TOP >  年代別一覧 > 1990年代 > ニホンピロジュピタ列伝・未知に挑んだ馬

ニホンピロジュピタ列伝・未知に挑んだ馬

『決戦・南部杯』

 マイルチャンピオンシップ南部杯(統一Gl)・・・それは、盛岡競馬場で行われるダートのマイルGlである。もともとは1988年に地方競馬の北日本における最強馬決定戦として創設されたレースだが、その後対象地域を広げ、97年には統一グレード制の導入とともにJRAも含めたダート王決定戦として統一Glに格付けされ、この年が第12回、統一Glとしては3回目を迎えようとしていた。

 この年の南部杯は、当初、南関東の王者アブクマポーロと岩手の軍神メイセイオペラという当時のダート界を二分する両巨頭の直接対決が実現するのではないかと噂されていた。それまでに4度対戦してアブクマポーロの3勝1敗だったが、前年の南部杯では地元のメイセイオペラが一矢を報いていた。この年の初めに川崎記念(統一Gl)を制して統一Gl4勝目を挙げた絶対王者アブクマポーロと、地方所属馬として初めてJRAのGlであるフェブラリーS(Gl)、そして帝王賞(統一Gl)を制したメイセイオペラの1年ぶりの再戦に、オーロパークは再び燃え上がる・・・はずだった。

 しかし、夢の対決は、実現しにくいからこそ「夢」と言われる。この2頭についても、まずアブクマポーロが帰厩したものの、本来の状態に戻らないことから、8歳という年齢も踏まえ、南部杯へは出走せずに引退することになった。また、メイセイオペラも、1番人気が確実と言われながら、右前球節炎を発症して回避を余儀なくされた。日本のダート界をほぼ絶対的な存在として長らく牽引してきた2頭の不在によって、南部杯は混迷と乱戦の気配が漂い始めていた。

 南部杯のフルゲートは12頭だが、そのうちJRAからの出走枠は3分の1にあたる4頭である。ニホンピロジュピタ以外には、2年前に桜花賞、秋華賞を制した二冠牝馬キョウエイマーチ、同世代のダート交流重賞を多数制するウイングアロー、1年前の盛岡で、そのウイングアローをダービーグランプリ(統一Gl)で下してダート三冠達成を阻止したナリタホマレといった顔ぶれが集結していた。ウイングアロー、ナリタホマレのダート適性は言うに及ばず、キョウエイマーチもデビュー当初は脚部不安があったためにダート戦を走って2勝、それも圧勝しており、この年でもフェブラリーS(Gl)で5着に入った実績があって、ダート適性はある程度裏付けられている。

 そんなJRA勢と比較して、アブクマポーロとメイセイオペラという大駒2枚を直前で失った地方勢は、この年にマーキュリーC(統一Glll)2着、クラスターC(統一Glll)3着の実績を残していた地元のバンチャンプの4番人気が最高という状況で、「JRA勢優位」というのが偽らざる雰囲気だった。

『期待を背負って』

 そんな南部杯に降り立つニホンピロジュピタの鞍上にいたのは、小林騎手ではなく、武騎手だった。前走で重賞初勝利を5馬身差の圧勝で飾ったにもかかわらず、ここで乗り替わる非情の采配は、統一Gl勝利に賭ける陣営の執念の現れだった。

 そして、ファンも、必勝の思いに燃えるニホンピロジュピタを、3頭のGl馬を抑えての1番人気に支持した。それも、単勝140円といえば、単勝の総売上の半額以上が彼に投じられているという圧倒的な数字である。

 ただ、この時点での武騎手には、ひとつ大きな問題があった。1997年に始まった統一グレード制だったが、武騎手は、この時点では統一Gl未勝利だったのである。人気馬への騎乗機会がなかったわけではなく、むしろ1番人気だけでも97年帝王賞(バトルライン)、南部杯(バトルライン)、98年ダービーグランプリ(ウイングアロー)と3回騎乗している。それなのに勝っていないというのは、胸を張れる戦績ではない。

「地方でのユタカは買っていいのか・・・?」

 JRAでそんな疑問を投げかけられることなどなかったであろう武騎手にとって、その屈辱は、勝利によってしか贖うことができないものだった。

『逃げる桜花賞馬』

 1999年10月11日、第12回南部杯が盛岡競馬場で幕を開けた。

 曇天の下、ダートコースは良馬場で、力と時間の必要な馬場となっていたが、キョウエイマーチは、スタートとともに、先頭でレースを引っ張った。

 これをバンチャンプらが好位で追走、ウイングアローとナリタホマレは中団待機という展開の中、ニホンピロジュピタは、中団のやや前めで競馬を進めた。

 ニホンピロジュピタは、もともと極端な競馬をするタイプではなく、好位からの競馬を持ち味とする馬である。JRAの競馬場と比較すると、逃げ・先行が有利で、後方からの差し・追い込みは届きにくいとも言われる盛岡競馬場でのこの位置は、及第点と言える。

 そして、ニホンピロジュピタは、第3コーナーから第4コーナーにかけて進路を外に持ち出し、進出を開始した。

 直線に入ってからも、キョウエイマーチは力強い末脚でしぶとく粘っていた。もともと彼女は、桜花賞を勝っただけではなく、4歳牝馬特別(Gll)、ローズS(Gll)、阪急杯(Glll)を3勝し(南部杯後に京都金杯(Glll)も)、秋華賞(Gl)、マイルCS(Gl)で2着に入っている実力馬である。彼女にとっては無理のないペースであっても、他の先行馬たちはついていくことができない。

『砂の王』

 そんな中で、ニホンピロジュピタは、脱落していく先行馬たちと入れ替わるように位置を押し上げていった。キョウエイマーチをとらえて前に出ると、たちまち突き放していく。後方から差してきたウイングアローも、寄せ付けない。

 ニホンピロジュピタは、キョウエイマーチに2馬身半差をつけてゴールした。重賞優勝はGlllの1勝だけだったニホンピロジュピタが、圧勝といってよい内容の4連勝で、Glへの登頂を果たしたのである。

 武騎手は、この日が南部杯初勝利だが、2021年までの段階で、2勝目はまだ挙げられていない。武騎手は、2021年12月に朝日杯FSを制したことで「Gl完全勝利」達成が話題になったが、ニホンピロジュピタで挙げたこの年の南部杯制覇も、彼にとって大きな意味を持つことになった。

 ちなみに、この日の1分38秒4という勝ちタイムは、移転後の現・盛岡競馬場で開催された南部杯の勝ち時計としては、当時は最も遅く、2022年3月現在でも2002年のトーホウエンペラー(1分38秒7)に次いで遅いものだった。しかし、当時の盛岡競馬場のダートコース自体が例年より時計がかかる状態だったため、勝ち馬の実力を疑わせる材料とは見られなかった。

 南部杯を制したことで統一Gl馬となったニホンピロジュピタは、ダート界の新星として、力強い第一歩を踏み出した。長らくダート界を牽引したアブクマポーロは既に去り、メイセイオペラも復帰の具体的なプランは聞こえてこない。前年のダート三冠で活躍したウイングアロー、ナリタホマレは、既に撃破した。いずれ、1歳下の世代のダート路線からオリオンザサンクス、タイキヘラクレスらが乗り込んでくるにしても、東京大賞典やフェブラリーSでの対決を経て、新世代のダート界の頂点に立つ・・・。そんな未来も、決して夢物語ではないはずだった。

 ・・・しかし、彼を待っていた運命は、栄光に満ちたものではなかった。むしろ、あまりにも残酷なものだったのである。

1 2 3 4 5 6
TOPへ