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オグリローマン列伝~約束された奇跡~

『躍り出る伏兵』

 やがて、レースを引っ張ったスリーコースが力尽きて失速すると、メローフルーツが先頭に立った。だが、そんなメローフルーツに対し、後続の馬たちが次々と襲いかかる。そしてその馬たちの中には、1番人気のローブモンタントもいた。

 エルフィンSを勝った後、トライアルを自重して桜花賞へ直行し、わずか3戦2勝というキャリアで大舞台に挑んできた本命馬の鞍上には、チューリップ賞でオグリローマンの末脚を覚醒させた田原騎手がいた。エルフィンSを勝った時点で桜花賞はこの馬で、と思い定めたパートナーとともに、徐々にその位置を押し上げていく。

 しかし、この日のローブモンタントに、ここからさらに突き抜けるだけの余力はなかった。粘るメローフルーツ、並んで上がっていったグッドラックスターとほぼ同じ脚色となり、混戦…ないし、激しい泥仕合を繰り広げている。

 そんな混戦をよそに、内側をついて1頭の芦毛が抜け出す。その馬は、オグリローマン…ではなく、なんと12番人気のツィンクルブライドだった。

 ツィンクルブライドは、この日までの戦績が7戦2勝で、勝ったのは新馬戦と500万下の条件戦のみである。ここ3戦は武騎手とコンビを組んでいたものの、前走の報知杯4歳牝馬特別は4着に終わって優先出走権には届かなかったが、本賞金は2勝馬の最低ラインである800万円にすぎない。そのため、桜花賞への出走は、わずか6分の1の確率の抽選頼りとなったが、幸運にも18番目の出走枠に滑り込んでいた。

 直近3戦でコンビを組んでいた武騎手は、桜花賞本番での騎乗馬としてオグリローマンを選んだため、この日のツィンクルブライドは、大崎昭一騎手とともに参戦していた。彼女の単勝オッズは4430円の12番人気であり、争覇圏とは程遠い評価だった。

 そんなツィンクルブライドは、道中ではローブモンタントと好位で並ぶ内側に位置していた。田原騎手は直線での攻防に備えて、1番人気のローブモンタントを第3コーナー付近で外へと持ち出していったのに対し、大崎騎手はあくまでも内に潜み、自らと12番人気のツィンクルブライドで闇の中へと身をひそめ、機を待った。そして、時満ちたこの瞬間、伏兵がついに表舞台へと躍り出る。

『切り裂かれる直線』

 桜花賞は、Glの中でも指折りの「固いレース」とされている。84年のグレード制導入からこの年までの間、最も低い人気で優勝したのは5番人気だった88年のアラホウトクである。それどころか、54回目を迎えていた桜花賞のすべての歴史に範囲を拡大しても、2桁人気の馬が勝ったのは、いずれも15番人気だった63年のミスマサコと79年のホースメンテスコしかいない(94年以降も含めれば、96年の10番人気ファイトガリバー、02年の13番人気アローキャリー、08年の12番人気レジネッタが加わるが)。本来であれば、ツィンクルブライドに勝機はない…はずだった。

 しかし、前が開くと信じて大勝負に出た大崎騎手の賭けは、ズバリと当たった。余計な距離を走ったローブモンタントが最後に脚を失う一方で、ここまで脚を温存してきたツィンクルブライドは、前が詰まる不利もうまく切り抜け、最短距離から一気に馬群を突き抜ける。運命の女神は大崎騎手とツィンクルブライドに微笑み、そのまま栄光のゴールに駆け込むだけ…のはずだった。第54回桜花賞の直線の攻防は、こうして決着する…かに見えた。

 否。ローブモンタントの脚が止まった外より、さらに外。ツィンクルブライドと同じ芦毛がもう1頭、馬群の何馬身も後方から飛んで来る。

 その馬こそが、武騎手とオグリローマンだった。

『桜花賞馬、誕生』

 好スタートを切ったオグリローマンをいったん後退させた武騎手は、その後もいくつもの驚きに直面した。

 1頭の馬を怖がって逃げ出したり立ちすくんだりするオグリローマンが、何頭もの馬群の中にいるのに、なぜかこの日に限ってはリラックスしたまま走っていた。

 密集した馬群がばらけるのを待って外に出そうとしたところ、オグリローマンも「待ってました」とばかりに他の馬をさばいて、追い抜いていく。

 そして、意図したとおり、進路を邪魔されることのない外に持ち出し、いよいよ追い始めたところ、オグリローマンの手応えは、物凄いものだった。一度、前の馬が蹴り上げた泥が武騎手のムチを直撃し、武騎手が落としかけるハプニングもあったが、幸いムチは完全に落ちることなく途中で引っかかっていたため、武騎手は勝負どころでムチを使うことができ、オグリローマンもそれに応えた。

 武騎手にすら予想外だったいくつもの流れが重なって、オグリローマンは猛然と追い込んできた。残り200mの時点でまだ4,5馬身くらいあった先頭との差が、前は決して止まってはいないにもかかわらず、みるみる縮まっていく。この時の手応えについて、武騎手は「追えば追うだけ伸びた」と言い、「オグリキャップを思い出すような走りだった」とも語っている。

 そして、オグリローマンがツィンクルブライドをとらえたのは、ちょうどゴール前であり、彼女たちの着順は、写真判定となった。…しかし、ゴールの直前、ツィンクルブライドの大崎騎手は、明らかに大外から突っ込んできたオグリローマンに視線を奪われていた。

 彼らの勢いそのままに、第54回桜花賞は、1分36秒4の攻防の末に生じたわずかだが永遠のハナ差で、オグリローマンに凱歌があがったのである。

『奇跡の勝利』

 こうしてオグリローマンは、第54代桜花賞馬の栄冠を手にした。オグリローマンのわずかハナ差での逆転勝利は、メインスタンドの関係者たちにとっては、騎手たちほどはっきりしたものではなかったようである。

 瀬戸口師は、ゴールの際、前に座っていた調教師が立ち上がったために視界をふさがれてしまい、オグリローマンがゴール前に差し切ったのか、届かなかったのかが分からなかったという。また、馬主の小栗氏も、周囲がみな

「勝った」

と教えてくれたのに、それを信じられずに一向に動かなかったため、ウイナーズサークルでの記念撮影に遅刻してしまい、注意を受けたとのことである。

 何はともあれ、オグリキャップが果たせなかったクラシック制覇の夢は、妹によって果たされ、仁川に訪れた約8万人の観衆の前で、「オグリ」一族の栄光は甦った。それは、兄のそれと比較すればささやかなものであったとしても、ファンに対して競馬は「血統のロマン」であることを想起させるには十分なものだった。オグリキャップによって競馬に魅入られ、この日のオグリローマンの栄光を見届けたファンにとって、それは本当に幸福な時間だったことだろう。

 ちなみに、地方競馬出身馬によるJRAクラシック制覇はオグリローマンで7頭目だが、オグリローマンに先立ってこれを達成した6頭のうち、牝馬は1951年のオークスを制したキヨフジだけで、桜花賞では史上初だった。また、芦毛のクラシック馬は、牡馬ではすでに実現していたものの、牝馬クラシックは彼女が初めてだった。

 この日のレースについて、武騎手は、

「あれだけ馬ごみを怖がっていたのに、この時だけは怖がらず、普通に走った。どうしてなんでしょうね。こういうのを『奇跡』というんじゃないですか」

と話している。オグリキャップのラストランの有馬記念について、以前に述べた通り、

「(オグリキャップの強さを知っている)僕にとっては奇跡ではないから…」

という理由で「奇跡」という言葉を使いたがらなかった武騎手だが、オグリローマンについてははっきりと「奇跡」という言葉を使っているのが印象的である。彼女が大舞台で起こした「奇跡」は、まるで兄の血に裏打ちされた必然のように、日本競馬の歴史に再び「オグリ」の名を刻んだのである。

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