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エルウェーウィン列伝~28戦目の奇跡~

1990年2月24日生。2016年4月7日死亡。牡。黒鹿毛。Ermine Holdings牧場(愛国)産。
父Carleon、母Rustic race(母父Rusticaro)。坪憲章厩舎(栗東)。
通算成績は、40戦5勝(旧3-9歳時)。主な勝ち鞍は、朝日杯3歳S(Gl)、アルゼンチン共和国杯(Gll)、ブラッドストーンS(OP)、京都3歳S(OP)。

『奇跡の復活』

 競馬が人々を感動させる場合の黄金パターンとして、「奇跡の復活」がある。かつて強豪と呼ばれた馬が故障で長期間戦列を離れたり、あるいは不振に陥って勝てなくなったりした後に見事な復活の勝利を遂げた場合、我々はそのドラマに感動し、涙を流す。前者の代表例としてはトウカイテイオー、後者の代表例としてはオグリキャップが有名であり、いずれもその劇的な復活劇は、競馬界の伝説として今なお語り継がれている。
 
 しかし、これらの復活劇は、いずれもそのドラマ性のみによって語り継がれるようになったわけではない。トウカイテイオーやオグリキャップは、最後の復活劇がなくても名馬として語り継がれうる資格を持った名馬だった。その彼らが奇跡の復活を遂げたことによって、もともと高かった彼らの人気がさらなる高みへと達したにすぎない。先に挙げた伝説は、奇跡の復活というドラマ性と主人公たちのカリスマ性とのふたつが融合したことによって、初めて伝説になったという方が正確だろう。
 
 実際には、他の馬がトウカイテイオーやオグリキャップ以上に長いブランクから復活を遂げる例も少なくはない。だが、そうした復活劇も、普通の馬が主人公では、さほど騒がれることはない。競馬界とは、もともと非常に大きな不公平が内在する世界なのである。
 
 今回取りあげるエルウェーウィンも、「奇跡の復活」と称賛されるに値する復活劇の主人公である。彼が乗り越えたブランクの期間は、先の2頭とは比べものにならないほどに長い。しかし、彼について「奇跡の復活」という形容が使われる場合、先の2頭に対して使われる場合とは微妙に色合いが変わってくる。エルウェーウィンの場合、尊敬や感動というよりは、むしろ憐れみやもの悲しさが混じった視線で語られてしまうのが悲しいところである。
 
 しかし、あるいはそれでいいのかもしれない。何はともあれ、エルウェーウィンの名はその数奇な馬生によって歴史に刻まれ、私たちの記憶に残る。そして、その復活劇によって歴史と記憶に刻まれたエルウェーウィンという文字は、ほんの少しではあっても深くなったことに間違いはない。Gl馬は多しといえども、3年11ヶ月ぶりの重賞制覇という形で歴史に名を残す馬は、これまでエルウェーウィン以外にはいなかったし、これからもそうそうは現れないに違いない。

『謎の母父』

 エルウェーウィンは、アイルランドのE・ホールディングス牧場で生まれた外国産馬である。
 
 エルウェーウィンの父カーリアンは、名競走馬にして名種牡馬であるNijinskyllの直子の中でも最大級の成功を収めた名種牡馬である。1998年に死亡したカーリアンは、その種牡馬生活の中で、英愛ダービー、キングジョージを制したジェネラスを筆頭に多くの名馬を輩出し、生涯に2度英愛リーディングサイヤーに輝いた。これほどの種牡馬につけた以上、母もそれなりの期待馬だったのではないかと思われる。

 しかしながら、素人的にはいまいちその価値が分かりづらい母系であることもまた確かである。母のラスティックレースは、通算8戦1勝という平凡な戦績しか残していない。母父のラスティカロ(Rusticaro)も、日本ではまったくなじみのない種牡馬である。ラスティカロはその名のとおりCaroの直子だが、戦績はフランスで16戦5勝、主な勝ち鞍はラ・クープ・メゾンラフィット(仏Glll)と目立たない。種牡馬としては、産駒のダンジカが伊オークス、フォスカリニがハリウッドダービーを勝っているくらいだから、それなりのクラスなのではあろうが、日本での実績はゼロに近い。

 それはさておき、調教セールで好仕上がりをアピールしたエルウェーウィンは、父カーリアンの魅力か、はたまた何かの縁か、日本人馬主に買われることになった。カーリアン産駒は日本の芝への適性が高いのも特徴で、エルウェーウィン以外にもシンコウラブリイ、フサイチコンコルド、ビワハイジがGl勝ちを収め、その血統は日本で特に人気が高かったことも影響したであろう。 

 やがて日本へとやって来たエルウェーウィンは、大物感こそなかったものの、素直な気性と環境の変化に動じない精神的な強さが認められ、栗東の坪憲章厩舎に入厩することになった。

『初見参』

 岸滋彦騎手を鞍上に迎えてデビューしたエルウェーウィンは、新馬戦、京都3歳S(年齢は当時の数え年表記)といずれも地元京都のレースで2連勝を飾った。この2戦はいずれも直線で混戦になったものの、エルウェーウィンは新馬戦ではハナ差、京都3歳S(OP)では同着優勝、と持ち前の勝負根性とねばり強さで2連勝したのである。
 
 早くも2連勝でオープン馬となったエルウェーウィンだが、そうなると必然的に出走できるレースも限られてくる。そして、エルウェーウィンの次走は、初めての東征で、いきなり3歳王者決定戦の朝日杯3歳S(Gl)(現朝日杯フューチュリティーS。年齢は当時の数え年表記)に挑むことが決まった。 

『乗り替わり』

 しかし、その晴れやかなレースで、エルウェーウィンの鞍上にこれまでの主戦騎手だった岸騎手の姿はなかった。岸騎手は、エルウェーウィンではなく、その最大のライバルとなるビワハヤヒデの鞍上にいた。
 
 2戦2勝とはいえいずれも僅差勝ちのエルウェーウィンと、これまで3戦3勝で、もみじS(OP)、デイリー杯3歳S(Gll)と連続レコード勝ちを収めている本命馬のビワハヤヒデとを比較した場合、岸騎手の選択はやむを得ないものだった。ましてや、エルウェーウィンは外国産馬であるがゆえに翌年のクラシック出走権がないのに対し、ビワハヤヒデは翌年のクラシックへも出走できるとなればなおのことである。
 
 とはいえ、このような乗り替わりにあっては、乗り替わられた方にはもの悲しい雰囲気が漂うのも、競馬界の習わしである。クラシックに出られないからこそ、外国産馬は朝日杯に賭けざるを得ない。そこで岸騎手に替わってエルウェーウィンの鞍上に配せられたのは、南井克巳騎手だった。岸騎手がだめなら、少しでもいい騎手に騎乗してもらってエルウェーウィンの力を引き出してやりたいというのが、坪師たちの気持ちだった。
 
 南井騎手といえば、直線で「追える」騎手として定評がある。斬れる脚こそないものの、直線でたぐいまれなる勝負根性を発揮するエルウェーウィンにとって、南井騎手の特性は、強力な援軍だった。

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