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スーパークリーク列伝~大河の流れはいつまでも~

『白き壁、再び』

 しかし、狂気のハイペースを好位で追走したスーパークリークには、この時既に余力は残っていなかった。常識はずれの連闘で不利なはずのオグリキャップが抜け出し、ホーリックスと死闘を演じるために上がっていったのに対し、スーパークリークはここから伸びず、道中ずっと併走してきたはずの宿敵から、あっさりと置き去りにされていった。
 
 結局、この後オグリキャップはホーリックスをあと一歩まで追い詰めたものの、狂気のハイペースを前で追走しながら最後まで止まることなく走りぬいた世界レコードの激走には、わずかに及ばなかった。しかし、マイルCS(Gl)からの連闘という過酷なローテーションをものともせず世界に肉薄したオグリキャップの姿は、世に
 
「やはり最強馬はオグリキャップだ」
 
と印象づけるものであり、その戦いは感動と称賛の的とされた。

 その一方で、スーパークリークは、天皇賞・秋から中3週という満を持したローテーションでありながら、オグリキャップとホーリックスという2頭の芦毛馬による名勝負に加わることすらできないまま4着に敗れた。タイム的には、スーパークリーク自身も東京の芝2400mコースを2分22秒7という破格のタイムで走破したものの、2分22秒2という想像を絶するタイムの前では目立たなくなるのもやむをえない。
 
 こうしてスーパークリークは、天皇賞・秋でオグリキャップを破って世代の両雄であることを印象づけたのもつかの間、ジャパンCではまたもオグリキャップの引き立て役にまわってしまった。そんなスーパークリーク陣営にできることは、有馬記念での雪辱を誓うことだけだった。

『決戦の刻』

 実は、ジャパンCの後、既に秋3走をこなしたスーパークリークの調子は、下降線に入りつつあった。しかし、天皇賞・秋、ジャパンCから有馬記念へと続く秋の中長距離戦線を皆勤した馬は、たいていそんなものである。伊藤師は、スーパークリークが少しでも実力を発揮できるよう、その調子をできる限り維持することに務めた。
 
 中央競馬の1年を締めくくる有馬記念は、毎年「ドリームレース」と呼ぶにふさわしい豪華な出走馬たちが集う。この年も各世代を代表するというに足るメンバーが揃っていた。しかし、豪華な顔ぶれにもかかわらず、ファンによる単勝人気の大部分はスーパークリークとオグリキャップの2頭に集中した。オグリキャップが180円、スーパークリークが310円の支持を集めたのに対し、他の馬の中は、最も人気を集めた4歳世代の雄サクラホクトオーでさえ1260円だったという人気が、この年の有馬記念を何よりも雄弁に物語っている。
 
 「両雄対決」。中山競馬場をそんな雰囲気が取り巻く中で、有馬記念は幕を開けた。オグリキャップはジャパンCと同様に先行策を採り、逃げるダイナカーペンターのすぐ後ろの2番手へとつけた。スーパークリークは、オグリキャップをマークするような形で、さらにその後ろを追走する。天皇賞・秋ではスーパークリークが前、オグリキャップが後ろにつけ、ジャパンCでは2頭は併走する形でレースを進めたが、今度はオグリキャップが前で、スーパークリークが後ろという競馬になったのである。

『決着近し?』

 有力馬2頭が敢然と積極策を採ったのをみて、他の馬も動かずにはいられなかった。本来直線での末脚にかける、後方のイナリワン、サクラホクトオーといった馬たちも、徐々に後方から進出していった。並の馬ならゴールまでに止まるだろう。しかし、この2頭は止まらない。そんな恐れが彼らを駆り立てた。
 
「この2頭が相手だと、このまま行ったのでは届かない…」
 
 1ヶ月前のジャパンCの残像は、彼らの脳裏に強く焼きついていたのである。
 
 その一方で、スーパークリークとオグリキャップは、前で互いの様子だけを窺いながらレースを進めていた。天皇賞・秋ではワン・ツーフィニッシュを決め、ジャパンCでも日本馬最先着と2番目でゴールインした2頭は、互いの実力を知り尽くしているがゆえに、相手のことしか眼に入っていなかったのかもしれない。
 
 やがてオグリキャップが動くと、スーパークリークも置いていかれてはならない、とばかりにその後を追った。武騎手の手綱は、第3コーナーあたりで早くも手ごたえがあやしくなっていたが、スーパークリークはそれでも一生懸命走った。秋の死闘続きでぼろぼろになった肉体をさらに鞭打って、己の持てるすべての能力を出し尽くそうとした。
 
 そして、スーパークリークの手応えが悪くても、他の馬の手応えがもっと悪ければやはり勝てるというのは、競馬界の道理である。この日は、宿敵オグリキャップに異変が生じていた。
 
 タフなことでは人後に落ちないオグリキャップだったが、この秋にはオールカマー、毎日王冠、天皇賞・秋、マイルCS、ジャパンCと使っていて、この日はなんと秋6走目だった。不祥事による馬主資格のはく奪を目前に控えた前馬主から新馬主への高額トレードという人間の事情に引きずられる形での異例のローテーションは批判の対象となったが、特にマイルCSからジャパンCへと強行された連闘の疲労は、やはりオグリキャップの肉体をも蝕んでいたのである。抜け出したスーパークリークに懸命についていこうとするオグリキャップだったが、ジャパンCとは反対に、今度はオグリキャップがついていけなかった。
 
 ジャパンCの府中第4コーナーではオグリキャップにおいていかれたスーパークリークだったが、この日は逆に、中山の坂下でオグリキャップを置き去りにして抜け出した。手応えが悪いままもがく宿敵の姿を横目で見ながら、武騎手は栄冠との距離が一気に縮まるさまを感じていた。

『宿願いまだ果たされず』

 だが、直線でいったんは抜け出したかに見えたスーパークリークと武騎手の背後に、もうひとつの激しいステッキの音が迫りつつあった。武騎手は、振り返らずとも背中で感じることのできる寒気のするようなその音、その殺気に
 
「オグリが差し返してきた!」
 
と思ったという。しかし、激しい音を立てるステッキは、オグリキャップに騎乗する南井克巳騎手ではなく柴田政人騎手のものであり、外から一気に並びかけてきたのは、灰色ではなく黒色だった。
 
 スーパークリークを強襲した黒い馬は、春には武騎手とコンビを組んで天皇賞・春、宝塚記念制覇を果たした、南関東競馬出身の野武士イナリワンだった。
 
 春こそ武騎手と組んでGlを連勝したイナリワンだったが、武騎手がスーパークリークのもとに戻った秋の成績は、ふるわないものだった。緒戦に選んだ毎日王冠こそオグリキャップとハナ差の2着に入ったものの、その後天皇賞・秋では6着、ジャパンCでは11着と掲示板に載ることさえできず、そのためこの日は4番人気とはいえ単勝1670円という、完全な「穴人気」まで評価を落としていた。そんなイナリワンによるまさかの急襲に、武騎手は一瞬我を失ったという。

 イナリワンに抵抗しようと懸命に追う武騎手だったが、スーパークリークに余力は残っていなかった。2頭の馬体はほぼ並んでゴールし、勝敗の結論は写真判定に持ち越されたが、その結果はハナ差、イナリワンが前に出ていた。
 
 これで宝塚記念に続くグランプリ連覇を達成したイナリワンは、天皇賞・春も加えてこの年Gl3勝目をあげた。勝ち時計の2分31秒7は、当時の有馬記念レコードである。春にはイナリワンに騎乗した武騎手だけに、折り合いがついたときのこの馬の怖さはよく知っていたが、それと同時にその折り合いをつけることがいかに難しいかも十二分に分かっていた。だからこそこの日もオグリキャップに相手を絞った競馬を進めたのだが、最後にはそんな作戦が裏目に出たのである。逆に柴田騎手は、スーパークリークとオグリキャップの動きを見て、どこから仕掛ければ前の2頭をとらえられるかを読みきって仕掛けてきていた。完敗だった。
 
 武騎手は、「イナリワンの大駆けにやられたと思うしかないですね」とコメントすることしかできなかった。結局、この日の結果によって年度代表馬はイナリワンで確定的となり、「スーパークリークが一番強いことを証明したい」と言っていた武騎手の宿願は、わずかにハナ差で果たされなくなってしまった。

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