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スクラムダイナ列伝~夢の途中~

『月見草のように』

矢野厩舎に入ったスクラムダイナは、東京1400mの新馬戦でデビューすると、カミノコンドル以下に10馬身差をつけて圧勝し、まずはデビュー戦を飾るとともに、矢野師や社台ファームの人々の目が間違ってはいなかったことを証明した。

 しかし、次走の白菊賞(400万下)でのスクラムダイナの人気は、3番人気にとどまった。前走の勝ち方自体はケチのつけようがないにしても、勝った相手が弱いのではないか。・・・それが、スクラムダイナの初勝利に対する世間一般の見方だった。

 スクラムダイナは、そんな見方に反抗するかのように、後に(旧)4歳でオールカマーを勝つアサカサイレントに1馬身4分の1差をつけたまま、先頭でゴールした。あっさりと2連勝を飾ったスクラムダイナの次走は、関東の3歳王者決定戦である朝日杯3歳S(Glll)に決まったが、2戦2勝、いずれも楽勝という内容ならば、スクラムダイナはかなりの人気になっても不思議はない。

 ところが、朝日杯当日に単勝190円の1番人気に支持されたのは、同じ2戦2勝でのサクラサニーオーだった。それに続くのは、すずかけ賞(OP)で評判馬エルプスを破ったロードキルター、1戦1勝ながら良血を買われたトウショウサミットで、スクラムダイナは単勝670円で4番人気にとどまった。スクラムダイナの3歳時の人気は、1番人気、3番人気、4番人気と変遷したことになる。勝ち続けるごとに人気が落ちる。スクラムダイナは、そんな妙な宿命を背負っていた。

『思いのままにならぬもの』

 スクラムダイナの騎手は、新馬戦では岡部幸雄騎手が騎乗したものの、白菊賞からは柴田政人騎手に乗り替わり、この日も柴田騎手が騎乗していた。この日のスクラムダイナの馬体重は8kg減という究極の仕上がりだったが、柴田騎手はそれだけに馬が神経質になっていることをまざまざと感じ、レースをどのように進めるべきか考えていた。

 柴田騎手は、スクラムダイナについて矢野師から、こんな助言を受けていた。

「(スクラムダイナは)すぐ前に馬がいると走る気をなくすから・・・」

 そうだとすると、精神の昂ぶりが激しいこの日はなおさら、前にしろ、後ろにしろ、思い切った競馬をした方がいい。

 柴田騎手は最初、思い切って前からの競馬をするつもりだった。だが、どんなにレース前に作戦を考えても、レースになるとそのとおりにはいかなくなるのが競馬である。スタート時こそ柴田騎手の予定どおりに好スタートを切ったスクラムダイナだったが、その後、他の有力馬たちもスクラムダイナ以上に強い執念と強引な競馬で前へと殺到し、柴田騎手の作戦は崩れてしまった。他の馬たちが強引に前を奪った上に次々と内に切れ込んできたことから、内枠スタートだったスクラムダイナは、たちまち前方の進路を封じられてしまったのである。

 柴田騎手は、考えた。スクラムダイナの気性、精神状態からして、このままの場所で競馬を進めることは、よい結果につながらない。柴田騎手は作戦を変え、手綱を抑えて馬を先行集団の後ろへと下げることにした。これだけ前がどんどん行く展開になれば、当然ペースはつり上がる。ならば、無理に馬と喧嘩して先行集団につけようとするよりは、後ろに控えて末脚を生かす競馬をした方がいい・・・。

 もっとも、いったんは中団まで馬を下げた柴田騎手だったが、新しい作戦に従った布石を打っておくことは忘れなかった。柴田騎手は、先行集団の馬群の後ろまで下げると、その後は次第に進路を外へと変え、スクラムダイナを他の馬に邪魔されない大外へと持ち出しにかかったのである。スタート地点では1枠にいたスクラムダイナは、第3コーナーから第4コーナーにかけての勝負どころでは既に大外に持ち出し、いつでも上がっていける態勢を整えていた。

『見切る男』

 大外でコーナーを回った場合、内をついた馬に比べて距離のロスは大きい。スクラムダイナも第4コーナーを回る際には、内をついた馬たちが次々と直線に入っていくのを、後ろから見る形となってしまった。・・・しかし柴田騎手は、まだ余裕があるとみて、なかなか動かなかった。

 柴田騎手は、既にこの日のレースの流れを読み切っていた。彼が見ていたのは、すぐ前にいたサクラサニーオー、ロードキルターという人気馬の動きだった。前が速いこの日の展開、そして出走馬の力関係ならば、大外を回り、仕掛けを遅らせても、その2頭さえかわすことで、必ず結果はついてくる。

 そして、柴田騎手が前の動きを見ながらようやく仕掛けると、スクラムダイナは外からさらに脚を伸ばし、サクラサニーオーらを並ぶ間もなくかわしていった。ハイペースの中で好位から競馬をしていたサクラサニーオーらに、スクラムダイナについていく余裕はもはや残っていない。スクラムダイナは、そのまま彼らを引き離していった。そのころ後ろからはもう1頭、ビンゴチムールがやはりいい末脚で伸びてきたが、スクラムダイナの脚色と同じでは、先頭との差をつめることはできない。

『男たちの誓約』

 スクラムダイナは、先頭のままゴールへと駆け込んだ。2着ビンゴチムールとの差は1馬身4分の3だったが、着差以上の余裕を感じさせる快勝で、3戦3勝、無敗の3歳王者スクラムダイナは、ここに誕生した。

 レース前、矢野師はスクラムダイナについて、

「全部の出走馬の中でも、スクラムダイナは一番気性が子供」

と言っていたという。しかし、レースが終わってみれば、勝ったのはそのスクラムダイナである。もしこの馬が順調に成長すれば、もっと大きなところも視野に入ってくるという手ごたえもあった。ちなみに、矢野厩舎はこの年、勝ち数、勝率、連対率で関東の「三冠王」に輝いている。厩舎全体の雰囲気が高揚する中で、クラシック戦線へとつながるスクラムダイナの活躍は、矢野厩舎をさらに勢いづかせるものだった。

 スクラムダイナの朝日杯3歳S制覇を喜んだのは、矢野厩舎の人々だけではない。故郷の社台ファームも同様である。社台ファームの人々、そしてその総帥の吉田善哉氏は、

「来年こそはダービーを獲るぞ」

という誓いを新たにした。・・・この誓いは、彼ら、特に善哉氏にとって特別な意味を持っていた。

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