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オグリローマン列伝~約束された奇跡~

『距離との戦い』

 第54代桜花賞馬オグリローマンに課せられた次の使命は、オークス(Gl)での二冠達成だった。

 牝馬クラシックの場合、2000mの皐月賞と2400mの日本ダービーで争われる春の牡馬クラシックとは異なり、1600mの桜花賞と2400mのオークスで争われる。もともとマイルとクラシックディスタンスの両方のGlを勝てる馬は名馬たちの中でもほんの一握りなのに、その舞台が一生に一度のクラシックとなれば、なおさらである。

 桜花賞1600m、皐月賞2000m、オークスと日本ダービー2400mという現代につながる春のクラシックレースの体系が完成したのは1950年である。それ以降、93年までに皐月賞、日本ダービーを制したのは15頭(2023年まで範囲を広げると23頭)いるが、桜花賞とオークスを制したのは9頭(2023年まで範囲を広げると17頭)であり、牝馬二冠馬は、牡馬二冠馬よりも明らかに少ない。

 まして、オグリローマンに対しては、長い距離への適性を疑問視する見方が多かった。オグリキャップはマイルのGlを2勝、2500mの有馬記念を2勝した名馬だが、有馬記念より距離が長いレースには出走すらしていない。また、オグリローマンの父であるプレイヴェストローマンも、ダートの短中距離で最も顕著な実績を残す種牡馬である。桜花賞馬だからといっても、オグリローマンにオークスでも無条件の信頼を寄せることは難しいという声は根強かった。

 ただ、見方を変えれば、1600mと2400mの距離の壁は、オグリキャップが越えたものである。また、プレイヴェストローマンは、ダートの短距離に強いとはいってもそれだけの馬ではなく、芝でも84年のトウカイローマン、87年のマックスビューティという2頭のオークス馬を送り出している。

「兄のような距離の万能性があってもおかしくない」

「父が変わって2400mへの適性はむしろ上がっているはず」

「東京芝2400mといえば、オグリキャップが数々の名勝負を繰り広げた舞台」

などと、オグリローマンにさらなる夢を託すファンも少なからずいた。…オグリローマンの可能性が語られる時に基準となるのは、常にオグリキャップだった。

『失墜の日』

 オークス当日、東京競馬場に姿を現した18頭の中で単勝1番人気に支持されたのは、オグリローマンだった。とはいっても、オッズは420円で、「押し出された」1番人気であることも確かである。桜花賞2着のツィンクルブライドと3着のローブモンタントが故障でオークスを断念したこともあり、オグリローマンに続くのは単勝470円のチョウカイキャロル、600円のオンワードノーブルという桜花賞には不出走の別路線組だった。チューリップ賞を勝ったものの桜花賞では8着に敗れたアグネスパレードが680円の4番人気で後に続き、5番人気以降は単勝4桁配当にとどまるなど、オッズを見るだけでも予想の困難さが伝わる状況である。

 そして、この日がオグリローマンの失墜の始まりだった。馬の実力が反映しやすい本格コースということで、この日のオグリローマンは、最初から後方待機を決め込んだ。しかし、レースの序盤、やがて中盤が過ぎ、ついには勝負どころを迎えても、彼女は進出の気配すら見せない。

 第4コーナーで早めに先頭に立ったチョウカイキャロルが、次々と襲いかかる後続の追撃を懸命にしのぐ中、オグリローマンの姿はいっこうに視野に入ってこなかった。オグリローマンは、直線での爆発に賭けた末脚が不発に終わり、後方のままあがいていたのである。チョウカイキャロルがゴールデンジャックを4分の3馬身差抑えてゴールした一方で、オグリローマンは掲示板どころか1桁着順にも残れない12着に敗れた。

 レース後の武騎手からは、

「今日は桜花賞の時のような手応えがなかった…」

というコメントが残っている。また、生産者である稲葉牧場は、裕治氏の夫人によれば

「桜花賞を勝った時はすごくうれしかったけれど、勝って当たり前みたいな気がしたから。でもオークス負けちゃったから、ガックリきちゃったんだよねぇ…」

ということである。

『それから…』

 オグリローマンの競走馬としての物語は、オークスで事実上終わりを告げたといってよい。兄のオグリキャップが出走を果たせなかったクラシックへの出走を果たし、「奇跡」とも称しうる走りで桜花賞を勝ったオグリローマンのそれ以降の戦績に、語るべきものが加わることはなかった。

 秋にはローズS(Gll)で復帰したオグリローマンだったが、「世代最強牝馬」と名高いながらも外国産馬であったがゆえに春のクラシックには出走できなかったヒシアマゾンの勝利のはるか後方で、1秒8遅れの15頭立て11着という無残な大敗を喫した。また、本番前のひと叩きで復調を期待されて出走したエリザベス女王杯(Gl)でも、ヒシアマゾンとオークス馬チョウカイキャロルとのハナ差の死闘には加わることもできず、桜花賞馬は18頭立ての15着に沈んだ。

 牝馬三冠戦線が終わり、復活を目指して桜花賞と同じ舞台の阪神芝1600mコースに戻ったポートアイランドS(OP)でも、Gl馬が2年前の朝日杯3歳S(Gl)を勝ったエルウェーウィンだけというメンバーの中で、12頭立ての8着に敗れた。そして、連闘で臨んだ阪神牝馬特別(Gll)では、ついに勝ったメモリージャスパーから3秒1遅れ、13頭立て13着という最下位に沈んでしまった。

 秋になって4戦走ったものの、勝つどころか、掲示板に載ることすらできない結果は、オグリローマンの限界を感じさせるものだった。その後、飛節を骨折したオグリローマンは、そのまま競走生活を退いて故郷の稲葉牧場へ帰り、繁殖生活を送ることになった。

 オグリローマンの競走成績は15戦7勝、うちJRAでは8戦1勝である。

『母として』

 繁殖入りしたオグリローマンは、96年から2010年までの15年間で10頭の産駒を送り出しており、中でも6番子のオグリホットは、2006年に盛岡競馬場の全国交流競走であるウイナーカップを制して重賞ウイナーとなっている。

 2010年の産駒を最後に繁殖生活から引退したオグリローマンは、稲葉牧場で余生を過ごしていたものの、2015年3月3日、心不全により、天寿を全うしたといってよい形で生涯を終えた。その2015年度には、地方出身馬として桜花賞を制した功績を称えるため、彼女はNARグランプリ特別賞を受賞している。

 オグリローマンが残した10頭の産駒は、牝馬、牡馬の順ですべて交互に生まれ、そのうち牝馬の5頭はいずれも繁殖入りし、彼女の血統を広げている。

 種牡馬入りした当初は人気を集めたオグリキャップは、活躍馬を出せないまま人気を落とし、現代にその血統はほとんど残っていない。しかし、妹であるオグリローマンの血統は、現代にも確かに残っている。

『時代の先駆けとして』

 これが、オグリキャップの妹として生を享け、重い運命と戦いながらも屈することなく戦い抜き、ついに兄が果たせなかったクラシック制覇を果たしたオグリローマンの物語である。オグリキャップとの比較に耐えうるサラブレッド自体がほとんどいない中で、兄妹としてその対象とされ続けたことは、オグリローマンにとって悲劇だっただろうが、それでもJRAでの唯一の勝利が桜花賞であり、オグリキャップが果たせなかったクラシックレースだったことは、オグリローマン自身も兄と連なる豪運を持っていた証かもしれない。

 オグリローマンが桜花賞制覇を果たした翌年、JRAのクラシックレースが地方所属馬にも開放され、地方所属馬のままトライアルレースに出走する道が拓かれた。所属厩舎は異なるものの、オグリローマンと同じ笠松所属のライデンリーダーが、笠松時代のオグリキャップ、オグリローマン兄妹とコンビを組んだ安藤勝己騎手とともに95年の牝馬三冠を皆勤している。オグリキャップ、オグリローマンによって意識された問題点が修正されていくことによって、競馬界は確実に進歩し、後世のサラブレッドたちの可能性を広げていった。

 もっとも、制度やレース体系の欠陥は、修正されないうちは強く意識されるが、歴史の進展の中で修正された後になると、忘れられていく場合も少なくない。さらに、オグリローマンの場合、オグリキャップという極星との距離が近すぎて、自身の輝きもすべて兄のより強い輝きに吸収されてしまった側面は、確かにあった。その結果なのか、オグリローマンが天に召されてからさらに時が流れた今、彼女の存在自体もファンの記憶から薄れているのは、確かにひとつの現実である。

 しかし、彼女の血を引く子孫は、確実に日本競馬に根付いている。また、オグリキャップの活躍によって「三流血統」というイメージが広がってしまったクインナルビーの血統的価値も、オグリローマンの桜花賞制覇に加え、それ以降も97年の桜花賞馬キョウエイマーチが現れたことや、そのキョウエイマーチの孫にあたるマルシュロレーヌが、2021年のブリーダーズCディスタフを制し、日本馬として史上初めてブリーダーズC勝ち馬となったことで、現代的視点からはもはや明らかである。馬主、調教師と生産牧場が集まって話し合われたオグリローマンの使命は、見事に果たされたと言えよう。

 日本競馬が得たオグリキャップという物語は、多くの人々から「奇跡」と称賛された。だが、あまりに大きな「奇跡」によって隠れる形となったもうひとつの「奇跡」が、血統という形では現代により多く残っているというのも、競馬の深い味わいなのである。

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