オグリローマン列伝~約束された奇跡~
『本命不在の桜花賞』
チューリップ賞は通算3戦目の4番人気アグネスフローラの勝利によって幕を閉じたが、その他のトライアルレースも、報知杯4歳牝馬特別(Gll)は8番人気の人気薄ゴールデンジャック、アネモネS(OP)は6番人気グッドラックスターが穴を開けたことで、桜花賞戦線は混沌の度合いを増していった。
何せ、桜花賞へ出走した18頭の中で、重賞制覇歴があるのは両トライアル重賞を勝ったアグネスパレードとゴールデンジャック以外にはテレビ東京3歳S(Glll)と小倉3歳S(Glll)を勝ったナガラフラッシュ、札幌3歳S(Glll)を勝ったメローフルーツの4頭だけで、3勝以上をあげているのも、前記のナガラフラッシュ、紅梅賞(OP)などを勝ったテンザンユタカ以外には、JRA転入前に地方で勝ちを重ねたもののJRAでは未勝利のオグリローマン、スリーコース、エンゼルプリンセスの5頭だけである。この状況で、「大本命」といえる存在など、現れようがない。
桜花賞でのオグリローマンの鞍上には、予定通りに武騎手が復帰することになった。また、転入後しばらくの間、オグリローマンはウッドと坂路を中心とした調教メニューを組まれていたが、疲労が残りやすいため、レースが迫ってからは本馬場での調教に切り替えてみたところ、日増しに動きがよくなっていることは、武騎手も感じていた。…ただ、以前の悪すぎる印象を払拭するには至らず、武騎手も、
「5着以内に来ればいいかな、くらいの気持ち。勝てるなんてこれっぽっちも思っていなかったです」
などと、後日に語っている。
閑話休題。結局、桜花賞のオッズを見ると、エルフィンSを優勝した後、桜花賞へ直行してきたローブモンタントが単勝290円の1番人気、1月のフローラS(OP)を勝って桜花賞へ直行してきたノーザンプリンセスが同680円の2番人気に支持された。…要は、トライアル勢がまったくあてにならないと判断された結果、別路線組が上位人気に支持されたのである。
トライアル組の中で最も高い評価を受けたのがオグリローマンであり、同730円の3番人気に推される形で、ノーザンプリンセスに僅差で続いた。これにフラワーC(Glll)2着のメローフルーツ(770円)を挟んで、チューリップ賞でオグリローマンを抑えて優勝したアグネスパレードが同800円の5番人気となり、それ以下は単勝配当4桁以上というのが、ファンの正直な評価だった。
『3日会わざれば、刮目して見よ』
オグリローマンの人気を聞いた武騎手は、オグリキャップの人気の根強さを感じたものの、人気にふさわしい走りができるかどうかを考えると、自信はなかった。
武騎手は、もともと瀬戸口師から
「乗り方は君に任せる」
と言われ、作戦については一任されていたため、当初は田原騎手がチューリップ賞で切り拓いた後方待機策を踏襲するつもりだった。しかし、オグリローマンが1枠1番の枠順を引いてしまったことから、その作戦は再考を強いられた。
当時の桜花賞には「魔の桜花賞ペース」という言葉があり、先行有利とされていた阪神の芝1600mコース形状に、若い牝馬たちの気性の不安定さも相まって、出走馬たちが少しでも前の位置を確保しようと殺到することでハイペースになりやすいとされていた。他の馬が怖いオグリローマンの場合、もしスタートで少しでも立ち遅れてしまえば、他の馬たちに包まれたり、かぶせてかわされたりして、たちまち走る気を失ってしまいかねない。
「どこかで外に出すしかないかなあ…」
などと考えてはいたものの、作戦としてはなかなかまとまらず、最後はほぼ「出たとこ勝負」で本番に臨むことになった。
ただ、武騎手は、返し馬の際に、オグリローマンの雰囲気がエルフィンSとは大きく変わったことに気づき、驚いたという。他の馬を怖がる様子が、かなり治まっていたのである。
「これなら、馬ごみの中でも競馬ができそうだ…」
採りうる戦術の広がりを感じた武騎手は、この日、第1コーナーまではオグリローマンを行かせ、その後は馬群に入れて、様子を見ることにしたという。そういえば、89年の桜花賞にシャダイカグラで参戦した時も、スタートで出遅れながらも、結果的には優勝し、なんとかなった。最後は
「あの馬(オグリキャップ)の妹なんだから…」
という、根拠といっていいのか、よくないのかもよく分からない理由をつけて、考えることをやめていた。
『予想外の手ごたえ』
いよいよゲートが開いた瞬間、オグリローマンは3,4番手という好位からのスタートを切った。
その後のオグリローマンの様子に、武騎手はさらに戸惑った。他の馬を怖がるはずのオグリローマンが、他の馬のすぐそばにいるのに、なぜか落ち着き払っていたのである。武騎手自身が
「あれ、いい感じだぞ?あれ、あれ、あの怖がりはどこにいってしまったのか?」
とレース中にいぶかるほどだった。
しかし、勝つためには、いつまでもそんなことで立ち止まってはいられない。武騎手がおそるおそるオグリローマンを馬ごみに入れてみても、彼女はやはり落ち着いている。
予想外の展開にひそかに心躍らせる武騎手をよそに、レースはスリーコースとメローフルーツが競り合いながらペースを形成していった。1番人気のローブモンタントは好位につけて、何が起こっても大丈夫なように陣取っている。そんな中で、武騎手は、オグリローマンをスタート直後の好位から、中団へと下げていく。そんなオグリローマンのレースぶりを
「好スタートを切りながら、勢いに乗り切れずに後退していった」
と見たファンも、決して少なくなかったことだろう。実戦での騎乗の機微は、部外者にはなかなか分かるものではない。
実際には、武騎手には、前走で田原騎手によって引き出された豪脚を、桜花賞本番でも再現するという明確な意思と目的があった。彼の意識は既に、直線の勝負どころで行き場を失うことのないように、馬を外へ持ち出す機会をうかがうことへと向けられていた。