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ダイシンフブキ列伝~春風とともに去りぬ~

『突き進む』

朝日杯3歳S(Gl)に出走したダイシンフブキは、単勝170円の断然人気に支持された。当時の3歳王者決定戦は牡牝ごとに分かれてはおらず、その代わりに関東の朝日杯3歳Sと関西の阪神3歳S(Gl)という東西の両レースに分立していた。そして、この年は例年に比べて牝馬、それも関西の牝馬に有力な逸材が揃っていたため、朝日杯3歳Sは「関西の有力牝馬たちに負けた牡馬たち」が中心となり、12頭の出走馬のうち重賞勝ち馬は、カリスタカイザーとダイシンフブキのわずか2頭だけだった。実績は不敗の3連勝中、後続との着差も4馬身、3馬身、3馬身半と完璧なもので、実績的に唯一並び立つカリスタカイザーも既に京成杯3歳Sで破っているとなれば、ダイシンフブキが人気を集めるのはむしろ当然のことだった。

 そして、この日のダイシンフブキの競馬も、菅原騎手を満足させるに足りるものだった。好位で折り合い、馬群の内で進出の機会をうかがいながらレースの流れに乗る競馬・・・ダイシンフブキの競馬は、3歳にして既に完成していたのである。

 もしダイシンフブキに死角を探すとすれば、それは馬を馬群の外にうまく持ち出せないことだけだった。内枠スタートの宿命とはいえ、馬群の内にいるダイシンフブキを見ていた柴田師は、

「これで本当に外に持ち出せるのか」

と不安になったという。ただ、菅原騎手は心配していなかった。前は開く。開かなければ、開ける。ダイシンフブキの手応えは、それほどによかった。

『3歳王者、誕生』

 心配する柴田師をよそに、ダイシンフブキは馬群の中で、コースの内を回っていた。レースが大詰めを迎える第4コーナーでは、彼の外から他の馬たちが殺到してくる。ここで他の馬たちに前に出られると、ダイシンフブキの進路がふさがれてしまう。もともと内枠を引いた時からそんな展開になることを恐れていた柴田師は、この時一瞬「負けた」と思ったという。

 だが、菅原騎手はあわてなかった。他の馬たちが前に出ようとしても前に出さない、その気になれば逆に抜け出してしまうだけの余力がダイシンフブキにあることを、彼は手綱を通して感じ、そして知っていた。

 直線に入ってから間もなく、ダイシンフブキは前が閉ざされないうちに仕掛けて先頭に立ち、やがて馬群を力強く抜け出した。ダイシンフブキを一気に競り落とそうとしていた他の馬たちは、突然牙を剥いた1番人気の逆襲にたじろぎ、そしてついていくことができなかった。

 出遅れ加減のミスを取り返すべく脚をため、今ここに鋭く追い込んでくるダイナコスモスの影も後方から迫ってはいたものの、ダイシンフブキの脚色にはまだ十分な余裕があった。最後の刺客となったダイナコスモスも、ダイシンフブキを脅かす局面までは作ることができず、ダイシンフブキはダイナコスモスとの間に1馬身半差を残してゴールへと飛び込んだ。ダイシンフブキは、4戦4勝、不敗のまま世代の頂点へと登りつめたのである。

『高まらぬ期待』

レースの後、菅原騎手からは

「カブラヤオーやテスコガビーと比べてもヒケをとりません。クラシックでも楽しみです」

という景気のいいコメントが飛び出した。・・・だが、一般的な見方は菅原騎手とはまったく異なっていた。

 朝日杯3歳Sのテレビ中継で解説していた大川慶次郎氏は、

「横綱競馬とはいえないものでしたね」

と漏らした。他の馬との力関係では危なげのない勝ち方に見えたこの日のレースだったが、大川氏によれば、展開の割にタイムが良くないという。なるほど、ダイシンフブキの1分35秒4という勝ちタイムは、前日に同じコースで行われた東京スポーツ杯3歳牝馬S(Glll)でのメジロラモーヌの勝ちタイムより、0秒5遅い。また、大川氏は

「この馬は、攻め馬の時、どんな弱い馬が相手でも内に併せる。これは外から併せるとかかってしまう、気性的に距離が持たない馬の調教法だ」

とも指摘している。快勝に見えるこの日の勝利は、実際は相手の弱さに助けられ、他の馬より早く完成していた競馬のうまさで抑えこんだにすぎないのではないか。他の馬たちも競馬というものを分かってきて、さらにまだ見ぬ大器が参戦してくるに違いないクラシック戦線でも同じように戦い、勝つことができるのか・・・?大川氏の投げかけた疑問は、ダイシンフブキの急所をついていた。

 ダイシンフブキは、圧倒的な得票で1985年の最優秀3歳牡馬に選出された。だが、クラシックに向けた期待感は、悲しいまでに沸きあがってこない。代わって聞こえてくるのは、大川氏の指摘に代表される

「ダイシンフブキは距離が持たないのではないか・・・」

という不安の声ばかりだった。

『不安に負けぬために』

 距離・・・それは、連勝街道を突き進むダイシンフブキに、不安として常につきまとっていた。父のドン、母の父キノーが典型的な短距離血統だったことから、距離への不安はダイシンフブキの血の宿命ですらあった。

 クラシック三冠は、2000mの皐月賞から始まる。1600mの朝日杯3歳Sとは、レースの本質から異なる戦場である。果たしてダイシンフブキがそれを乗り越えることができるかどうか・・・それは、実戦の中で彼自身が証明していくよりほかに知るすべがなかった。

 柴田師は、ダイシンフブキの年明け初戦を弥生賞(Gll)に定めた。弥生賞は、皐月賞と同じ中山の芝2000mコースで行われる皐月賞トライアルである。皐月賞トライアルとしては、他にスプリングS(Gll)もあり、こちらは弥生賞より200m短い1800mだから、ダイシンフブキが勝つ確率はスプリングSの方が高いはずだった。しかし、ダイシンフブキ陣営は、ここであえて皐月賞と同じ条件のトライアルを使うことで、クラシック戦線の開幕を前にダイシンフブキの距離適性を試し、さらに心の隅にどうしても残ってしまう自らの不安を払拭しようとしたのである。

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