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ハクタイセイ列伝 ~怪物二世の光と影~

『仁川発希望行き』

 そんな情勢の中で、ハクタイセイはいよいよ・・・ようやく初めての重賞に挑戦することになった。重賞初挑戦となったきさらぎ賞(Glll)は、もともとはクラシックへの登竜門といわれる伝統のレースであり、一時有力馬の出走が減った時期はあったものの、98年のダービー馬スペシャルウィーク、99年の菊花賞馬ナリタトップロードといった時代の名馬たちが、ここからクラシック戦線へと攻め上っていった。

 だが、当時のきさらぎ賞は、ちょうどその間の不遇の時代で、勝ち馬からは1978年(昭和53年)のインターグシケン以来クラシック勝ち馬が出ていなかった。そんな中でこの年は、ハクタイセイが回避した阪神3歳Sを勝ったコガネタイフウが出走し、さらに後にマイルCSを連覇して「へそ曲がりのマイル王」と呼ばれたダイタクヘリオスも出走馬に名を連ねていた。長らく不振が続く伝統のレースの復権に賭けて、この年は「今年こそは」と思わせるメンバーが揃っていた。

 ハクタイセイにとって、このレースは、初めて同世代の一線級を相手に戦う経験である。ここでハクタイセイの鞍上を託された須貝尚介騎手は、ひとつの賭けに出た。これまでの4連勝ではすべて逃げて勝ってきたハクタイセイだったが、ここで初めて、馬群の中からのレースを試みたのである。

 この日の関東では、アイネスフウジンが共同通信杯4歳S(Glll)を圧倒的なスピードで押し切っていた。これから進んでいくクラシック戦線を念頭に置くと、アイネスフウジンと逃げ比べをするのは、ハクタイセイにとって分が悪い。もっとオーソドックスな競馬を経験させる必要がある、というのが須貝騎手の考えだった。

 須貝騎手は、85年に騎手としてデビューしてから、コンスタントに20勝前後の勝ち鞍を記録しており、ハクタイセイにはここまでの8戦中7戦で騎乗していた。大舞台での実績はないものの、馬のことは良く分かっている。そして、別の見方をするならば、ハクタイセイ陣営がこのレースで初めてクラシックを意識したレース運びをした、ということでもあった。

 この日の阪神競馬場は、どろどろの不良馬場だった。ダートが得意なハクタイセイにとって、パワー勝負となる馬場は望むところで、本番を前にして脚質転換を試すには、絶好の舞台だった。・・・そして、須貝騎手の作戦は当たる。好位から抜け出したハクタイセイは、必死に追撃するコガネタイフウを1馬身4分の1抑えて、5連勝での初重賞制覇を飾ったのである。レース前に落鉄というアクシデントに見舞われた不利を乗り越えての勝利は、クラシックへの名乗りをあげたというにふさわしいものだった。世代にまだ2頭しかいないGl馬のうちの1頭と、「大器」と名高い後のGl2勝馬を撃破したこの勝利により、ハクタイセイはようやくクラシック候補の一角として認知されるに至った。

『風雲急』

 その後のハクタイセイは、皐月賞(Gl)を目指す有力馬が多数出走する弥生賞(Gll)、スプリングS(Gll)といったトライアルを無視して、本番へと直行することになった。もともと5勝を挙げているハクタイセイは本賞金を十分すぎるほど稼いでいるから、トライアルで出走権を無理して取りに行く必要はない。ハクタイセイは意外に食が細いうえ、牝馬のようにデリケートなところがあったため、本番を控えて無理をさせないことにしたのである。

 布施師は、以前にバンブーアトラスで日本ダービー、バンブービギンで菊花賞を制していたため、皐月賞を勝てば、当時としては史上7人目の「三冠」調教師となる。栄光を目指してハクタイセイの調整に余念はなかった。

 ハクタイセイがいない弥生賞では、関東の大器メジロライアンが鮮烈な差し切り勝ちを収め、クラシックの主役の座を当確にした。もともと気の早い一部の愛好家の間では、前年末ころから「三冠馬の誕生も近い」と絶賛されるほどに人気があったメジロライアンだったが、目下の敵であるアイネスフウジンを破っての弥生賞制覇は、その声に応えるに値するものだった。その一方、ここで4着に敗れたアイネスフウジンはやや評価を下げたものの、やはりクラシック候補の座に揺るぎはない。

 スプリングS組からはそれほどの大物が現れなかったため、ハクタイセイの評価はメジロライアン、アイネスフウジンに次ぐ3番手、というところに落ち着いた。もちろんハイセイコーの現役時代を知るオールドファンの期待を集めてはいたが、それではあまりに露骨で気が引けたのか、多くは心密かに応援する、といったところにとどまっていたようである。

『夢再び』

 ハクタイセイ、メジロライアン、アイネスフウジンの「三強対決」が注目された皐月賞は、1990年(平成2年)4月15日、中山競馬場で戦いの火蓋が切って落とされた。

 この日、レース前に誰もが逃げると予想していたのは1番人気のアイネスフウジンだったが、予想と異なり、先頭を切ったのはフタバアサカゼというしんがり人気の馬だった。勝つために逃げるアイネスフウジンと異なり、こちらはもともと勝算が乏しい、玉砕覚悟で打った大逃げである。意外な展開ながらそれもそのはず、アイネスフウジンは、スタート時に隣のホワイトストーンが右側へ斜行して騎手が大きくバランスを崩すアクシデントに巻き込まれ、2番手を行く不本意な形になっていた。

 アイネスフウジン以外では、ハクタイセイが好位につけ、メジロライアンが後方待機という、ほぼ予想通りの展開となった。アイネスフウジンの前に1頭いることだけが、大きな予想外だった。この日鞍上に迎えられていた南井克巳騎手は、ハクタイセイとともに勝負の機を待った。

 そして、フタバアサカゼの逃げは一攫千金狙いの大ばくちだった。大ばくちとは、負ける可能性のほうが圧倒的に高いからこそ大ばくちという。案の定フタバアサカゼは、第3コーナー辺りで早くも限界に達し、そのまま後退して馬群に沈んだ。第4コーナー付近で先頭に立ったアイネスフウジンは、そのまま逃げ込みを図る。・・・結局、フタバアサカゼの玉砕的逃げは大勢に影響を与えることなく、直線では逃げるアイネスフウジンと、それをとらえにかかる後続陣という、予想通りの展開となった。

 アイネスフウジンとは、強い逃げ馬の定石通り、絶対的なスピードだけでなく、直線での粘り強さをも備えていた。直線の坂を駆け上り、残り100m地点に達しても、なかなか先頭を譲らない。しかし、それを追いつめるかの如く馬群の真ん中を割って一頭の芦毛が飛び出してきた。それが、ハクタイセイだった。

 ハクタイセイがアイネスフウジンを追いかける一完歩、一完歩ごとに、2頭の差は縮まっていく。しかし、アイネスフウジンも、簡単には先頭を譲らない。両馬の死闘はゴール板まで続き、ほんのクビ差だけハクタイセイが前に出たところがゴールだった。この瞬間、「怪物2世」は6連勝で皐月賞を制したのである。

 2番人気のメジロライアンは、最後に追い込んできたものの届かず、3着にとどまった。その後、幾度となく繰り返されてはファンを涙に暮れさせたメジロライアンの原風景が、ここに始まったのである。それはさておき、ハイセイコーの息子、「白いハイセイコー」は死闘を制し、見事父子2代の皐月賞制覇を果たした。

 この時ハイセイコーが種牡馬生活を送っていた新冠の明和牧場には、全国のファンから祝福の電話が殺到した。ハイセイコーは、その死に至るまでの間人気は衰えることなく、誕生日には全国から花束や人参などのプレゼントが贈られてきたという。だが、この時の祝福は、それらを軽く凌駕していた。ハイセイコーの闘志を受け継いで、死闘を制した白いハイセイコーの夢に、全国の競馬ファンは酔ったのである。

『三強再戦』

  皐月賞父子制覇の偉業を果たしたハクタイセイに、次に期待されたのは、父が果たしえなかった日本ダービー制覇だった。ハイセイコーは皐月賞を勝ったものの、日本ダービーでは伏兵タケホープの後塵を拝して3着に敗れ去っている。父の夢を継いだ子が、果たして日本競馬最高のレースで父を乗り越えるのか。父のアイドル性もあって、ハクタイセイは今度こそ人々の注目を集める存在となった。

 だが、直前になってハクタイセイに新しい問題が起こった。鞍上がいなくなってしまったのである。

 皐月賞でハクタイセイに騎乗した南井騎手は、日本ダービーでは自厩舎の馬に騎乗する予定が決まっていたため、布施師は南井騎手に代わって、きさらぎ賞まで騎乗していた須貝騎手に騎乗を依頼する予定だった。ところが、須貝騎手の父でもある須貝調教師から、直前になって

「息子に皐月賞馬でのダービーは荷が重い」

と丁重な辞退の連絡があったのである。これでハクタイセイの鞍上は、宙に浮いてしまった。

 困った布施師は、関西の一流騎手のうち、当日東京競馬場にいるのに日本ダービーの予定は空いている騎手ということで、河内洋騎手に依頼するつもりだったという。・・・しかし、布施師から河内騎手との仲立ちを頼まれた浅見国一師が栗東トレセンの騎手のたまり場へ河内騎手を探しに行った時、河内騎手の姿は見当たらなかった。もう河内騎手を探している時間も残っていない。そこで浅見師は、偶然その場にいた武豊騎手に話を通し、ハクタイセイの鞍上は、武騎手が務めることになった。

 武騎手は、1988年にスーパークリークで初のクラシックとなる菊花賞を制していたものの、日本ダービーは未制覇・・・というより、有力馬に騎乗する機会すら得てなかった。88年のコスモアンバーが16番人気(16着)、89年のタニノジュニアスが7番人気(10着)では、さすがに「出走しただけ」と言われても仕方がない。だが、この年舞い込んだ依頼は、皐月賞馬ハクタイセイからのものである。武騎手は、この事実上初めて、日本ダービーでの「勝ち負け」のチャンスを得たと言えた。

 もっとも、日本ダービー(Gl)で1番人気に推されたのは、皐月賞馬ではなく、皐月賞では3着に終わったメジロライアンだった。メジロライアンは、皐月賞でこそ敗れたものの、直線で見せた末脚は際だっており、その最大の持ち味である強烈な差し脚は、直線の長い府中でこそ生きる、というのが人々の予想だった。また、有馬記念と天皇賞・春を勝ったアンバーシャダイ産駒であるメジロライアンは、血統的にも距離が伸びて力を発揮するタイプともみられていた。

 メジロライアンに続く2番人気はハクタイセイで、3番人気は皐月賞2着のアイネスフウジンだった。皐月賞馬がダービー1番人気になれなかった理由は、やはり、父の血からくる距離不安が大きかった。

 何はともあれ、メジロライアン、アイネスフウジン、そしてハクタイセイの3頭は、体調も万全でダービーを迎えることになった。まさに「三強再戦」だった。

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