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サクラホクトオー列伝~雨のクラシックロード~

『兄と弟』

 こうして境厩舎から競走馬としてのデビューを目指すことになったサクラホクトオーだったが、そんな中で、彼の競走馬としての価値と期待を大きく高める「事件」が起こった。半兄サクラチヨノオーが、見事日本ダービーを制したのである。

 前年の朝日杯3歳S(Gl)を制し、既にGl馬になっていたサクラチヨノオーだが、皐月賞(Gl)では人気薄のヤエノムテキの3着に惜敗していた。すると

「2400mは長いのではないか」
「ダービーを勝つほどの底力は感じられない」

などと言われるようになり、日本ダービーは3番人気で迎えることになった。

 だが、サクラチヨノオーは、こうした声を跳ね返すように、大一番の終盤、雪辱を果たした。それも、府中の長い直線でいったんはメジロアルダンに差されながら、その後もう一度差し返す驚異的な粘りによってクビ差で死闘を制するという歴史に残る名勝負の末、サクラホクトオーの半兄は、日本競馬の頂点たるダービー馬となった。

 もともと馬産地での評価が高かったサクラチヨノオーだったが、その血統的な価値は、ダービーを勝ったことによってさらに跳ね上がった。そうなると、期待が兄自身だけでなくその弟にも及んでくるのは競馬界のならいであり、サクラホクトオーもその例外ではなかった。

 「良血馬」・・・父、母、兄姉などの一族が優れた競走成績や繁殖成績をあげている馬であることを示すこの基準が、馬自身にとって幸福なことなのかどうかは分からない。人間の場合ですら、父、母、兄姉が優秀であるために過大な期待を背負わされ、その重圧に潰されていく者がいる。家族とは違った分野での優れた才能を持っていたにもかかわらず、家族と同じ分野での実績ばかりを求められたがゆえに、持てる才能を発揮することさえできずに凡庸な人生を送る者もいる。そして、人間によって生かされ、人間のために走ることしかできないサラブレッドの場合、周囲の人々の眼がもたらす影響は、人間以上に大きい。

 サクラホクトオーは、そんな「良血」の重しの中に生き、その呪縛と戦い続ける道しか許されていなかった。彼が背負った呪縛は、サクラチヨノオーによる朝日杯、日本ダービー制覇がデビュー直前だったこと、そしてその兄自身は、ダービーの後、燃え尽きるように屈腱炎で戦列を離れたことから、より重く彼にのしかかってきたのである。

『サクラの貴公子』

 サクラホクトオーの競走生活は、兄に並び、そして兄を超えることへの期待とともに始まった。

 サクラホクトオーのデビュー戦は、1988年10月8日、東京の芝1600mコースでの新馬戦に設定された。「サクラ軍団」の主戦騎手で、4ヶ月前には兄とともにダービーを制した小島太騎手を鞍上に迎え、人々の注目を集めての船出となった。

 この日のサクラホクトオーは、目一杯の追い切りが1本だけ、という段階での出走で、「時期尚早ではないか」という声を押し切ってのデビューだった。しかし、サクラホクトオーはそんな声に打ち勝つように、最初こそ後ろからの競馬になったものの、第3コーナー付近から次第にその位置を押し上げると、ボストンキコウシ、ロンドンボーイらを2馬身引き離して順当に初勝利を収めた。

「走る馬だろうとは思っていたけれど、レースでの手応えは『超大物』だった」

と小島騎手を感動させたそのレース内容に、新たなダービー馬候補の誕生を実感した者は少なくなかった。

 続く府中3歳S(OP)では、単勝170円の断然人気に応え、まったく危なげのない競馬でマイネルブレーブ以下を4馬身差突き放し、1分48秒6という3歳レコードで2勝目を挙げた。

「今まで乗った馬の中で、最高の馬」

 レース後の小島騎手の発言は、サクラチヨノオー超えの宣言にほかならない。

「さすがダービー馬の弟だ」

 ファンからもそんな賞賛を受けながら、サクラホクトオー陣営は、次なる目標を朝日杯3歳S(Gl)・・・前年に兄が制した東の3歳王者決定戦に定めた。2戦2勝、無敗のままのGl挑戦にファン、そしてサクラホクトオーの関係者たちは、胸を躍らせた。

『栄光への道』

 朝日杯3歳S(Gl)の出走馬である9頭を見ると、重賞勝ち馬は1頭もおらず、前走で新馬戦、あるいは未勝利戦を勝ち上がったばかりの馬が6頭を占めるという異例の顔ぶれとなった。

 当時のレース体系では、牡牝の3歳王者決定戦が分立しておらず、代わりに関東の3歳王者決定戦である朝日杯3歳Sと、関西の3歳王者決定戦である阪神3歳S(Gl)が分立する形となっていた。ただでさえ有力3歳馬が東西に分散するレース体系といえるが、それに加えてこの年は有力馬の故障が多く、さらに朝日杯の前哨戦的な位置づけを持つ京成杯3歳S(Gll)の上位馬たちも、3着馬のミョウジントップが出てきたくらいで、あとは勝ち馬ドクタースパート以下はことごとく休養に入っているというていたらくだった。

 そんな情勢なればこそ、翌年のクラシック候補の中でも横綱というべきサクラホクトオーへの期待は圧倒的で、単勝130円という断然の1番人気を集めていた。

 この日のサクラホクトオーは、後方からの競馬となった。9頭立てという少頭数で、馬群に包まれる危険は小さい。新馬戦、府中3歳Sと鋭い末脚を見せてきたサクラホクトオーにとって、ここは持ち前の破壊力を生かすべき場面だった。

 すると、馬群の中での競馬となったサクラホクトオーは、第4コーナーまでは手間取る様子も見られたものの、直線に入って進路が空いてからは出色の末脚を見せ、粘るスクラムトライをとらえると、そのまま勢いだけで2馬身突き抜けた。これで、3戦3勝。他の馬とは次元の違う強さだった。

『野望の階段』

 無敗のまま3連勝で3歳王者の地位まで上り詰めたサクラホクトオーに、陣営の鼻息は荒かった。境師、小島騎手とも、前年の朝日杯をサクラチヨノオーで制している。彼らにしてみれば、朝日杯3歳Sを2連覇したことになる。

 しかし、彼らの歓喜の理由はそれだけではなかった。彼らは強烈な末脚で馬群から抜け出したサクラホクトオーの走りに、兄を超える輝きを見出していた。境師、小島騎手とも、サクラホクトオーのみならず、サクラチヨノオーのことも誰よりもよく知っている。同じ母から生まれた兄弟であり、ともに朝日杯3歳Sを制した2頭だからこそ、彼らが2頭を比べてしまうのは、むしろ当然のことだった。

 サクラチヨノオーとサクラホクトオー・・・この兄弟を比較した場合、安定感、完成度という見地からは、3歳時点で「先行抜け出し」という無難な競馬ができるサクラチヨノオーの方が上だっただろう。しかし、サクラホクトオーがレースで見せる強烈な瞬発力は、その兄を超える大きな将来性を感じさせてくれるものだった。

「僕の厩舎は、今年に続いてダービー連覇できるかもしれない・・・」

 日本ダービーを連覇した調教師は、過去にいない。しかし、境師が語った夢は、サクラホクトオー陣営のすべてが共有するものだった。いや、彼らの夢は、それだけにとどまらない。ダービーだけではなく、兄が敗れた皐月賞、兄が出走できなかった菊花賞も・・・つまりは、三冠の夢まで視野に入っていた。後にダービーを勝つ兄を知るがゆえに、その兄を超えるスケールを誇る弟に寄せる期待が、より大きなものとなるのは当然のことだった。境師や小島騎手は、サクラホクトオーに対し、ダービーを勝った後に屈腱炎で戦線を離脱したサクラチヨノオーの分まで活躍することを望んでいたし、サクラホクトオーもまた、その望みに応えうる器と可能性を秘めていたはずだった。

 サクラホクトオーは、圧倒的な支持で最優秀3歳牡馬に選出された。翌春、境師が無敗の3歳王者のために用意したのは、弥生賞(Gll)をひとつ叩いて皐月賞(Gll)、そして日本ダービー(Gl)へ向かうという、兄も歩んだクラシックロードの王道だった。平成元年牡馬クラシックロード・・・その戦いが、サクラホクトオーにとってどのようなものになるかを予想しうる者は、まだ誰もいない。

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