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ノーリーズン列伝~Rebel Without a Cause~

『次への布石のはずだった』

 まったくのテン乗りで皐月賞制覇を果たしたドイル騎手は、初めてJRAのクラシック制覇を果たした外国人騎手として日本競馬の歴史に名を刻んだ。ちなみに、2着に入ったタイガーカフェに騎乗していたのも外国人騎手のM.デムーロ騎手だった。伝統のクラシックレースでの外国人騎手によるワン・ツーフィニッシュは、日本競馬に押し寄せる国際化の波を象徴していた。

 だが、ドイル騎手が外国人騎手であったがゆえに、皐月賞後に人々の注目を集めたのは

「ノーリーズンに日本ダービーで騎乗するのは誰か」

という問題だった。ドイル騎手の短期免許は4月19日までだったため、皐月賞の週で騎乗期間は切れていた。このままでは、ドイル騎手が日本ダービーでノーリーズンに騎乗することはできない。ドイル騎手が騎乗期間を延長するために短期免許の再交付を申請することは可能だが、短期免許で騎乗可能な期間の上限が1年間で3ヶ月までとされているため、ドイル騎手が短期免許を更新したとしても、その騎乗期間は5月19日・・・すなわち5月26日に開催される第69回日本ダービーの前週までで終了してしまうのである。

 この問題について訊かれたドイル騎手は、

「ダービーでは、アドバイスをくれた人(武豊騎手)が乗るんじゃない?」

と答えている。確かに皐月賞当時に戦線を離脱していた武騎手は、日本ダービー前の復帰が予定されていた。・・・しかし、現実の彼は、日本ダービーではタニノギムレットへの騎乗が確実視されており、ノーリーズンへの騎乗可能性は薄い。短期免許制度に制約された外国人騎手ゆえに、皐月賞を勝った騎手が次走で乗り替わるという異例の対応も、もはや不可避と思われた。

 しかし、この問題については、ある「奇策」に基づく解決が図られることになった。ドイル騎手が皐月賞の翌週の騎乗を見合わせたうえで短期免許の交付を申請することで、騎乗可能期間を1週間先送りにし、日本ダービーの週の騎乗を可能にするというものだった。この再交付申請はすんなりと認められ、ドイル騎手は日本ダービーの週まで日本で騎乗することが可能になった。池江師にも、ドイル騎手とのコンビ継続への異議があろうはずもない。ドイル騎手とノーリーズンのコンビによる日本ダービー参戦は、確実になった・・・かに思われた。

『混迷の狂騒曲』

 ところが、ノーリーズンのドイル騎手とのコンビでのダービー参戦プランは、予想もつかないアクシデントによってご破算となってしまった。短期免許の再交付を受けるとすぐにその週の騎乗依頼を受けつけたドイル騎手だったが、なんとその週の出馬投票が終了する5分前になって突然全騎乗をキャンセルし、そのまま香港へと出国してしまったのである。

 出馬投票終了5分前の全騎乗キャンセルなど、前代未聞の椿事である。競馬界、特に彼に週末の騎乗を依頼していた馬の陣営に、強い衝撃が走った。しかも、ドイル騎手はその理由を何も語らず、かつ帰国の時期すら明らかにしなかった。

 後になって、彼の突然の出国の理由は、財産をめぐる刑事事件に巻き込まれたからだったと判明した。しかし、ドイル騎手の行動に振り回された周囲の怒りが収まるはずもなく、日本競馬界における彼の信用は、この一件で失墜してしまった。結局、ドイル騎手は再交付された短期免許の期間内に日本へ再入国することなく、それどころか、その後今日に至るまで、一度も来日していない。外国人騎手として初めてクラシック制覇を果たしたドイル騎手は、その栄光と裏返しの拭い難い汚名まで残してしまったのである。

 突然騎手を失ってしまったノーリーズン陣営は、復帰の予定すらはっきりしないドイル騎手に代わり、前年に133勝を挙げて最多勝利、最多賞金の二冠騎手となった蛯名正義騎手に白羽の矢を立てた。

 この年の蛯名騎手は、クラシック戦線での騎乗馬に恵まれていなかった。もともとは京成杯(Glll)勝ち馬ヤマニンセラフィムでクラシック戦線に挑む予定だった蛯名騎手だが、そのヤマニンセラフィムは、3戦3勝で臨んだ弥生賞(Gll)で6着に敗れたうえに両前脚の骨折によって戦線を離脱。クラシックでの騎乗馬を失った蛯名騎手は、皐月賞ではチアズシュタルクに騎乗したものの、ここで結果を出すことができずに(5番人気で12着)降板となり、ダービーでの騎乗馬が決まっていなかった。

 こうしてノーリーズンは、ドイル騎手から、蛯名騎手へと乗り替わって改めてダービーを目指すことになった。だが、自身とは何ら関係のないところで繰り広げられた狂騒曲に振り回された彼の運命は、周囲の期待とは大きく違った方向へと変わり始めていた。

『2度目のクラシック』

 通算4戦3勝の皐月賞馬として日本ダービーへと臨むことになったノーリーズンだったが、東京競馬場のレースは未経験だったため、東京で行われる青葉賞(Glll)やプリンシパルS(OP)への出走も検討されたが、最終的には日本ダービー(Gl)へと直行することになった。

 やがて、トライアルレース、本賞金順と抽選の結果により、第69回日本ダービーの出走馬は18頭に絞られた。皐月賞で除外されたローエングリンがまた除外されるという悲劇もあったが、皐月賞馬であるノーリーズンは、当然のことながら何の心配もなく出走表に名前を連ねた。

 Gl初制覇が人気薄だった場合、勝利がフロック視される馬は多い。現に、97年に11番人気の人気薄で皐月賞を制したサニーブライアンは、ダービーでも6番人気(レース直前での除外馬を含めると、実質的に7番人気)にすぎなかった。しかし、ノーリーズンの場合は、皐月賞での低評価が前走での凡走のためであり、人気の盲点に入ったという明快な理由があったこと、そして、レース内容もあのナリタブライアンの大レコードを大きく破る史上最速の勝ち時計だったことから、その評価は大きく見直され、人気馬の一角として支持を集めた。

 ファンが最もダービー馬に近い馬として単勝260円の1番人気に支持したのは、皐月賞で豪脚むなしく3着に敗れ、さらにその後強行軍で出走したNHKマイルC(Gl)でも、強い競馬を見せながら他馬に進路を妨害される悲運に泣いて3着に敗れたタニノギムレットだった。そのタニノギムレットを皐月賞で破っているノーリーズンは、タニノギムレットに次ぐ単勝500円の2番人気に食い込み、青葉賞(Glll)を勝ってきた外国産馬シンボリクリスエスが620円の3番人気でそれに続く。皐月賞で単勝3桁配当だったタニノギムレット、ローマンエンパイア、モノポライザーのうち後の2頭が入れ替わったものの、「タニノギムレットを頂点とする3強」という構図はそのままとなった。

 しかし、日本ダービーでのレースの流れは、皐月賞とはまったく異なるものとなった。皐月賞では、メジロマイヤーが無謀とも言えるハイペースでレースを引っ張ったが、そのメジロマイヤーは短中距離路線へ回ったためにこの日は出走していない。代わって逃げたのは皐月賞不出走のサンヴァレーだったが、皐月賞の再現・・・二の舞いを恐れたのか、約2馬身のリードを保ってマイペースで逃げる彼をとらえにいく馬は現れず、単騎逃げによる緩やかな流れとなった。サンヴァレーの1000m通過タイムは、61秒7。皐月賞より400m長いことを考慮に入れても、出走馬の約半数が同じメンバーだった皐月賞の59秒2に比べて、かなり遅い流れであった。

 そんな流れの中で、ノーリーズンは、この日も皐月賞と同様・・・というより、さらに後方からの競馬を進めた。もともと末脚勝負の競馬を得意とするタニノギムレットとほぼ馬体を並べる位置からの競馬で、まるで皐月賞馬と1番人気がけん制し合っているかのようだった。

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