は前年にデビューしたばかりの福永祐一騎手だった。単勝1160円とそれなりの評価を集めてはいたものの、単勝130円とは比べるべくもない。そんな2頭の人気と結果は2000mのレースの後に逆転し、フサイチコンコルドは、菊花賞を前にして、生涯初めての敗北を喫したのである。
カシオペアSから菊花賞までのレース間隔は、中1週となる。不本意な結果からの非常に厳しいローテーションで、果たしてどこまで立て直すことができるのか。フサイチコンコルドの秋は、不安とともに幕を開けた。