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サクラホクトオー列伝~雨のクラシックロード~

『再起を目指して』

 ダービー後、休養に入ったサクラホクトオーだったが、健康診断の結果、軽度の肝機能障害が発見された。厩舎で見つからなかった程度のものだから、敗因をすべて体調に帰することは困難であるにしても、あまりの大敗に首をひねっていた境師、小島騎手、そしてファンに対して一定の説明を与える効果は有していた。

 夏の間に肝機能障害の治療も施されたサクラホクトオーは、菊花賞(Gl)を目指して秋に復帰した。始動戦とされたのは、クラシック最後一冠・菊花賞の3つのトライアルのうち、唯一関東で行われるセントライト記念(Gll)だった。

 セントライト記念は、菊花賞のトライアルレースとはいえ、当時から本番とあまりつながらないトライアルとしても知られていた。セントライト記念の開催時期が早すぎて菊花賞とはかなりの間隔が開くうえ、コースも中山2200mと、菊花賞が行われる京都3000mコースとはあまりに条件が違っていた。そのため、当時の菊花賞を目指す有力馬は、関西馬はもちろんのこと、関東馬でも当時菊花賞トライアルだった京都新聞杯へと遠征することが少なくなかったのである。

 そんなわけで、セントライト記念に出走してきたのは菊花賞を目指すにはやや小粒なメンバーで、サクラホクトオーは実績でいえば断然のナンバー1だった。

 ところが、9頭の出走馬たちの単勝オッズをみると、サクラホクトオーは480円で、ダービー2着のリアルバースデーはもちろんのこと、夏に台頭してきたばかりのスダビートにまで遅れをとる3番人気だった。

 サクラホクトオーの栄光の季節は、既に過去のものとなっていた。春の戦績は、馬場状態、早熟、距離適性・・・といった分析はいくつかあったが、いずれにしろ3歳時の評価は失われていた。時の経過を象徴するように、サクラホクトオーの兄であり、ダービーを制覇した後に屈腱炎で戦列を離れていたサクラチヨノオーも、復帰は果たしたものの、安田記念(Gl)、宝塚記念(Gl)で16着に破れ、そのまま現役を退いている。

 だが、セントライト記念に出走したサクラホクトオーは、スタート直後からずっと後方2番手に待機し、直線でためにためた末脚を爆発させるという豪快な競馬で、スダビート以下を1馬身差し切った。約9ヶ月ぶりの勝利となるセントライト記念の復活劇は、3歳時の姿が甦ったような鮮やかなもので、

「やっとこの馬らしいレースができた・・・」

という小島騎手の言葉には、万感の思いが込められていた。

 レース後、境師はサクラホクトオーの菊花賞参戦を宣言した。

「距離は心配してない。あとは、雨降りがね・・・」(境師)
「(距離は)何とかなると信じている。あとは、馬場だけ。道悪だけは・・・」(小島騎手)

 彼らの思い・・・不安は、まったく同じものだった。

『復活』

 第50回菊花賞・・・10万を超える大観衆に見守られた京都競馬場は、好天に恵まれ、さらに馬場状態も文字どおりの良馬場となった。

 セントライト記念での勝利で意気を上げ、さらに待ちに待った良馬場と知って勇躍乗り込んだ菊花賞だったが、春に期待をことごとく裏切ってきたサクラホクトオーへのファンの評価は、非常に厳しいものだった。単勝1160円で7番人気・・・それが、サクラホクトオーへの支持である。3つの菊花賞トライアルのうち、京都新聞杯(Gll)の覇者バンブービギンが380円で1番人気、神戸新聞杯(Gll)を制したオサイチジョージが570円で3番人気に支持された(410円で2番人気に支持されたのはダービー馬ウィナーズサークル)のに対し、あまりに低いこのオッズこそが、サクラホクトオーがこれまでに重ねてきた裏切りの代償であった。

 もっとも、人気の重圧から解放された形のサクラホクトオーは、この日は実にのびのびと競馬を進めていた。中団につけたサクラホクトオーは、スローペースの中でも折り合いをつけ、手綱を通して小島騎手に十分な手応えを伝えている。

 果たして、サクラホクトオーは、向こう正面で外に持ち出すと、第3コーナーを過ぎてから、勢いよく進出を開始した。それまで静かに戦況を見つめていた境師は、いい脚を使って進出してゆくサクラホクトオーを見て、歓喜にうち震えた。

「これなら、いける!」

 思えば、サクラホクトオー陣営にとって、春はあまりにも厳しい季節だった。3歳時には「三冠を狙える器」とまで惚れ込んだサクラホクトオーが、弥生賞、皐月賞、ダービーではあまりに無惨な姿を晒した。一度地に堕ちた評価は、セントライト記念を勝ってもほとんど変わることなく、結局菊花賞を7番人気で迎えることなど、前年暮れの境師には、思いもよらぬことだったに違いない。しかし、ここで菊花賞を勝ってクラシックを手にすれば、これまでの苦労は報われる。もちろん三冠の夢には遠く及ばないとはいえ、一生に一度しかチャンスがないクラシックレースのひとつを制するか否かは、サラブレッドにとって極めて大きな違いがあった。

『世紀の怪走』

 ところが、第4コーナーで境師が見たものは、夢にまで見た、サクラホクトオーが前の馬たちをかわして栄光のゴールに飛び込む光景ではなく、想像をはるかに超えた絶景だった。他の馬たちがコーナーを回って直線になだれこんでいく中で、サクラホクトオー1頭だけが大きく外へ振られ、そこからさらに外によれていく。否、外ラチに向けて突っ込んでくる。

 最初何が起こったか分からなかったという境師は、次に小島騎手への怒りに卒倒しそうになったという。

「あいつ、なんて乗り方するんだ!?」

 普通、騎手は馬が走る距離を短くするために、少しでも馬を内ラチ沿いに走らせようとする。中には馬群をさばいたり、内ラチ沿いの荒れた馬場を避けたりするためにあえて外を通ることもあるが、それにも「ほど」というものがある。外ラチに突っ込んでくるという走り方はあまりに常識はずれで、スタンドからは、勝負どころであるにもかかわらず、歓声に混じって失笑の声が漏れたほどだった。

 直線入口から外に大きく振られたことで、残り200mあたりでは10馬身ほど離され、さらに外にぽつんと1頭取り残された形になっていたサクラホクトオーは、果たしてそこを馬が走るのは年に何度あるのかすら定かではないような外ラチ沿いから、ようやく桁違いの末脚を爆発させた。先頭との差はみるみる縮まり、実力の片鱗を見せつけた。

 だが、いくら桁違いの末脚を爆発させても、外ラチ沿いまで回ったロスはあまりにも大きすぎた。勝ったバンブービギンから遅れること0秒4の5着という着差と着順は

「まともに回ってさえいれば・・・」

と思わせるに十分なものだった。ちなみに、この日菊花賞をテレビ観戦していたファンは、優駿たちが栄光のゴールに入るクライマックスで、何者か分からない黒い影が横切った姿を目にしている。先頭集団に集中していれば馬にすら見えない「黒い影」・・・それがサクラホクトオーである。

 一瞬希望の光が射し込んだ直後のとんでもないレース内容だけに、境師はあきれるだけは済まず、顔から火が出るような思いだった。小島騎手はレース後、激怒した境師にひどくとっちめられたという。

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