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スーパークリーク列伝~大河の流れはいつまでも~

『我、晩秋の淀に立つ』

 こうして念願の淀に立ったスーパークリークには、ファンからも単勝830円という、出走18頭中3番目の支持が寄せられた。通算成績が7戦2勝2着1回、しかも前走が京都新聞杯6着の馬とは思えない人気だが、これもスーパークリークのステイヤーとしての資質に期待が集まったからにほかならない。
 
 この年は春の実績馬に故障が多く、特に日本ダービーの上位馬を見ると、5着までに入った上位馬のうち、無事菊花賞までたどり着いたのは、4着の皐月賞馬ヤエノムテキだけだった。そんな状況の中では、前哨戦の京都新聞杯も快勝しているヤエノムテキに人気が集まるのは仕方がない。

 では、春の実績馬の代表格であるヤエノムテキの足元をすくう馬が現れるとしたらどの馬か、という観点から見た場合はどうか。そんな観点ですべての出走馬をくまなく見回した場合目についてくるのが、「菊を勝つための配合」たるステイヤー血統を背景に持ち、若き天才騎手が最後までこだわり続けたというスーパークリークだった。
 
 そんな期待を集めて菊花賞に出走したスーパークリークは、カツトクシンが逃げて平均ペースに落ち着いた流れの中で完全に折り合いながら、馬群の真ん中に陣取った。多くの回り道と苦難を経てようやくたどり着いたこの日、この舞台に立てる喜びの中で。これは、生まれる前から定められた「彼のためのレース」だった。

『天才の読み』

 淡々と流れたこの日のレースだったが、武騎手は冷静にこの日の展開を分析し、「ある馬」の動きを注視しながら、微妙に位置取りを変えていった。彼の読みが正しければ、その「ある馬」の動きによってスーパークリークは他の馬よりも1歩も2歩も有利な地位に立てるはずだった。逆に読みが外れれば彼は大きな不利を受けることになるが、彼はそうならないことを確信していた。
 
 武騎手が待っていた「機」が訪れたのは、第4コーナーを回って直線に入る入り口でのことだった。それまで逃げていたカツトクシンが、急に外に振られる形で走路を変えたのである。そのため、それまで内を内を走っていたカツトクシンのポジションに、ちょうど1頭分のスペースができた。これに備えて中団から少しずつ押し上げていたスーパークリークと武騎手は、この好機を見逃さなかった。彼らは、測ったようにカツトクシンがいたスペースへと一気になだれ込んでいった。内ラチ沿いのゴールへの最短距離は、スーパークリークにとってはそのまま菊花賞への最短距離だった。
 
 それにしても驚くべきは、まるで前が開くことを知っていたように最内、それもカツトクシンの後ろにつけていた武騎手の騎乗だったが、実はかつてカツトクシンにも騎乗していた武騎手は、この馬が直線入り口で外に行きたがる癖があることを知っていた。最初にスーパークリークでインコースに陣取ることに成功し、さらにそのインコースの前をカツトクシンが逃げているのを見たときから、武騎手は第4コーナーで必ず訪れるであろうこの機を虎視眈々と窺っていたのである。

『開花』

 直線でカツトクシンをかわして先頭に立つと、後はスーパークリークの独り舞台だった。既に3000m近い距離を走った他の馬にはほとんど余力がなかったが、スーパークリークだけは脚色に衰えはなく、みるみる後続を引き離して独走態勢を築いていった。血統に凝縮されたスーパークリークの長距離適性が、晩秋の淀に花開いたのである。
 
 後続が激しい2着争いを繰り広げる中で、5馬身差をつけての勝利を勝ち取ったスーパークリークのこの日のレース内容は、まさに他の馬たちとは異次元の「圧勝」と評するべきものだった。2着には写真判定の結果、スーパークリークと同様に除外対象から滑り込み出走を果たしたガクエンツービートが入った。ちなみに、この日は騎手が乗り替わっていたものの、京都新聞杯でこの馬に乗っていた騎手が、スーパークリークの顔面をステッキで叩いた騎手である。馬に罪はないといえばそのとおりだが、スーパークリークと武騎手は、この上ない形で因縁の相手に格と実力の違いを見せ付け、溜飲を下げた。
 
 この日の武騎手による19歳7ヶ月での菊花賞制覇は、菊花賞だけでなくクラシックレースの最年少制覇記録だった。現在に連なる武騎手の常勝街道は、この時始まったのである。

『為せば成る・・・か?』

 こうして菊花賞馬となったスーパークリークだったが、彼は菊花賞を機に一気に飛躍した上がり馬の典型であり、一般への浸透という意味では、春の実績馬にかなり見劣りしていた。スーパークリークはファン投票では有馬記念への出走権を得ることができなかったため、有馬記念へは推薦委員会の推薦馬という形で出走することになった。
 
 しかも、この年の4歳馬でファン投票の上位を占めたのは、オグリキャップ、サッカーボーイといった、クラシックとは無縁の馬たちだった。もちろん彼らには彼らなりの事情があったとはいえ、伝統の菊花賞馬としては、屈辱といわざるを得ない。
 
 武騎手もライバルたちになんとか一泡吹かせようといろいろと考え、この日に臨む意気込みも並大抵のものではなかった。だが、この執念は思いもかけぬ結果につながることになった。

『執念の過ち』

 有馬記念で単勝4番人気だったスーパークリークは、中団から競馬を進めたが、第4コーナーを回ってからは馬群から抜け出し、いい末脚を使って伸びてきた。最強古馬タマモクロスと死闘を演じてついにはこれをうち破ったオグリキャップにこそ及ばなかったものの、やはり同世代の雄とされたサッカーボーイには先着して3着入線を果たしたのである。スーパークリークにとって、まずは菊花賞馬の面目を保つ結果だと思われた。
 
 しかし、そのレース結果はすぐに確定せず、掲示板には審議のランプがともった。審議対象は、第4コーナーで強引に仕掛けた際に、前年の覇者であるメジロデュレンの進路を妨害したスーパークリークと武騎手だった。
 
 審議になったことを知った時、武騎手には覚悟ができていたという。
 
「(審議を)取られるとは思っていた。でも、あそこを通らないと勝てないと思った」
 
 果たして、審議の結果は、武騎手の予想に違わず「失格」となった。半ば確信犯的ですらあった武騎手の騎乗は、ある意味で彼の本質を物語っている。この年武騎手は、皐月賞でマイネルフリッセに騎乗した際にも、1番人気モガミナインの進路を妨害したとして失格になっている。1年に2度もGlで失格となり、騎乗停止処分を受けるというのはほめられた話ではない。しかし、勝つための騎乗は、一歩間違えれば斜行につながるというのもまた否定しがたい事実である。若き日の武騎手の最大の武器は、天才的な技術ではなく、むしろ勝利への執念だった。
 
 とはいえ、スーパークリークの立場からすると、3着入線とはいえ、負けは負けだった。失格というのは最下位以下の結果であり、その戦績に大きな汚点を残す結果となってしまった。しかも、失格をとられるほどの強引な仕掛けをしても、なお届かなかった馬が2頭もいた。それも、相手が年上の古馬ならまだしも、1頭は同世代である。上には上がいることを思い知らされた形のスーパークリーク陣営の人々の胸に、それを思い知らせてくれた「オグリキャップ」という名前は深く刻み込まれた。こうして菊花賞馬スーパークリークの年末は、充実と栄誉ではなく失意と屈辱とともに暮れていった。

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