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サクラホクトオー列伝~雨のクラシックロード~

『無情の空』

 弥生賞で断然の1番人気サクラホクトオーが敗れ去ったことにより、1989年のクラシック戦線は、一転して混沌としたものとなり始めた。弥生賞と並ぶ皐月賞のトライアルレースであるスプリングS(Gll)でも、勝ったのは5番人気のナルシスノワールという小波乱となり、波乱の幕開けを予感させた(若葉Sが皐月賞のトライアルレースになったのは、91年から)。ただでさえ混戦の予感が漂いつつある皐月賞戦線は、やがて有力馬の1頭に数えられていた弥生賞勝ち馬レインボーアンバー、きさらぎ賞(Glll)勝ち馬ナイスナイスナイスらの故障によって、ますます混沌の度合いを増していた。

 本来、皐月賞で圧倒的1番人気に支持されるべき存在は、サクラホクトオーだった。もとをただせば、彼が弥生賞で大敗したことこそが、この混沌の根源であるといってよい。

 サクラホクトオー陣営の人々は、

「弥生賞の敗因は馬場状態。良馬場になれば・・・」

と復活の願いを託していた。弥生賞での敗因が馬場状態であるとすれば、馬場さえ良ければ、3歳時の輝きを取り戻すことはできるはず。境師、小島騎手らが願うのは、皐月賞前の天候が良くなることだけだった。

 しかし、ひたすらに良馬場を望んだ彼らの願いむなしく、皐月賞での中山芝コースの馬場状態は、「不良」であった。朝まで雨が降り続いた雨はレースまでにやんだものの、水を含んだ状態で前日、そしてこの日とレースに使われたことで馬場は傷み、サクラホクトオー陣営の望みとは正反対の荒れたものとなっていた。

『失陥』

 サクラホクトオーは、この日も弥生賞に続いて1番人気に支持された。単勝300円というと弥生賞の時よりかなり信頼が低下しているが、2番人気のアンシストリーが670円、3番人気のドクタースパートが790円という情勢の中では、なお確固たる期待を背負っていたといっていいだろう。

 この日、瞬発力が殺される馬場状態を気にした小島騎手は、これまでの後方待機の競馬を捨て、スタート直後から好位につけた。マイネルムート、ナルシスノワールが先手をとって吊り上げるペースは、馬場状態にしては速いものだったが、サクラホクトオーにとっては、果たしてそのような次元の問題だったかどうか。

 果たして、サクラホクトオーは、勝負どころを迎えても、まったく走る気を起こさなかった。レースが勝負どころを迎えても、彼は鋭い末脚を繰り出すどころか、馬群に呑み込まれ、そのまま沈黙した。

 この日クラシックの第一冠を手にしたのは、道営競馬出身で3歳時にはダートで走っていた道悪巧者ドクタースパートだった。そのドクタースパートに半馬身及ばず2着だったのは、それまでの勝ち鞍がいずれもダートの条件戦だったウィナーズサークルである。ダートに強い馬たちが1着、2着を占める一方で、1番人気のサクラホクトオーは、見るも無惨な19着に沈んだ。20頭立てとはいっても1頭は競走中止だから、実質的な最下位である。

「まったく動けなかった。ダービーは良馬場であることを願うよ」

 帰ってきた小島騎手は、サクラホクトオーについてそうコメントしている。この日の馬場状態は、ドクタースパートの2分5秒2という勝ちタイムが物語っている。皐月賞が初めて中山の芝2000mコースで開催されたのは1950年だが、翌51年にはトキノミノルが2分3秒0のレコードを叩き出していることからすれば、「約40年前の水準」と言えなくもない。

 しかし、そのことがサクラホクトオーの惨敗を正当化するものではない。彼が大観衆の前でやらかした無様な競馬と着順は、弥生賞の大敗とあわせて「世代の実力ナンバーワン」という3歳時の評価をぶち壊すには十分すぎるものだった。

『混迷の東京優駿』

 弥生賞に続いて皐月賞でも人々の期待を裏切ったサクラホクトオーに、もはや日本ダービーで巻き返すよりほかに道はなかった。舞台が中山2000mから東京2400mコースに移れば、ダービー馬の半弟という血統に秘められたスタミナが生きてくる。コーナーが広くなれば、他の馬の動きにとらわれることなく、サクラホクトオー本来の末脚が爆発してくれる。・・・そう信じたかった。

 だが、信頼とは実績によって裏打ちされてこそのものである。無敗の3歳王者だった時点ならいざ知らず、今のサクラホクトオーは年明け以降12着、19着の実績しか持たない。2戦とも不良馬場でのこととはいえ、かつて83年のクラシック三冠を制したミスターシービーは、不良馬場となった皐月賞でも、馬群を割って突き抜け、見事1番人気に応えている。おなじトウショウボーイ産駒ではあっても、サクラホクトオーにはミスターシービーのようなたくましさは望めないのではないか。・・・そんな疑念をもたれるのはやむを得ないことだった。

 例年のダービーでは、皐月賞上位組がそのまま有力馬として人気を集めるのが普通である。しかし、この年に限っては、皐月賞上位馬に全面的な信頼を集めるほどの安定感がなく、混戦模様は深まるばかりだった。皐月賞の後、ダービーのステップレースであるNHK杯(Gll)からはトーワトリプル、青葉賞(OP)からはサーペンアップという皐月賞不出走組が名乗りを挙げた。さらに、通算4戦目でようやく未勝利を脱出したロングシンホニーが、その後3連勝を飾り、前走の若草S(OP)では後続を1秒4ちぎった。

 このように未知の新勢力が次々と浮上する中で、サクラホクトオーに対する評価は揺れていた。

「府中は中山に比べて直線が長くて広い。サクラホクトオーの持ち味は、府中でこそ生きるはず」
「3歳時に見せた末脚は、間違いなく本物。馬場さえまともなら、この馬がナンバーワン」

 こうした声も根強い一方で、

「早熟だったのではないか」
「マイルまでの馬だったのではないか」

というように、サクラホクトオーのダービーへの適性そのものを疑う声もあがった。

『堕ちた3歳王者』

 本命不在・・・例年にない混戦模様によって、単勝オッズも1番人気の「関西の秘密兵器」ロングシンホニーが単勝600円、2番人気のマイネルブレーブが610円という僅差で、以下ウィナーズサークルが730円、ドクタースパートが870円、サクラホクトオーが990円で続くという凄まじい激戦となった。この日、デビュー以降初めて1番人気を逸したサクラホクトオーだが、弥生賞、皐月賞の結果を踏まえれば、5番人気という評価もやむを得ないだろう。

 ただ、前記のような状況ではあったものの、馬券検討において、「サクラホクトオーの取捨」は依然として重要な位置を占めていた。

 ダービー当日、JRAから発表された馬場状態は、「良」だった。境師、小島騎手らは、待ち望んでいた馬場に、ようやく胸をなでおろした。彼の末脚が生かせる環境が、最高のレースでようやく整った。そう考えた小島騎手は、好スタートを切ったサクラホクトオーをすぐに抑え、中団へと下げていった。

 だが、府中の芝は、主催者発表こそ「良」ではあったものの、春先から続いた雨は、中山競馬場同様に東京競馬場の馬場そのものを大きく傷めていた。さらに、悪環境でのレースが続いたことによって、サクラホクトオー自身、戦いに倦んだ気持ちがあったのかもしれない。

 3歳時に輝いたサクラホクトオーの末脚は、小島騎手の渾身のムチにも関わらず、第4コーナーを回り、さらに直線の坂を越えても、蘇ることはなかった。3歳王者の末脚は、みたび不発に終わったのである。勝ったウィナーズサークルから遅れること約8馬身、サクラホクトオーは9着に敗れた。

 弥生賞、皐月賞、そしてダービーと屈辱の着順に終わったサクラホクトオーは、夏を休養にあてて、立て直しを図ることになった。・・・半年前、かつて兄が制した朝日杯3歳Sを制し、「兄弟ダービー制覇も夢ではない」と言われたサクラホクトオーは、兄がそうだったように、周囲の期待と夢を背負ってクラシックの王道を歩むはずだった。しかし、あまりに無残な敗北を重ねた今の彼に、3歳王者の威厳はもはやない。彼の栄光は既に地に堕ち、半年前には夢想だにしなかった屈辱によって穢されたのである。

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