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メジロデュレン列伝~黄金兄弟、運命の岐路~

『幕は喜劇から上がり』

 続く有馬記念では、もはやメジロデュレンは穴馬ですらない、「その他大勢」の扱いに過ぎなかった。単勝2410円で16頭だての10番人気というのは、前年の菊花賞馬に対してはあまりに冷たい評価である。

 メジロデュレンに失望していたのは、ファンだけではなかった。近走の不振に加えて追い切りでも動きが悪かったことから、馬主サイドからも

「来年の天皇賞に備えて休養させたい」

という要望が池江師に寄せられるほどだった。・・・これでは、客観的に「買えない」馬といわれても仕方がない。

 だが、池江師だけは

「カシオペヤSは久々が堪えただけ。鳴尾記念は重かっただけ。状態は上向き」

と主張し、有馬記念への出走意思を変えようとはしなかった。

 有馬記念で単勝400円の1番人気に支持されたのは、1歳年下の菊花賞馬・サクラスターオーだった。皐月賞(Gl)を勝った後に脚部不安を発症して長期休養を余儀なくされ、半年ぶりの復帰戦となった菊花賞(Gl)でいきなりの二冠制覇を果たしたこの馬は、ファン投票で堂々の1位を獲得し、菊花賞後を休養にあてるという当初のプランを覆して出走してきていた。調教での動きは極めて悪く、オッズも4歳世代の二冠馬としては今ひとつだったが、ずっと不安視されていた脚の状態は、デビュー以来最も良い状態となっていたという。

 2番人気には、牝馬ながら毎日王冠(Gll)、京王杯AH(Glll。現京成杯AH)を勝ち、ジャパンCで3着した名牝ダイナアクトレス、3番人気にはこの年のダービー馬メリーナイスの姿があった。4番人気は、これまたこの年の二冠牝馬マックスビューティ・・・。メジロデュレンと同様に、近走は不振のダイナガリバーは5番人気で、充実した4歳馬たちに比べて古馬たちの層が薄いことは否めなかった。ただ、そんな情勢を考えても、前年の菊花賞馬が10番人気というのはあまりに低い評価といわなければならない。

 一歩先すらなかなか読めないオッズとなった有馬記念は、スタートにおいても波乱含みの幕開けとなった。メリーナイスが、スタートとともに落馬したのである。「強い4歳世代」といわれた強豪の中でも副将格ともいうべき馬は、あっさりと自滅して戦線から姿を消してしまった。

 メリーナイスに騎乗していた根本康広騎手は、菊花賞で引っかかって大敗したことへの反省から、この日は手綱を長手綱に持ち替えていた。・・・この工夫が、馬が躓いた時のとっさの反応を妨げ、結果的には仇となってしまった。幸い、根本騎手は軽い脳震盪を起こしただけで済んだものの、騎手不在のカラ馬となって馬群の後ろをついていくメリーナイスの様子に、場内は舞い散る馬券と悲鳴、そして失笑が微妙に混ざり合った奇妙な空間を作り出していった。

『狂想曲』

 レースは当時随一の逃げ馬レジェンドテイオーが逃げる展開となった。メジロデュレンは、中団にいた大本命サクラスターオーの直後につけた。その位置でレースの流れに潜んだメジロデュレンは、中山の勝負どころとされる、2周目の第3コーナー過ぎで仕掛け時を窺っていた。

 この時の村本騎手は、馬場の内は空かないと見て、機会を見て外へ持ち出そうと思っていたという。異変が起こったのは、その時だった。メジロデュレンの内にいたサクラスターオーが、突然故障を発生し、競走を中止してしまったのである。

 サクラスターオーは、長い開催で一番馬場が痛んだ場所に脚をとられてしまい、致命的な骨折を発症していた。東騎手は、後々までずっと

「どうしてあそこを通ったんだろう・・・」

と悔やみ続けた。だが、時計の針は戻せない。取り返しのつかない事故によって、サクラスターオーが上がっていくはずだった空間が、ぽっかりと空白になる。

 今度は正真正銘の悲鳴に覆われた中山競馬場の異常な雰囲気をよそに、メジロデュレンは、サクラスターオーが消えた空間へするりと入り込んだ。メジロデュレンにとって、東騎手が悔やんだ「最悪の場所」を通り過ぎた後のインコースは、最高の経済コースとなっていた。

 メジロデュレンが、サクラスターオーが進むはずだった空間をぬって上がっていくと、前に行った馬たちの脚は、ゴール前でピタリと止まっていた。かなりのスローペース、そして荒れた馬場を意識して、意表を突いた先行策に出ていたダイナアクトレスも、中団よりやや前で自分の競馬を進めていたはずのダイナガリバーも、力尽きている。後方のマックスビューティも、二冠を制した豪脚がまったく鳴りをひそめている。そして、サクラスターオーは、いまだに第4コーナー付近で、無惨な姿をさらしている・・・。

 前の人気馬たちは止まり、後ろの有力馬たちは来ない。ダイナガリバーは、ダイナアクトレスはどうした?マックスビューティは何をしている?そして・・・サクラスターオーは、どうなるのか!?

『宴のあと』

 大部分のファンたちの絶叫と悲鳴をよそに、逃げたレジェンドテイオーをゴール前で捕らえたのは、外から突っ込んできたメジロデュレンだった。同じ青い帽子の4歳馬・ユーワジェームスも、内を突いて追いすがってくる。こちらも菊花賞3着の実績はあったものの、重賞勝ちはマイル戦のニュージーランドトロフィー4歳S(Gll)だけということで軽視され、7番人気の人気薄に過ぎなかった。

 しかし、メジロデュレンはユーワジェームスの追撃を半馬身抑え、波乱のグランプリを制した。菊花賞以来、13ヶ月ぶりの勝利だった。

 この日の馬券を見ると、約251億円売れた馬券のうち162億円が、1番人気と3番人気が競走を中止したことで紙屑となった。その上に本命サイドもことごとく沈んだ意外な決着となり、配当は軒並み跳ね上がった。単勝は10番人気の2410円。枠連はゾロ目の4-4だったこともあり、有馬記念史上最高額配当となる16300円となった。勝利騎手となった村本騎手も

「勝てるとは思わなかった」

と驚いた、無欲の勝利だった。

 この年のグランプリは、人々には「メジロデュレンが勝ったレース」としてではなく、「サクラスターオーが散ったレース」として語り継がれることになった。サクラスターオーの故障は、本来なら即座に予後不良となるべき悲惨なものだったが、

「何とか生かしてやりたい」

という関係者の想いによって、闘病生活が始まった。・・・しかし、その想いも空しく、サクラスターオーは、翌年の桜が散る季節に、逝った。東騎手は

「手応えは絶好だった。事故さえなければ勝っていた」

と語って突然逝ってしまった愛馬への思いに唇を噛み、ファンもまた、半年ぶり、ぶっつけで菊花賞を制した二冠馬の悲運に涙を流した。メジロデュレンの勝利の栄光は、そんな涙の暗い影によって覆われることになってしまったのである。・・・彼の2度目のGl勝利も、人々から正当に評価されることはなかった。

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