TOP >  年代別一覧 > 1990年代 > ウイニングチケット列伝~府中が泣いたマサトコール~

ウイニングチケット列伝~府中が泣いたマサトコール~

『明暗』

 2人の名手が最終的に決断したのは、いずれもレースが最高潮を迎える第4コーナー手前でのことだった。だが、その内容は対照的なものとなった。先を往く岡部騎手が、不利を避けるために第4コーナーでビワハヤヒデを外に持ち出したのに対し、柴田騎手は、ビワハヤヒデが外へ持ち出したことでぽっかりと空白になった空間へ、ウイニングチケットとともに突っ込んでいったのである。

 彼らの選択は、岡部騎手ではなく柴田騎手に吉と出た。彼らが決断を下したのとほぼ時を同じくして、彼らのさらに前では、ドージマムテキが馬場の良い所を通ろうとして、馬場状態の悪い内ラチ沿いから外へと持ち出していた。すると、他の馬もつられて外へ持ち出す形になったため、ウイニングチケットの前が、ちょうどエアポケットのようにぽっかりと開いたのである。

 この絶好機を見逃す柴田騎手ではなかった。本来この道は、ビワハヤヒデのために開くはずの空間だった。それが今は、彼らの前にある。堅く閉ざされていたかに見えた馬の壁に開いた彼らのための道は、彼らにとっては、モーゼの出エジプトの際に、ヘブライの民の前に海の道が開いたような奇跡だった。栄光へと誘う勝利への一本道を衝いたウイニングチケットは、直線へ、そして悲願へとなだれ込んでいった。

 その一方で、安全策を採ったはずのビワハヤヒデは、ドージマムテキのアオリを受ける形となり、前が窮屈になる形となった。ウイニングチケットは、ここで宿敵ビワハヤヒデに、初めて一歩先んじたのである。

『死闘』

 直線入口を見事な形で乗り切った柴田騎手は、外へ持ち出したビワハヤヒデが苦しむのを見て、早くも勝負どころと見切り、出し抜けを食わすようにムチを飛ばした。そんな柴田騎手の叱咤に応え、ウイニングチケットも一気に前に出る。その時点で彼より前にいた馬はもう一杯になっており、ウイニングチケットがいずれ先頭に立つことは、もはや明らかだった。問題は、そのままゴールまで粘りきれるのかどうかである。第4コーナー付近での仕掛けは、直線の長い府中では、早すぎる仕掛けとなりかねない。

 しかし、この日の柴田騎手に不安はなかった。ウイニングチケットならば、押し切れる。彼には、確信があった。柴田騎手の信頼と闘志はムチを通して馬に伝わり、馬もそれに応えて己の限界に挑む。ウイニングチケットは、前を行く馬たちをやすやすかわし、先頭に立ったのである。

 そんなウイニングチケットをめがけて、馬群の中から突き抜けてくる馬も現れた。一度外へ持ち出した際に大きな不利を受けながら、もう一度内側に戻って突っ込んできたビワハヤヒデが、不屈の闘志で末脚を伸ばしてきたのである。第4コーナーでの位置どりのロスなど感じさせない絶好の気配は、これまで万全の競馬を進めてきたウイニングチケットにまったくひけをとらないものだった。

 さらに、外からはもう1頭、後方からビワハヤヒデ以上の脚で飛んでくる馬がいた。皐月賞馬のナリタタイシンである。武騎手が府中の長い直線、そして馬の実力を信じて末脚勝負に賭けたその作戦は、皐月賞馬から皐月賞の時と同じ、否、皐月賞の時を上回る、まさに「鬼脚」というにふさわしい斬れ味を引き出していた。

 先頭では、相変わらずウイニングチケットが逃げ粘っていた。だが、そんなウイニングチケットに対し、内からはビワハヤヒデが並びかけ、さらに外からは、ナリタタイシンの気配が迫っていた。第60回日本ダービーで「三強」を形成し、後の世に「平成新三強」といわれた彼らの揃い踏みである。

『勝ったのは―』

 だが、この時の柴田騎手とウイニングチケットは、確かに一体となっていた。ウイニングチケットを追う柴田騎手の気迫は馬に確かな力を与え、懸命に走るウイニングチケットの手応えは、柴田騎手に自信を返した。そんなウイニングチケットと柴田騎手は、ライバル2頭をさらに突き放さんばかりに、ゴールを前にしてもう一度伸びた。

 もちろんライバルたちも、そうやすやすと譲ってはくれない。ビワハヤヒデが懸命に食らいつく。だが、半馬身の差がどうしても縮まらない。ナリタタイシンが力の限り追い込む。だが、ゴールまでの距離が短すぎて届かない。

 3頭がひとつのかたまりとなってゴールへ駆け込んだ瞬間、ウイニングチケットはビワハヤヒデより半馬身前にいた。柴田騎手とウイニングチケットは、ついにダービー制覇を果たした。

 ゴールの瞬間、実況はこう絶叫した。

「勝ったのは柴田政人とウイニングチケット!」

 この実況は、この年のダービーを象徴している。勝ったのは「柴田政人」でもなければ「ウイニングチケット」でもなく、「柴田政人とウイニングチケット」だった。ビワハヤヒデの粘りを、ナリタタイシンの追い込みを最後の最後に封じ込めたのは、人馬一体のダービーに賭けた気迫だったのである。

『府中が泣いた』

 レースを終えた府中の大観衆は、柴田騎手とウイニングチケットの栄光に熱狂した。馬券を取った者はもちろんのこと、取れなかった者も含め、誰もがこの結果に納得していた。道中の不利を感じさせない実力で最後まで粘ったビワハヤヒデ、自分のレースに徹して大舞台で皐月賞に続く末脚を見せたナリタタイシン。そのいずれがダービー馬となっても、決して恥じないレースだった。だが、そんな彼らを抑えて頂点に立ったのは、柴田騎手の27年間の歴史と夢の重みと人馬一体の好騎乗だった。すべてを賭けた戦いの果ての結果に、ファンは誰もが損得抜きの拍手と祝福を送った。

 やがて、観客席の中からはじわじわとただ1人の勝者のためのコールが巻き起こった。気付いた人々は、遅れじとそれに唱和した。彼らは

「政人!政人!」

と勝者の栄光を讃え続け、唱和するファンの中には涙を流している者も少なくなかった。今なお伝説として語り継がれる、府中が泣いた政人コールだった。

 もっとも、この涙の背景には、ひとつの勘違いもあった。ダービー前のマスコミは、柴田騎手のコメントを取れなかったため、それに代えて

「ダービーを勝ったら騎手をやめてもいい」

という言葉をこぞって報道した。ところが、それらの報道の中には、どこで話がどう間違ったのか、「やめてもいい」が「やめる」として伝わったものがあった。

「ダービーを勝ったら、騎手をやめる」

 これが柴田騎手のコメントであると勘違いしたファンもおり、中には泣きながら

「政人、やめないでくれ!」

と叫んでいる者もいたという。これには、柴田騎手も苦笑いするばかりだった。

 しかし、そんな野暮は抜きにして、このときの「政人コール」が最近の競馬界でも屈指の名シーンだったことは確かである。

 柴田騎手は、勝利インタビューで

「世界中のホースマンに、私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人です、と言いたい」

と喜びを語った。柴田騎手が海外に行った時に、周囲の人々は彼のことを「日本の一流騎手」と紹介してくれるが、そう紹介された相手からは

「では、シバタはジャパンダービーを何度勝ったのか」

と聞かれることが少なくなかった。そのたびに

「俺はまだ本当の意味での一流騎手ではないんだ」

と悔しい思いをしてきた柴田騎手は、この日ついに悲願を果たすとともに、騎手としてのひとつの到達点に達したのである。また、感想を聞かれた伊藤師も、自らもダービーは初制覇であるにもかかわらず、

「自分でダービーを勝ったことももちろんうれしい。でも、それ以上に政人でダービーを勝ったことが嬉しいんです」

と語っている。勝者はもちろんのこと、岡部騎手、武騎手といった敗者も、誰もが柴田騎手の好騎乗を讃え、その悲願の実現を祝った。この日に限っては、すべてのホースマンが柴田騎手のダービー制覇を祝福したと言っても過言ではない。第60回日本ダービーは、そんな幸せな光景によって幕を下ろしたのである。

1 2 3 4 5 6 7 8
TOPへ