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オフサイドトラップ列伝~1998年11月1日の悲劇~

『運命の日』

 1998年11月1日、第118回天皇賞・秋(Gl)当日の東京競馬場には、晴天にも恵まれて、約14万人の大観衆が詰めかけた。そして、その日の出走馬の中に、オフサイドトラップの名前もあった。新潟記念の後、毎日オフサイドトラップの脚の様子を点検するたびに、屈腱炎が再発しているのではないかと恐れていた加藤師らだったが、幸いその懸念は杞憂に終わり、オフサイドトラップは本番のゲートにたどり着いたのである。

 天皇賞・秋の出走表に名を並べた馬たちは、フルゲートの18頭には遠く及ばない12頭だけだった。グレード制導入以降、すなわち東京2000mコースで行われるようになって以降の天皇賞・秋としては、出走頭数が最も少ない。なお、それ以降でも、天皇賞・秋が12頭で行われたのは2018年と20年の2回あるものの、11頭以下で行われたことはない。

 そんな12頭の出走馬の中で、Glの優勝歴を持つのは、4頭だった。特にこの年の天皇賞・春を制したメジロブライトと、前年の有馬記念を制したシルクジャスティスは、前年のクラシック戦線から世代の中心を張り続け、例年であれば本命視されてもおかしくない中長距離戦線の主役たちである。その他の出走馬8頭のうち、オフサイドトラップを含めた7頭は重賞を勝っており、唯一重賞未勝利だったのが「最強の阿寒湖特別勝ち馬」で、既に天皇賞・春(Gl)、宝塚記念(Gl)2着の実績を持っているステイゴールドだけだから、決して弱いメンバーとは言えない。

 しかし、東京競馬場を埋め尽くした約14万人のファンのほとんどが高揚した気分の中で見つめる先にいたのは、ただ1頭だった。古馬の最高峰を決する伝統のレースで、実績馬が揃った出走馬たちの中でありながら、単勝120円という圧倒的な1番人気を背負う者。それが、この年の宝塚記念の覇者であり、また前走の毎日王冠も制した異次元の逃亡者、サイレンススズカだった。

『絶対王者の軌跡』

 サイレンススズカは、97年クラシック戦線開幕前からある程度の期待を集める存在ではあったものの、4歳時には成績が安定せず、主な勝ち鞍はプリンシパルS(OP)・・・という実績にとどまっていた。ファンに印象を残したのは、勝ったレースではなく、弥生賞(Gll)で発走直前にゲートをくぐって大脱走したとか、日本ダービーで人気を集めながら猛烈にかかった挙句、馬群に沈んだり・・・といった、人気を集めての派手な負けっぷりであり、

「才能はあるのかもしれないが、気性が悪すぎる・・・」

などと言われる程度の馬だった。

 しかし、4歳暮れに、予定外に選出された香港国際カップへ遠征した際、初めて武豊騎手とコンビを組み、5着に敗れたにもかかわらず、彼から

「この馬は、化け物だ・・・」

「この馬は、絶対に抑えないで行った方がいいと思います。もし今後乗せていただけるなら、そういう競馬をしたいです」

という評価を引き出した。そして、武騎手の希望通りのコンビが実現した結果が、バレンタインS(OP)、中山記念(Gll)、小倉大賞典(Glll)を連勝し、金鯱賞(Gll)では2着に1秒8差をつける圧巻のレコード勝ちを収め、宝塚記念では「女帝」エアグルーヴ以下を切って捨て、さらに前走の毎日王冠(Gll)では、Gllでありながら約13万人の観衆が見守る中で、グラスワンダーとエルコンドルパサーという2頭の無敗、そして規格外の外国産4歳馬たちを完膚なきまでに撃破する、圧倒的な逃げ馬の誕生だった。

 98年に入ってから重賞5連勝を含む6連勝という完璧な戦績を引っ提げて、東京競馬場に悠然と現れたサイレンススズカにとって、天皇賞・秋は、最も得意な距離であるだけでなく、走りがスムーズと言われた左回りコースでもあった。

「サイレンススズカのためのレース・・・」

そんな声がファンのみならず評論家からも溢れ出し、単勝120円という一本かぶりすら、まったく過剰人気に見えないほどに、東京競馬場は異常な雰囲気に包まれていた。

『嵐の前に』

 メジロブライトやシルクジャスティスといった王道Gl馬たちすら霞む空気の中で、オフサイドトラップに注目するファンは決して多くなく、単勝4240円の6番人気というのが、彼に対するファンの評価だった。重賞連勝中とはいえ、どちらもローカルGlllのハンデ戦で、しかも天皇賞史上一度も勝ったことがない8歳馬となると、その評価が辛くなるのも仕方がない。

 しかし、サイレンススズカは左回りの東京が得意だというが、オフサイドトラップも、父親のトニービン産駒と東京コースの間の相性の良さには定評がある。そして、オフサイドトラップの最終追い切りの気配も、絶好だった。

 この日の加藤師は、第8レース・南武特別(900万下)へ所属馬を送り出し、単勝170円の1番人気に応えて勝っている。その馬・・・「ワールドカップ」の名前を見れば、オフサイドトラップと同馬主であることはかなり推測しやすいはずだが、果たしてどの程度のファンが、その吉兆に気づいていただろうか。

「1頭速いのがいる・・・」

「でも、2番目にいいのは俺たちの馬だ」

などと語り合っていたというオフサイドトラップ陣営の人々に、大レースの緊張感はあっても、重圧はなかった。

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