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ノーリーズン列伝~Rebel Without a Cause~

『進出』

 この日のノーリーズンは、気持ちよく走っていた。後方には末脚自慢のタニノギムレット、ローマンエンパイアという人気馬たちが陣取り、彼らにとっても好都合なハイペースを追走しながら虎視眈々と進出の機会をうかがっていたが、その圧力は、15番人気で重圧とは無縁であるがゆえに彼らを意識する必要性も薄いドイル騎手までは届かない。ドイル騎手が測っていたのは、いずれ脱落してくるであろう先行馬たちにいつ取って代わるか、というタイミングだけであった。

 すると、逃げていたメジロマイヤーが第4コーナーの手前で失速し始めたのをきっかけに、後続の侵攻に抵抗しきれず先行集団から脱落する馬が現れ始めた。だが、ドイル騎手がコーナーを利用して、それまで内ラチ沿いに走っていたノーリーズンをほんの少し外へと持ち出すと、ノーリーズンは、予想以上の手応えを維持したまま、むしろ先行集団へと食らいついていった。ドイル騎手が

「なんとかいい脚を使ってくれ・・・」

と追い始め、それまで制約してきたものから解き放たれると、ノーリーズンの末脚はさらに輝きを増す。

 直線でノーリーズンが見せた反応は、ドイル騎手の手応えをも大きく上回るものだった。前半のハイペースに巻き込まれることなく、かつ折り合いを欠くこともなく許された自由な走りは、彼の消耗を最小限に食い止めていたのである。

『まさかの結末』

 力強く進出を開始したノーリーズンだったが、ドイル騎手に誤算があったとすれば、ハイペースを追走してきたために自滅が必至と思われた先行馬たちによる、予想以上の抵抗だった。ハイペースを形成した主犯格ともいうべきメジロマイヤーこそ早々に脱落したものの、2番手から隙なくメジロマイヤーを追い上げて息を入れさせなかったダイタクフラッグ、そのすぐ後方から追走してきたタイガーカフェは、消耗の度合いではメジロマイヤーとそう大差ないはずであるにも関わらず、直線に入ってからも戦意を失わなかった。

 ノーリーズンは、この2頭を完全に葬り去るべく、馬体を併せて激しく叩き合う。まずはタイガーカフェを差し、最後まで粘るダイタクフラッグも、レースが残り100mを切ったあたりでようやく競り落とすと、ノーリーズンは栄光のゴールへ向けて先頭に立った。ノーリーズンが競り合う2頭から馬体ひとつ前に出たこと、彼の脚色が優っていることも、この時点でようやくはっきりと確認できる。

 だが、ファン、特に本命サイドにしか関心のない大多数のライトなファンの中には、

「あの馬は、何だ・・・?」

と戸惑う者も少なくなかっただろう。何せ、ここまで激しく競り合ってきた3頭は、ノーリーズンの15番人気を筆頭に、8番人気と13番人気。戦いの決着ももうこんなに近づいているはずなのに、人気馬たちは・・・どこにいる?

 アドマイヤドンは、馬群の中でもがいており、ローマンエンパイア、モノポライザーは、それよりもはるか後方にいる。彼らが第62代皐月賞馬の資格を失いつつあることは、既に明らかである。では、もう1頭の有力馬・・・1番人気を背負って決戦に臨むタニノギムレットは・・・どこにいる?

 ノーリーズンの勝利で大勢が決したかに見えたその時、大外から次元が違う末脚で、ただ1頭が突っ込んできた。1番人気、タニノギムレットの強襲であった。1番人気を背負ったタニノギムレットは、自らの末脚を信じて後方待機策を採り、第4コーナー手前では馬群を避けて大外へと持ち出した。何重にもマークされた彼は、思うように進路を確保できずにもたつきながらも、ようやく馬群を抜け出すと、最後の最後に激烈な追い上げを見せたのである。・・・同じ末脚勝負に賭けたはずのローマンエンパイアやモノポライザーが不発に終わって馬群に埋もれるのと対照的に、それまで大きく開いていたノーリーズンら先行集団との差を、一完歩ごとに縮めていく。

 しかし、タニノギムレットの迅雷の末脚をもってしても、既に形成された大勢を覆すまでには至らなかった。ゴール直前でダイタクフラッグを差し返したタイガーカフェに1馬身4分の3差をつけて、ノーリーズンは栄光の皐月賞のゴールへと飛び込んだ。大外から飛び込んできたタニノギムレットは、タイガーカフェとダイタクフラッグの間に食い込む3着にとどまった。

 ノーリーズンのゴールの瞬間、実況は

「『理由なき反抗』とは、呼ばないでくれ!」

と伝えた。「理由なき反抗」(原題・Rebel Without a Cause)とは、1955年にアメリカで公開された映画であり、同年に24歳の若さで夭折した天才俳優ジェームス・ディーンの代表作である。世間に妥協して生きる親や社会に対する苛立ちにさいなまれながらも、それを表現できずに苦しむ若者の苦悩を描いた洋画の古典的を「ノーリーズン」という馬名に引っかけたわけだが、この実況がその後のノーリーズンにまで「理由なき反抗」というイメージを不可分のものとして固定する嚆矢となっていくことを、人々はまだ知る由もない。

『最速の皐月賞馬』

「いつか目覚めてくれる日が来るだろうと思っていましたが、まさかこんなに早くその日が来るとは思っていませんでした」

 池江師すらそう語る衝撃を残し、第62回皐月賞は決着した。皐月賞への出走にこだわり続けた池江師ですら、もともと6月4日生まれで同世代の中でもかなりの遅生まれにあたるノーリーズンがこのレースを勝ち切る・・・とまでは思っていなかったことをうかがわせる。まして、一般のファンともなればなおさらであろう。

 ノーリーズンがゴールした直後の段階で、スタンドは既にざわついていた。クラシックレースを勝ったのが15番人気の馬となれば、それだけでも驚きに値する事件だが、ノーリーズンの勝利の衝撃は、それだけにとどまらない。

 電光掲示板に表示されたノーリーズンの勝ちタイムは、1分58秒5。その数字の横で、「レコード」の4文字が燦然と輝いていた。

 従来の皐月賞レコードは、8年前の94年、あのナリタブライアンが三冠への第一歩を踏み出した日に記録した、1分59秒0という大記録であった。皐月賞史上初めて「2分の壁」を破ったこのレコードは、この日までに7回の開催を重ねても、破られるどころか2分を切るタイムすら現れないという卓越した数字だった。・・・1998年に早世した三冠馬の大レコードが、重賞初挑戦どころか、抽選でようやく出走権を手にした条件馬によって、一挙に0秒5も短縮されたのである。この驚異のタイムの樹立には、ナリタブライアン産駒であるダイタクフラッグが最後まで抵抗したことも大きく作用していたことは、運命の皮肉だっただろうか。

 スタンドのどよめきに追い打ちをかけたのは、配当の発表だった。単勝11590円、馬連53090円。15番人気での優勝は、81年のカツトップエースの16番人気に次ぐ皐月賞史上2番目の番狂わせであり、配当11590円は皐月賞史上最高記録である。また、6戦2勝の戦績ながら弥生賞3着で優先出走権を獲得して出走を果たした8番人気のタイガーカフェを連下に連れてきた馬連53090円も、97年の皐月賞でサニーブライアン、シルクライトニングが記録した51790円を上回り、皐月賞のみならずクラシック競走の史上最高配当(同年秋の菊花賞で更新)であり、Glの歴史の中でも史上7番目という高配当となった。

 この年、競馬界で古くから「最も速い馬が勝つ」と言われてきた皐月賞は、同世代だけでなく歴史上「最も速い皐月賞馬」を送り出して幕を下ろした。皐月賞が終われば、競馬界は次なる戦いである日本ダービーへ向けて動き始める。第62回皐月賞の決着は、第69回日本ダービーの始まりでもあった。

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