オグリローマン列伝~約束された奇跡~
『運命の船出』
エルフィンS当日、オグリローマンの鞍上には、オグリキャップの最大のライバルだったスーパークリークの主戦騎手であり、さらにオグリキャップともコンビを組み、ラストランの有馬記念を含めて2戦2勝の戦績を残した武豊騎手が迎えられていた。
オグリキャップとは敵として幾度も戦い、さらにはスーパークリークと競合しない90年安田記念ではコンビを組んで勝たせてもいた武騎手は、もともとオグリキャップの強さも知り尽くしていた。そんな武騎手は、ラストランとなる有馬記念を勝った後も、
「僕にとっては奇跡ではないから…」
という理由で、「奇跡」という言葉を使わなかったという。兄と幾重もの因縁で結ばれた武騎手とのコンビとなれば、ファンが喜ぶのも当然のことである。
エルフィンSには、前年8月に札幌3歳S(Glll)を制したメローフルーツ、新馬戦を勝った後、阪神3歳牝馬S(Gl)で2着に入ったローブモンタントらもいたが、オグリローマンは、JRA転入初戦どころか、芝のレース自体が初めてであるにもかかわらず、そうしたライバルを抑えて単勝250円の1番人気に推された。競馬ファンの多くが、オグリローマンに対して、オグリキャップの再来として、兄が果たせなかったクラシック制覇の夢を重ねていた。
『残酷すぎた真実』
・・・ところが、その結果は無惨なものだった。道中ではスムーズに競馬を進めて2番手につけていたオグリローマンだったが、勝負どころの第4コーナーでずるずると後退を始め、そのまま馬群へと沈んでいったのである。
9頭立ての9着。それがオグリローマンのJRA転入初戦エルフィンSでの着順である。この結果には、彼女の関係者や馬券を買った者はもちろん、そうでない者たちも、言葉を失うしかなかった。
馬主の小栗氏は、オグリローマンはオグリキャップの弟妹の中で…というより、オグリキャップ以降の所有馬の中でも一番いいスピードを持っているということで、自信満々だったという。ところが、想定外すぎるこの日の結果に、
「芝が合わないのか…」
とがっかりしたという。もっともな話である。
実は、瀬戸口師は、レース前というより、オグリローマンの特性をある程度把握しつつあった時期には、もう大きな不安を感じるようになっていた。入厩を決める前。レースの映像や厩舎での立ち姿を見せられた際には気づかなかったが、実際に預かってみると、オグリローマンは、他の馬が近くにいるだけで怯えてしまうという精神面での大きな弱みがあった。
最初は環境の変化で過敏になっているのかもしれないと思ってみたが、時間が経っても改善の兆しは見られない。オグリローマンは、目の前の馬が少し暴れるだけで逃げ出そうとするほど、ただひたすらに繊細な気性の持ち主だったのである。それでも、レースの中で目覚めるものがあるのではないかと、祈るような思いで送り出した願いは、最悪な形で裏切られてしまった。
オグリローマンのこの欠陥は、当然のことながら武騎手も気づいていた。「オグリの妹」ということで大きな期待を持って依頼を受けたものの、調教での走りは悪く、さらにレース本番でも
「第4コーナーで手応えがなくなった」
「敗因は気の弱さ。他の馬が競りかけてきたら、レースをやめてしまった」
と振り返らざるを得ない内容で、
「期待はずれ、というより拍子抜け」
と言わざるを得なかった。
武騎手が知るオグリキャップの最大の強みは、どんな状況からも勝利に向けて邁進できる、並外れた精神力だった。オグリローマンは、精神面に関して言うならば、オグリキャップと似ているどころか、むしろ対照的で、
「兄と比較できる水準じゃない…」
「桜花賞には、出るのも難しいのではないか…」
というのが、オグリローマンに対して武騎手が下した正直な評価だった。
『転機』
こうしていきなりファンの期待を大きく裏切ってしまったオグリローマンだったが、次走は予定通りに桜花賞トライアルのチューリップ賞(Glll)とされた。
もともと同時期に阪神芝1600mコースで行われており、前年はベガが桜花賞、そして牝馬二冠への足掛かりとしたチューリップ賞は、この年初めてGlllに格付けされた一方で、京都競馬場の改修工事による変則開催によって、中京開催とされていた。
ここでも武騎手に騎乗依頼をしようとした瀬戸口師だったが、ひとつの問題が生じた。武騎手は、同日の中山競馬場で開催されるマーチS(Glll)で、有力視されるバンブーゲネシスから騎乗依頼を受けていたのである(1番人気1着)。
バンブーゲネシスは、武騎手の父親である武邦彦師の管理馬であり、武騎手とコンビを組んだ90年スプリンターズSを含めてGl2勝を挙げたバンブーメモリーの弟でもある。さらに、マーチS直前の常陸特別(900万下)には、小栗氏の所有馬で、鷲見厩舎から武邦厩舎へ転厩していたオグリトウショウのJRA転入初戦の騎乗までセットになっていた。
困った瀬戸口師がオグリローマンの鞍上として白羽の矢を立てたのは、田原成貴騎手だった。
田原騎手は、この週に中京で騎乗するにもかかわらず、チューリップ賞での騎乗馬は未定であり、桜花賞には、エルフィンSを勝ったローブモンタントで参戦することが事実上決まっていた。
瀬戸口騎手の意向は、桜花賞ではあくまでも武騎手に騎乗してほしいというものだった。チューリップ賞で武騎手が騎乗できないのであれば、武騎手への誠意を欠くことなく、エルフィンSで露呈したオグリローマンの欠陥をカバーできる彼女の持ち味を引き出しうる一流騎手といえる田原騎手は、もってこいの存在だった。