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ダイシンフブキ列伝~春風とともに去りぬ~

 1983年2月18日生。死没日時不詳。牡。芦毛。鎌田牧場(浦河)産。
 父ドン、母ラビットヤシマ(母父キノー)。柴田寛厩舎(美浦)
 通算成績は、6戦5勝(旧3-4歳時)。主な勝ち鞍は、朝日杯3歳S(Gl)、京成杯3歳S(Gll)、弥生賞(Glll)

(本作では列伝馬の現役当時の馬齢表記に従い、旧年齢(数え年)を採用します)

『その名にし負う吹雪のように』

 80年代から90年代にかけて新たに競馬に関心を持ったファンに対し、そのきっかけとなった名馬を聞いた場合、そのパターンはそれほど多くないことに気づく。かつては確かに「なんとなく後ろ暗いギャンブル」というイメージも根強かった日本競馬がこの時期に急成長したのは、「ギャンブル」とは無縁な一般大衆にも受ける分かりやすいスター性や物語性を持った名馬たちの登場によって大手マスコミに取り上げられ、その記事をきっかけに、多くの新規ファンが誕生したためである。それらのきっかけとなった名馬たちとは、「オグリキャップ」であり、「ナリタブライアン」であり、「サイレンススズカ」といった名前が挙がるが、彼らによって競馬に心を奪われた新規ファンが、自分が競馬を知る以前の馬のことを知りたいと思えば、当然のことではあるものの、後世の記録、映像を通してということになる。

 1人の競馬ファンが直接見聞きしうる競馬など、日本競馬の長い歴史の中では、しょせんひとコマかふたコマの限られた一部に過ぎない。歴史が過去から連綿と続く積み重ねであり、人の寿命に限りがある以上、競馬界を知るために自らの見聞ではない知識に頼らなければならないことは、避けることができない。

 たとえ一時代前の馬であっても、誰もが認める名馬の場合は、後世の記録、映像として取り上げられることも多くなり、新しいファンがその功績、特徴に触れる機会も増えていく。「オグリ以降」のファンも、多くはシンザン、ハイセイコー、TTG、そしてミスターシービーやシンボリルドルフといった名馬たちのことを知っており、また程度の差こそあれ、その偉大さも認めている。

 しかし、すべての馬が記録や映像によって大きく取り上げられるわけではないのも競馬の現実である。記録や映像としての競馬を伝えるマスコミは、本質が営利企業である宿命で、その関心は大衆の興味を引きやすい馬・・・ごく限られた歴史的名馬や比較的新しい馬に集中しがちである。マスコミに取り上げられない多くの馬たちは、当時は一流馬として認知された馬であっても、やがて忘れられ、マスコミに頻繁に取り上げられる同時代の名馬たち、新たな時代の名馬たちによって歴史の片隅へと追いやられていく。

 1985年の朝日杯3歳S(Gl)を制したダイシンフブキも、まさに歴史の片隅へと追いやられる悲劇を背負った馬である。最初に挙げた馬たちをきっかけに競馬に関心を持ったファンの大多数は、おそらくそのほとんどが名前すら知らないであろうダイシンフブキだが、彼は無敗の4連勝で朝日杯を勝って世代の頂点に君臨したほどの強豪だった。そんな彼が不当な評価に甘んじたのは、その極端な短距離血統ゆえに、クラシックに挑む前から「血統的にクラシックは無理」という評価に支配されてしまった不運ゆえだった。そうした声を一掃すべくクラシックの前哨戦となる弥生賞をも勝ち、ようやく主役としての地位を勝ち得たダイシンフブキだったが、そんなを待ち受けていたのは、渇望していた歓喜と栄光ではなく、予期せぬ失意と屈辱だった。・・・(旧)3歳時に同世代のサラブレッドの頂点に立ったダイシンフブキの栄光の季節はあまりにも短く、まるでその名にし負う「吹雪」のように、春の訪れとともに去っていったのである。

『名門牧場の落日』

 ダイシンフブキの生まれ故郷は、公式では浦河の鎌田牧場とされている。だが、彼を実質的にこの世へと生み出した牧場は、鎌田牧場ではない別の牧場である。

 ダイシンフブキの血統は、今はなき浦河の名門牧場・ヤシマ牧場に遡ることができる。戦後間もない時期の大レースの勝ち馬生産者欄に多くの名を連ねるヤシマ牧場は、1953年にはボストニアン、56年にはハクチカラという2頭のダービー馬を出して黄金期を迎えた。なお、53年の菊花賞で二冠馬ボストニアンを破って三冠を阻止したのはハクリョウだが、この馬もヤシマ牧場が他の牧場に預託馬として預けていた牝馬から生まれた馬だった。

 そのヤシマ牧場によって1961年に英国から輸入された繁殖牝馬のアーイシャは、英国2000ギニー馬Martialの妹という良血を期待され、将来のヤシマ牧場の屋台骨を担う主流血統となることを期待されていた。

 しかし、そんな期待を背負って日本へやって来たアーイシャは、輸入直後の62年に牝馬のギフトヤシマを生んだものの、その翌年に受胎しながら流産したのを最後に、その後9年連続して不受胎に終わり、繁殖牝馬としての使命を終えることになった。アーイシャのただ1頭の娘となったギフトヤシマも、母に似て受胎しにくい体質だったのか、生涯に残した産駒は3頭、そのうち牝馬は1頭だけという繁殖成績に終わった。

 ダイシンフブキの母となるラビットヤシマは、そのギフトヤシマが残したただ1頭の牝馬である。アーイシャ、ギフトヤシマと続く「一子相伝」の牝系を受け継いだラビットヤシマは、競走馬としては5戦未勝利に終わったものの、繁殖に上がってようやくまともに産駒をだすようになった。アーイシャから数えて、実に3代目のことだった。

 ・・・ところが、ギフトヤシマが産駒を出し始めたころには、肝心のヤシマ牧場の方が活力を失い始めていた。かつて毎年のように出走馬を送り出していた大舞台からヤシマ牧場の名前が消え、やがて重賞で見出すことさえできなくなっていった。1940年代後半から50年代にかけて音に聞こえた名門牧場としてならしたヤシマ牧場は、時代の流れとともに勢いを失い、ついに閉鎖されることになった。

『兎選』

 閉鎖が決まったヤシマ牧場の繁殖牝馬たちは、次々と新しい買い手がつき、他の牧場へと移っていった。だが、ラビットヤシマだけはなかなか買い手がつかない。ラビットヤシマが繁殖牝馬としてはもう高齢だったことに加え、彼女の産駒自体も、ダイシンフブキ以前に生んだ7頭の兄姉のうち勝ち馬が1頭だけでは、他の牧場から敬遠されるのもやむを得なかった。

「ラビットヤシマが売れ残っている」

 その話を聞いて興味を持ったのが、やはり浦河にある鎌田牧場だった。ラビットヤシマが英国2000ギニー馬の妹の系統であることを知った鎌田牧場は、売れ残っていたこの牝馬の引き取り先として手を上げ、鎌田牧場へと迎え入れることに決めた。

 鎌田牧場へ移って来た時、ラビットヤシマはすでに、ヤシマ牧場で交配されたドンの子を宿していた。その子こそが、後のダイシンフブキである。

 1983年2月18日、ダイシンフブキは母親のが移籍したばかりの鎌田牧場でその産声をあげた。「兎選」・・・それが、生まれたばかりのダイシンフブキに与えられた幼名である。名前のうち「兎」は、母の「ラビット」からとられている。

『魔性の血』

 ところで、この世に生を受けた兎選は、非常に特殊な・・・というよりは異常ともいうべき血統を持っていた。

 もともと彼の母であるラビットヤシマは、母の父の父がNasrullah、父の母がRivazという血統だった。NasrullahとRivazは、父Nearcoと母Mumtaz Brgumの間に生まれた全兄妹である。

 古くから、馬産界では「インブリード」と呼ばれる近親配合は、「名馬を生み出す配合」と信じられており、無数に繰り返されてきた。歴史を振り返ると、何頭もの歴史的名馬が強い「インブリード」の結果として生まれている。しかし、そんな少数の成功の裏には、その数十倍、数百倍の失敗がある。もともと父系をたどればわずか3頭の「三大始祖」に行き着く閉鎖的な血を持つサラブレッドにとって、さらに近親の血を重ねる「インブリード」の弊害は小さくなく、強い馬どころか競走馬にもなれない虚弱な馬、あるいは精神に狂気を宿した馬が生まれたことも多かった。

 ラビットヤシマは、彼女自身の中に強い「インブリード」の血を持っていた。このような繁殖牝馬は、配合相手の種牡馬を選ぶ際には、徹底的に「インブリード」を避け、同系の血を持たない馬を選ぶのが普通である。ところが、ヤシマ牧場はそんなセオリーを無視して、ラビットヤシマの配合相手にドンを選んだ。

 ドンは、現役時代にフランス2000ギニーなどを勝ったスピード馬で、種牡馬としてはアイルランドで4年間供用された後に、日本へと輸入されていた。代表産駒が「日の丸特攻隊」サクラシンゲキであることからうかがわれるとおり、その産駒は一本調子の短距離馬がほとんどだったが、種牡馬としての信頼性は高かった。問題は、ドンの血統である。

 ドンは、Nasrullahの直系の孫だった。ただでさえNasrullahとその全妹の濃厚な「インブリード」がかかっているラビットヤシマなのに、そこへNasrullahの直系の孫を交配するというのだから、これはもはや「異常」というよりほかにない。

 Nasrullahといえば、今でこそ歴史に残る世界的大種牡馬として認められているが、競走馬としての通算成績は10戦5勝、主な勝ち鞍もチャンピオンSで、クラシックとは無縁だった。彼の大成を阻んだのは、先頭に立ったとたんに気を抜くくせ、そしてあまりに激しすぎる気性ゆえだった。種牡馬としては卓越したスピードを子孫に伝えて多くの名馬を輩出したNasrullahだが、その半面で彼の産駒たちも父に似て気性が激しく、その血統は「狂気の血統」としても恐れられていた。ヤシマ牧場が残した配合は、Nasrullahのスピードと狂気を一身に集めた魔性の血だったのである。

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